クルーズ船退避者らの隔離


 ハンタウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「MVホンディウス」から退避した米国籍の乗客18人は、5月11日早朝(米国時間)に特別機で帰国した。


うち1人はハンタウイルスのアンデス株のPCR検査で陽性反応がでており、もう1人は軽度の症状があったため、この2人は機内でもバイオコンテインメント(生物学的封じ込め)に隔離した上での移送となった。


 米国到着後、陽性反応者を含む無症状の16人は、ネブラスカ大学医療センターに隔離され、診察を受けた。


同センターは、高レベルのバイオハザード対応能力を持つ国立の専門施設を併設しており、陽性者は引き続き同施設内の生物学的封じ込め病棟で詳細なモニタリングを受けている。


 他の15人も同センターで定期的な検査を含むモニタリングを受けているが、一定期間後も健康状態が良く、自宅に適切な隔離環境がある場合は、自宅で42日間の経過観察を続ける選択肢もある。


一方、PCR検査では陽性ではなかったが、軽い症状の出ていた乗客とその同伴者の2人は、ジョージア州アトランタのエモリー大学病院に隔離され、診察と治療、モニタリングを受けている。

 ハンタウイルスは、感染したネズミの排泄物等が乾いて空中に飛散し、それを含むほこりを吸い込むことで感染する。


南アメリカに多くみられるアンデス株に感染すると、「ハンタウイルス肺症候群」と呼ばれる重度の呼吸器障害を起こし、死に至るケースも少なくない。


アンデス株に対する抗ウイルス薬やワクチンはない。


 トランプ大統領は5月11日、記者の質問に対し「ハンタウイルスは昔から知られている。


簡単に感染しないから大丈夫だと思う」と答え、保健福祉省(HHS)のロバート・ケネディ・ジュニア長官も「制御できているので、心配していない」と述べている。(注1)

米国では30年前から知られたアンデス株

 実際、米国の公衆衛生専門家のとっては、ハンタウイルスのアンデス株は目新しいものではない。米国では1993年に南西部のニューメキシコ、コロラド、アリゾナ、ユタの4州が1点で接する地域で、アンデス株感染による重度の呼吸器障害が多発し、患者の約半数が死亡した。


以来、ハンタウイルスも監視・報告対象になっている。(注2)


 米疾病予防管理センター(CDC)によれば、1993年から2023年までに890件のハンタウイルス感染症が報告されている。


平均では年間で30例にとどまる計算で、発生地域もハンタウイルスを媒介するシカネズミが多く分布する南西部に集中している。

 アンデス株では感染後、4日から42日の間に発熱や疲労感、筋肉痛などの症状がでることから、クルーズ船からの退避者および感染の可能性がある人については、CDCと各州の公衆衛生当局で、感染特定と42日間のモニタリングの対応を行う。(注3)


 アンデス株ではまれに人から人への感染も確認されているが、米国の過去30年の経験から、人から人への感染は症状の出ている感染者との長時間にわたる物理的な接触などに限られ、無症状者からの感染はなさそうだと考えられている。


このため感染者の特定と隔離を適切に行うこと感染拡大を防ぐことができる。

 当初は未知のウィルスで、後から無症状感染者からも感染することわかったCOVID-19パンデミックとは違い、人から人への感染もまれで予防が可能なことから、世界保健機関(WHO)も米国の公衆衛生専門家らも、一般市民への感染拡大リスクは「きわめて低い」との見解で一致している。


ハンタウイルスより怖いもの

 米国の医療・公衆衛生専門家らの懸念は、ハンタウイルスとは別のところにある。


それはCDCをはじめとする連邦政府の対応の鈍さだ。これまでは感染症といえば、CDCが機動的に動き、各国をリードする立場にあったが、今回は全く違う。


集団感染がWHOに最初に報告されたのが5月2日。


CDCがクルーズ船にチームを派遣したのは5月6日だが、全米の医療関係者に公衆衛生に関する緊急情報「ヘルスアラート」を流したのは、5月8日になってから。


 クルーズ船「MVホンディウス」への対応はWHOを中心に行われてきたが、現トランプ政権下で米国はWHOから脱退しているので、脱退前のような直接的な情報交換や関与が可能なのかどうかもわからない。

 ハンタウイルスの集団感染が各国で報道されるようになっても、連邦政府から米国市民に対する正式なアップデートはなかった。


これまで新型コロナウイルスはもちろん、エボラ出血熱など、市民が懸念する公衆衛生事案に対しては、CDCがあらゆるメディアを活用して、最新の情報を積極的に市民に説明してきたが、そうしたコミュニケーションも消えてしまった。

 今や米国の公衆衛生を担う連邦政府の体制は、お寒いと言わざるを得ない。


トランプ政権下で昨年はCDCだけでも2400人が削減され、昨年8月末にはケネディHHS長官と対立したスーザン・モレナズCDC所長が更迭された。


今年2月に、前政権の新型コロナ対策は過剰だと批判してきたジェイ・バタチャリヤ国立衛生研究所(NIH)所長が、兼務でCDCの所長代行となったが、正式なCDC所長ポストはまだ埋まっていない。

 公衆衛生の総指揮官で、米国民の医師と呼ばれる医務総監ポストも空いたまま。


5月12日には、ワクチンを含む医薬品承認を担当する食品医薬品局(FDA)のマーティ・マカリ長官の辞任が発表された。


いずれも連邦議会の承認を必要とする重要ポストで、すぐに任命できるものでもない。

 CDCの対応へや公衆衛生当局の能力低下への懸念に関するCNNのインタビューに対し、バタチャリアCDC所長代行は、「CDCは他国とも協力しているし、技術提供もしている。


ハンタウイルスは、新型コロナの時とは性質が違う。

パニックを起こしてはならない」と述べている。

(注4)しかしパニックを防ぐには、正しい知識を共有し、専門家が適切に対応していることを市民に知らせる必要がある。

 ちゃんとやっていると言われても、当局が具体的に何をやっているのかも知らされない。

4月24日の時点で、英領セントヘレナ島でクルーズ船を下船した7人の米国人も帰国済みだが、彼らに関する説明はない。


長い経験を持つ多数の公衆衛生の専門家が連邦機関を去り、いくつもの重要な医療・公衆衛生のトップポストが空いたまま放置されているのでは、再び公衆衛生の危機が起きた時にまともな対応ができるのか、不安の声は高まるばかりだ。


参考リンク

注1 RFK Jr. says 'we're not worried about' hantavirus

注2 Reported Cases of Hantavirus Disease | Hantavirus | CDC

注3 About Andes Virus | Hantavirus | CDC

注4 Acting CDC Director on hantavirus response: ‘We don’t want to cause a public panic’ | CNN Politics