早いもので東日本大震災から、5年という歳月が過ぎました。
 
当時私は黒川郡の富谷町でガス管工事に伴う道路のカッター入れの警備をしておりました。
 
作業が終了した直後に突然地震が発生し、嫌な予感がした直後、揺れが大きくなりました。
 
その尋常では無い揺れで道路はうねり、電柱がしなり、立って居られない位揺さぶられたのを覚えています。
 
県内全域が停電した為、信号が消え交通が麻痺していました。
 
その後突然雪が降り始め、交通状況は更に悪化。
 
通常なら15分程で帰れる距離を1時間以上掛けて家に帰り着きました。
 
その日家にスマホを忘れて出掛けていたお陰で、家族はスマホの緊急地震速報のアラームで地震を察知出来たそうです。
 
家では箪笥やテレビが倒れはしたものの、誰もケガ等はしていなかった様です。
 
家に帰ると私のスマホで家族がワンセグを視ていました。
 
兄が休みだったので母を任せ、とにかく買える物を買って来ようと近くのコンビニに行きました。
 
スーパーは既に閉店していたと聞いたので、他に買い物を出来る所は近所にはコンビニしか無かったのです。

缶詰め・電池・飲み物・スナック菓子と、大した物は買う事が出来ませんでしたが、その日をやり過ごす事は出来ました。
 
夜になり、外気温は氷点下。
 
会社から連絡があり、兎に角翌日に会社に来る様に言われました。
 
翌朝会社に行くと、地震直後に国道48号の八幡で土砂崩れが発生し、24時間体制12時間交代で片側交互通行を行っているという話で、今晩から勤務に参加しろという事でした。
 
地震以降ガソリンスタンドは閉店し、燃料の心配がありましたが、仕方無く承諾しました。
 
約2週間の間、家族や家の事を放り出して毎日夜間仕事をしました。
 
ガソリンは会社が元請けに依頼して購入して頂いた物を現場で給油。
 
雪が混入していたのかエンジンの調子が悪くなり、水抜き剤を一緒に燃料タンクに入れて使いました。
 
福島原発事故の影響は少なからずありました。
 
流通が滞り、思った様に買い物が出来無いのです。
 
津波の被害を受けた地域では、より深刻な状況だったのは手に取る様に分かりましたが、私達は自分達の生活で手一杯でした。
 
震災から一ヶ月程経った夜、とても大きな余震が発生しました。
 
再び停電になり、復旧を急いでいたインフラもやり直した所も多かったと聞きます。
 
そんな中、有り難かった事も結構ありました。
 
なんと震災翌日、我が家のある地区で電気が回復し、近所にある和食レストラン『まるまつ』さんが営業して下さっていたのです。
 
限定メニューではあるものの、温かい食事が出来たのは嬉しかったです。
 
また、仙台中心部のクリスロードにある『すき屋』さんも営業しており、仕事帰りに食事をする事が出来ました。
 
あの震災で様々な経験をされた方々がいらっしゃると思います。
 
正直書きたい事は山ほどあります。
 
でも私は相当恵まれていたんだとも思っています。
 
多くの方々が御亡くなりになり、多くの方々が家族を亡くされた。
 
家も流され、仕事も失った。
 
街が丸ごと津波に流されたという地域もあります。
 
どうかそういった方々が、笑顔で生活出来る日が一日でも早く訪れる事を切に願うばかりです。
 
そして御亡くなりになられた方々の為にも、その方々がやりたくても出来無かった楽しい事を経験して頂きたい。
 
人生を投げ出さないで頂きたい。
 
私はそう思っています。