スキ・キライ・スキ、とりあえず幸せ
外国のコーヒーカップでっかーい!日本のカップも、もう少し大きくなぁーれ。スキでもキライでもキミが決断できたなら、それがすべてだ今でも人に嫌われるより、好かれていたいと思うものです。いくつになっても、嫌われて冷たくされるのは悲しい気持ちになる。コドモの頃からある程度の大人になるまで、人に嫌われるのが怖くて八方美人になることが多かった。今から考えれば、そういった行動が余計に人様の心をざわつかせることにつながっていたかもしれない、そう思う。八方美人になっていた理由は、誰の気持ちにも共感しやすい気質HSPに影響されていた部分も少なからずあっただろうなと今なら思う。Aの気持ちもわかるし、Bの気持ちもわかる、どちらの話も同情に値するし、共感できる。結果の八方美人。誰にも嫌われたくない、そう思っている時ほどメンヘラホイホイとばかりに周りはメンヘラだらけになった。うまくやりたい、そう思っている時ほど先輩から吊し上げられバックヤードでポカスカジャン♪とサンドバックにされることもあった。そんな時、誰も助けてはくれない。人は自分に被害が及びそうな時、そうそう助けてはくれないのだ。そしてこの判断は概ね正しいと私は思う。おかげさまで、人間関係のサバイバルを人生の大半をかけて体験することができたかもしれない。オプションはつけてないから超上級編はまだ未受講。しかしながらなかなかの点数が取れそうな気がする、TOEICより確実に!それなりに屈折した、人生ナナメ45度から見ているふざけた大人の出来上がり。人間の心と行動について『なぜ』そうなるか、なんとなくわかってきた気がする。どんな人でも、もちろん私でも、人は今の自分を『正当化』するもんだと思う。いいことで働く場合もあれば、小脇に『嫉妬』『妬み』を抱えてしまって相手にあたる場合もある。人間関係での悩みの原因は『自分』『相手』『集団』『環境』だとすれば、自分で変えられるのは最大でもわずか25%しかない。え、ムリじゃん。なので私は諦めちゃいました。好きになってもらおうという努力というのは、『相手』の心の中だもの。私の管轄外にあるコントロール、これが出来たら2-3回結婚してるっつーの。私を好きでも嫌いでも、どっちでもいい。人間関係で悩む場所は、職場か、学校か、はたまた家庭か、そんな感じかな。長い時間を過ごさなければならなかったり、簡単に移動できないところ。自分がコントロールできないことで悩むのは時間がもったいない。人を動かすより自分を動かして新しい『コミュニティー』を見つけることに労力を費やすと、色々なものが入ってくる。私はもう、自分を我慢させたくないなと思う。たくさん我慢させた結果、たくさんの病気にさせてしまった。だから、私は私をシアワセにしてあげたいと思っているのです。私が大事に思い、大事に思ってくれる少数の友人がいる、家族もいる。私をよく知らない人が『キライ』になっても、お好きにどうぞなのです。誰かが私を『スキ』でも『キライ』でもその決断ができたことは素敵なことだと思う。スキもキライも『なぜそう思うのか』を考えることは感情的になる人間らしさと自分の心を知る上でとてもとても意味があると思っているの。どんなことでも、自分に問いかけをしている限りそれは素敵な時間だと思う。そこ、とても大切なこと。時々、自分の中から『キライ』を排除していかないと『いい人』になれないと思い込んできる人がいるけど、無味無臭で生きるなんてもったいない。自分の感情を見失うと探すのが本当に大変なんだって。そう思うようになって数年。なぜか時々女子にナンパされるようになってきた。トイレで女子に連絡先を聞かれるようになってきた。なんなんだろねー。どうしてだろうねー。なぜか男性からは聞かれない。なぜだろねー。なんだろねー。どうしてなんだろねー笑!誰かが私をスキでもキライでも、あまり私には関係ない。私が自分を好きでいて、私の幸福を願えることに意味があるのだと思う。明日もシアワセでいようぞ、私!・・・そんでもってもうちょっと痩せたら、もっとシアワセだから頼むよ私。