過ぎた時間が長いのか短いのか?
自分でもよく分からない。
父の病名は、アルツハイマー。
50代で発病した若年性型アルツハイマー病。
もう、19年程になるだろう。
私が娘をアメリカで出産した時に、父は、わざわざ遠いアメリカまで、母と兄と一緒に来てくれた。その時既に発症していたと後から知った。当時母は、私にも兄にも父の病気を内緒にしていたから。
確かに、アメリカで、数々の父らしからぬ行動があって、私も戸惑ったのを覚えてる。
①東京から、私のアパートに寄ってから来たと父に言われたが、当時アパートには住んでおらず、何のことか分からず、話しを聞き流した。
②マンハッタンのホテルに泊まった時に、お財布を忘れた。中に大金が入っていた。と言われ、駄目元だったが、急いでホテルに連絡した。もちろんお財布は見つからなかったが、母に聞いたら、父のお財布はズボンのポケットに入っていて。お金は、母のスーツケースにあると言う。
③散歩好きの父なので、家の周りを歩くよう勧めてみた。準備して階段を降りたものの、玄関から一歩も出れなかった。
あの時、病気が分かっていたら‥と思うことがある。
分かっていたとしても、何も出来なかったかもしれない。‥けど。
私は、父の事が大好きだ。
運動会に参観日、いつも来てくれたのは父。
タコさんウインナー入りのお弁当を作ってくれたのも父。
自転車の乗り方や、キャッチボールや、スキーを教えてくれたのも父。
元旦に日の出を見に山登りしたのも、川に魚釣りに出かけたのも、夏休みの一研究や絵の宿題を手伝ってくれたのも父。
赤提灯のおでん屋に連れて行ってくれたのも父だった。
兄が母寄りの生活だったから、私は自然とお父さん子になったんだと思う。
最近は、私の事が分からないことが増えている。
今、父の記憶から
少しずつ私が居なくなることに、胸が締め付けられる思いがしてる。
病名を知らされてから、分かっているはずの結末なのだが‥。
出来ることなら、
もう少し、もう少しだけ父の記憶の中に居たいと願っている。
アルツハイマーの親を看病している人は、この世の中、沢山いるだろう。
きっと、自分の気持ちと葛藤しながら生きていることも多いと思う。
壊れていく親を見ているのは辛い。
手を挙げる父や、何処かに居なくなってしまう父や、暴言を吐く父、奇声をあげる父も見てきた。
優しい父が別人のように思えた時もあった。
それでも、
今目の前でベッドに横になって、石原裕次郎のCDを大人しく聴いてる父は、私の大好きな父であり、遠い昔、何でも教えてくれたヒーローである。