過去における文化の爪痕は、現代においては必ずしも賛美されるものではありません。
 
煙草文化にしても同じ事が言えると思います。
 
古来より喫煙という行為には、神々への信仰や政と密接な関係がありました。
 
時には儀式の1つとして、同じ煙草を回し吸いしたり、煙の立ち上ぼり方を見て占ったり。
 
その後、精神安定を目的とした行為となり、何時しか薫りを楽しむ嗜好品となり。
 
時代が変わる毎にその行為そのものが、その時代の象徴となったりもしました。
 
様々な喫煙具が生まれ、多種多様な楽しみ方が広まりました。
 
そして今日ではその行為は害悪と視なされ、喫煙者は肩身の狭い思いをしている訳です。
 
各言う私自身もまた喫煙者な訳で、煙草と電子タバコの両方を喫煙している訳です。
 
故き良き時代と呼ばれた年代には、煙草は男の嗜みでした。
 
私はその時代を謳歌した大人達を見て育ち、また憧れた世代の人間です。
 
かつてアメリカの映画や刑事ドラマで観た、煙草に火を付けて吹かす仕草に憧れたのです。
 
自分が大人になり、煙草の味が解る歳になって、煙草が悪とされたとしても、簡単には止められません。
 
でも時代はその文化を否定しているんですよね。
 
最後に残るのはどんな爪痕なのでしょうか。
 
私はいつまで吸い続けられるのでしょうか。
 
新たに生まれた電子タバコの文化は、この先どの様に変わって行くのでしょうか。
 
そして私が老いた時に、この文化はまだ存在するのでしょうか。