小諸城



徳川家康の子

秀忠が第二次上田合戦の時に

拠点として使ったお城。


By 息子






私も

ちょっと調べてみました。


小諸城は、佐久地方へ進出した武田信玄が

山本勘助と馬場信房に設計をさせて

築城したもの、と伝えられているそう。




豊臣秀吉が天下を統一すると

小諸城には仙石秀久が入城。











明治維新を迎えると小諸城は廃城に。

公園として整備され
懐古園と名付けられました。



三の門の正面には

徳川16代 徳川家達の手によって書かれた

「懐古園」の扁額が掲げられています。




懐古園には

徴古館や藤村記念館のほか


動物園や遊園地も併設されていて

結構な広さ。

1日遊べるくらいです。








立派な欅の木。








樹齢500年にあやかりたくて

触っておきました。








ぽんぽんが可愛い


🌳●●●🌳








千曲川が一望。











ここの馬場跡を中心にソメイヨシノ

多数植樹されていて


日本さくら名所100選

にも選定されているそうです。








小諸城、天守閣はなく

石垣だけが残ってます。








石垣の上から。








懐古神社で合格祈願しときました。

何のさ?!笑











山本勘助が愛用したと伝えられえる鏡石が

懐古神社の境内に残されています。








ほんと、ピカピカ。








宇都宮から小諸城に入った秀忠が

腰をかけて、憩いの時間を持ったとされる

床几石が、三の門脇にあります。








目の前は、浅間山がひょっこり顔を出してる

マウンテンビュー。


420年前

どんな景色を見ていたんだろう。











上田城にいる真田氏征伐のため

徳川本隊として、3.万8000の大軍勢で

宇都宮から小諸に入った秀忠。



21歳で初陣だった秀忠は

上田城の攻略に苦戦し

関ヶ原の合戦に向かうも

間に合わず。



家康は怒って、しばらくの間

秀忠と会わなかった。


By 息子談





真田氏攻略に失敗して

関ヶ原の合戦にも間に合わなくて

踏んだり蹴ったり。

しかも、パパにも勘当されちゃう。

(息子曰く、半年くらい)



こういう話を聞くと

母親目線で考えてしまい

無駄に感情移入。


いちいち切なくなる

面倒な性格の母です。笑








帰るよ〜。









夜は、フルーツを食べながら










サッカー観戦。

どこの国の試合だったかな。








で、芋けんぴ入りま〜す。

(ボケた)





今週末は東京。

またお城巡り行ってきます!






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