先週、劇場で国宝を観てきた。

1週間、何を感じたのか整理できなかった。ただ「すごいもの観せてもらった、、、」と呆然とした。

ネタバレあります。感動ポイント3個だけ。

 

*観たその日から1週間、何度も思い出したシーン*

 

花井半二郎(渡辺謙)が怪我をしたために喜久雄(吉沢亮)が代役を命じられ、曽根崎心中のお初を演じることになった。その稽古中、半二郎から「死ぬ恐怖」と「好きな男と死ねる喜び」がまるで感じられないと演技にダメ出しされる。その言葉を受け止めた喜久雄が自分の頬を殴打し、演技をやり直す。それまでと全く違う、死ぬ怖れと覚悟と恍惚と狂気が滝のようにあふれ出すかのような、お初だった。

そして本番、喜久雄演じるお初が別の男に言い寄られたときに反論した、その表情。あなたも私と付き合ったら死ぬことになるけれどそれは分かっているんでしょうね(正確なセリフが分からずすみません)、というセリフを言ったときの表情。

 

 

...見事だとか客観的な意見をもつことができないくらい、私の心を動かした。

 

ここまでできるんだ。吉沢亮くんに対してそう思った。

それを見せてもらっている。

すごいな。

繰り返しそう思った。

 

1週間経って、ようやくシーンについて「考える」というか「整理する」ことが頭の中で始まった。まず思ったのは喜久雄が自分の頬を殴って気を入れなおしたとき、「腹の底から覚悟を決めて」、お初になったという風に見えた。そして、「腹の底から覚悟を決める」が、喜久雄の父の立花権五郎(永瀬正敏)の死にぎわに重なった。

 

誰でも「覚悟を決める」ことが人生に何度もあると思うんだけど、死ぬ気の覚悟っていうのはそうそうないかなと思う。まあ、人それぞれでかなり経験が違っていると思う。

 

喜久雄は「死ぬ気で覚悟を決める」がデフォルトの人だ。才能には恵まれていたけれど、父の最期に立ち会って刻み付けられた「死ぬ気の覚悟」が、燃え尽きない才能に変わったんじゃないかなと思う。それは誰にも追随されないような役者になる土壌がそろった幸運のようにも見える。けれど、歌舞伎の虜となってすべてを捧げることでもある。つまり、芸と心中することを意味するようにも見える。

 

しかし、ラストシーンでは救済が感じられた。

 

あと、別の男に言い寄られて言い返すお初の表情。あんな表情の人見たことない。あの感情をあますところなく表現する、歌舞伎の世界観に圧倒された。お化粧(男も女も)は、そんな人間の深い業を表現する媒体なんだなあ。。

 

 

*記憶に残るコントラスト1*

 

万菊(田中眠)が鷺娘を踊るときの、すり足。すり足の動きをあんなにゆっくりと見たことがなかった。足の指先から踵まで、その部分だけで「踊り」と言えるような柔軟な変化するアーチが見事だった。

 

俊介(横浜流星)が糖尿病を患い決死の覚悟で挑む曽根崎心中。お初を演じるその演目のなかで、右足を恋人である徳兵衛(吉沢亮)に差し出し、一緒に死ぬ覚悟を問うシーン。俊介の左足は糖尿病で壊死して既に切断している。右足は残っていると思いきや、徳兵衛が手に取った徳兵衛の右足の爪や皮膚は健康な足ではなく、壊死し始めている。「踊り」の宿命の終わり。

 

 

*記憶に残るコントラスト2*

 

喜久雄が代役を命じられた曽根崎心中の本番前に、怖くて化粧ができない(震えて筆がかけない)とき、俊介に「俺には守ってくれる血がない」「お前の血をごくごく飲みたいわ」と言うシーン。「血がない」から「ごくごく飲みたい」という燃えたぎる渇望をもつ人間。

 

二代目半二郎が白虎に、東一郎(喜久雄)が三代目半二郎に襲名するお披露目の場で、突如、二代目半二郎の口からどろっと流れる血。口からあごまで血で真っ赤になる。「血」の流れにある二代目半二郎が噴き出す血が顔を、舞台を赤く濡らす。「喜久雄がごくごく飲みたい」と言っていた血だ。その血を、観念ではなく、物質として「確かにあるもの」として現れた。

 

 

*おまけ*

 

襲名披露のシーンでは、一瞬、喜久雄に二代目半二郎を襲名させることになって舌を噛んだのかと思った。血の流れ方が、口を食いしばっている様子からか、そう見えた。