横田増生著(2011)『ユニクロ帝国の光と影』文藝春秋
本書を読んでいて、カリスマ経営者と大物政治家について書かれた、ふたつの事例を思い出していた。
ひとつは、ジャーナリストの佐野眞一氏によるダイエー創業者の中内功氏の評伝である。
中内評伝は、続編の途中で佐野氏自身が『カリスマ』を絶筆にしてしまう。
わたしは、『日経ビジネス』連載時からの熱心な読者だったが、ある時点からは、佐野氏の取材と公表のやり方が、墜ちた企業家である中内氏に対してフェアでなくなったと感じていた。
基本的に、中内氏の多角化事業がきびしくなったところで、続編を書く意味が失われたのだとも推測できる。
もうひとつの事例は、今回と同じ『文芸春秋』誌上で、ジャーナリストの立花隆が元首相の田中角栄を追及したときの構図である。
「田中金脈事件」を取り上げた立花氏と出版社の側には、政治家のモラルに対する社会的な義侠心からの攻撃という錦の御旗があった。
だから、首相の犯罪を告発することにより、立花隆も文春も後々に大きな社会的な名声を勝ち得ることができた。
先のふたつの事例と比べると、現役経営者である柳井正氏を取り上げた『ユニクロ帝国の光と影』では、書き手である横田氏の狙いがあまり明確ではない。
横田氏の経歴は、海外の大学院でジャーナリズムの修士を取得したライターとなっている。
前著では、ネット企業である「アマゾン」に潜入ルポを敢行している。
文藝春秋編集部の立場についても、同じことが言える。「総崩れの日本企業のなかで、唯一気を吐くユニクロの経営者」をターゲットとして、読者に何を伝えたいのだろうか。
出版の意図がよくわからない。
ルポルタージュとして読んでみると、本書は良い作品である。文章も読みやすい。
内容の構成もしっかりしている。ストーリーの仕立て方もおもしろい。
ただし、一つだけ問題がある。
わたしがユニクロについて知っている事実と本書の記述内容が異なっていることである。
それは、ある種のレンズを通して、柳井正という対象を見ているからだと感じられる。
「見込み捜査」に近いリスクを冒している可能性が否定できないのである。
1 本書の内容と筆者の主張
ごく簡単に要約してしまえば、本書は、独自の取材に基づき、ユニクロ柳井正の「非情の経営を告発した書」ということになるだろう。
表紙カバーの裏に並んでいる、やや長めのコピーが、そのことを象徴している。リード文のいくつかを、内容に対応づけてみる。
(ユニクロでは)なぜ、執行役員が次々と辞めていくのか(第1章「鉄の規律」)。
なぜ、業績を回復させたにもかかわらず、玉塚元一は追い出されたのか(第3章「社長更迭劇の舞台裏)。
なぜ、中国の協力工場について秘密にするのか(第6章「ユニクロで働くということ 中国編」)。
柳井正の父親による桎梏とは(第4章「父親の桎梏」)。
これ以外に、第2章「服を作るところから売るところまで」は、ユニクロのビジネスモデルの特徴を歴史的に紐解いた章である。
第7章「ZARAという別解」では、「海外の工場と国内店舗の従業員を犠牲にして成長してきた非情な」ユニクロを「国内生産に基礎を置く従業員にもやさしいSPA企業」としてザラに対比させている。
本書のタイトルの通りである。
物事にはすべて光と影がある。
人間の影の部分と経営者としてのきびしい側面を特別なレンズで眺めれば、ポジティブに見えている現象もネガティブに解釈できる。
柳井正という人物に関して言えば、厳しい環境下でも前向きで失敗を恐れない尊敬すべき経営者とみることもできるが、父親の影響下で育ち劣等感をバネに這い上がってきた非情な経営者としてとらえることもできる。
たしかに、後者の側面がないわけではないが、柳井の人物としての実像は、筆者が書きたい非情の経営像とは違っているように思う。
わたし自身は、10年以上に渡って、ファーストリテイリングの成長の軌跡を見てきた。
そうした研究者の立場からは、ユニクロの物語を組み立てるために集めた事実に関して、客観的に検証が不十分ではないかと感じるところが多々ある。
以下では、事実に関する記述について間違っているか、あるいは、単に誤解している可能性がある部分を指摘していきたい。
2 真実が書かれ、伝えられているのか?
本書のサブタイトルは、「柳井正、非情の経営」である。成功したすべての経営者は「非情」である。
非情でない経営者など、世の中には存在しない。物事を成し遂げるために、部下に対してきびしく接するのは、経営者としては当たり前のことである。
「非情な経営者像」を正しく描き導くためには、経営者・柳井正の言行を、事実に基づいてきびしく検証しなければならないだろう。
真実を記述する姿勢とは、(A)取材先と取材日時を明記し、(B)取材対象者から事前に掲載許可を得ることである(名前を出すか出さないかは、それとは別の考慮事項である)。
それは、書き手としての最低限の作法であり、ジャーナリストとしてのモラルである。
すくなくとも、活字で自らの主張を世に問うという行為とは、そのようなものだとわたしは考えている。
そうした目で本書を眺めてみると、筆者の取材方法について、わたしは大きな違和感をもってしまう。
証拠を固めるための手段として、まるで犯罪者を追い詰める刑事のように、筆者(文春編集部)は、犯罪捜査的な手法を用いている。
(1)ユニクロの現地協力工場に潜入し、現場の労働者にインタビューを敢行する、
(2)国内のユニクロ店舗で働いていた元店長や元経営幹部の話を載せる、
(3)柳井社長の肉親の発言やプライバシーを許可なく白日の下に晒している。
この3つについて、よく読んでみると、(A)「いつ」「誰に」「何を」尋ねたのか、(B)「取材ソースの信頼性」と「事前許可」については、必ずしも明記されていないのである。
例えば、(3)について指摘すると、第4章に、柳井社長のご両親やご兄弟(姉妹)の話が出てくる(例えば、139~148頁は妹・幸子の話)。
いつどこでどのように取材したのかについて、文中には記されていない。あるいは、近所のおばさんの会話(匿名)が、うわさ話として記述されている。
筆者は、複数の情報源から情報を集めて、事実に関してクロスチェック(裏を取ること)をきちんとしてあるのだろうか?
文中に実名が出ている数少ない人物(千田秀穂氏:74歳)もいる。
しかし、そうしたひとたちは、柳井社長の下でごく短い時期だけ働いて、すぐに辞めていったひとばかりである。
現在のユニクロの経営とはほぼ無縁なひとたちである。
名前の出ているその他のひとたちにも、本書の出版では迷惑がかかるのではないのだろうか?



