2011年3月17日(木) 天国の義父と義母に助けられた命

 

私は毎週1回は母親の様子を見に山田町の実家に行っていた。K高校非常勤講師の勤務の関係上その日はほとんどが火曜日だった。しかし2月下旬に講師の仕事は終わり、実家に行くのは火曜日でなくともよくなった。1週間に1度、いつでもいいのだ。3月1日はK高校の卒業式。卒業式の後も実家に行った。たまたまこの日も火曜日だった。


実家のすぐ近くに不幸があったのはこの頃だ。葬儀は4日の金曜日だった。葬儀に参列の後も、もちろん実家に寄った。つまり、この週は火、金と2度母親の顔を見に行ったことになる。「じゃあ、来週も1週間後(11日)の金曜日に来るから」、そう言って家を出た。


義父が2年前の3月11日に亡くなり、3回忌の法要を13日に行うことにしていた。義母の23回忌の年でもあり、義父と義母の法要を一緒に行う予定だった。


法要に出席するため、東京と仙台にいる娘たちが11日の夕方新幹線で帰ってくるという。新花巻駅まで迎えに出なければならない。墓掃除もしなければならないし、11日に山田に行くのは無理だ。


そう思い、11日の山田行きを前倒しにし、やはりいつものように8日の火曜日に行くことにした。そして何事もなく山田に行ってきた。帰りにはいつものように「ますと乃の湯」で1時間ほど風呂に浸かった。そう、山田の実家に行った帰りは必ず「ますと乃湯」に寄るのだ。

 

「じゃあ来週も1週間後の火曜日に来るよ」。これがもし予定通り11日の金曜日に行っていたら。。


だいたいは昼飯(弁当や惣菜など)を買って行き母親と一緒に食べる。1時間ほど休んで2時頃、「じゃあまた来週も」と言って家を出る。途中、大槌町の「ますと乃湯」にゆっくりと入り、釜石のスーパーかサンフィッシュ釜石で魚を買って夕方に上郷町に着く。だいたいそんなパターンだった。


 東日本大震災の大地震が発生したのは11日(金)の14:46。その日に山田町に行っていれば、その時間はますと乃湯に入っている時間だ。あるいは吉里吉里か大槌あたりを走っているか。車ごと大津波に呑まれていたかも知れない。ますと乃湯は津波で跡形もなく流された。


 そう考えると恐ろしくなる。私は運が良かったのだ。13日予定していた(結局中止にしたが)法要に助けられた、つまり3回忌の義父・23回忌の義母に命を救われたのだ。あるいは11日に帰って来ることにした娘2人に助けられたのだ。

 

娘たちが帰ってきたのはその3日後だったか4日後だったか。東京でレンタカーを借り、仙台経由で帰ってきた。帰ってきた翌日、岩手ではガソリンが買えないため、いわゆる乗り捨て料金を払い、レンタカー会社花巻支店に返した。