さて、久々の宮城県遠征です。
初めて行く仲間が何人か参加し、
今回はちょんまげ隊のアフロさんをリーダーに、
3/20~3/21の日程で行ってきました。
今回は、牡鹿半島にある泊浜と前網浜、そして女川町の高白浜に行きます。
(↓ 牡鹿半島に初めて行ったときのブログはこちら↓)
「美しい海と、牡鹿と、お好み焼きと」
***************
実は出発当日まで体調が良くなく
ずっと休んでいたのですが、
なんとかちょっと回復してきたので、出発を決めました。
(遠征中は、車酔い以外は体調も回復しました。よかった…)
今回のスケジュール
3/19:夜11時に集合、出発(車中メンバー:アフロさん、ゆっこちゃん、ともぞーくん、カズコさん、ヨシナオくん、わたし)
3/20:早朝に石巻着
・日和山から石巻市内を眺める
・牡鹿半島へ。ちょんまげ隊みちのく仙台支部(たまさん、さとみちゃん、今野醸造のお嬢様二人)と関西支部(いのっちさん)が合流、泊浜にて最初の活動(ヘアカット、マッサージ、大阪から豚まんとアクセサリーなどのプレゼント)
・移動して、前網浜の仮設住宅にて次の活動
・仙台市内へ移動、「利久」にて夕食(ここで仙台支部とはお別れ)
・カッパ邸にて宿泊
3/21:朝、カッパ邸を出発、関西支部を駅に送り、女川へ向かう
・途中、石巻で「高白浜布草履組合」の八木さんと合流、高白浜仮設住宅へ(途中、女川のコンテナ市場の建物を見学)
・高白浜到着、布草履作りの見学、マッサージ隊の活動
・津波が来たときの話を聞く
・「おさかな市場」で買い物
・石巻市内でランチ
・ホット横丁石巻でデザート
・帰途につく(そして大渋滞に……)
********************
19日夜、東京を出発。(画像ブレブレですみませんw)
車は何事もなく順調に進み、20日の朝4時前には、すでに宮城へ。
時間があったので、石巻の日和山へ行くことに。
雪景色の石巻。
眼下には、かつて住宅やビルが建っていました。
今は、ほぼ更地です。
この1枚は、2011年5月の写真。
同じ日和山から撮られた写真です。
(あべしさん〔@abeshi08〕から頂きました)
花が手向けられていました。
あの日も、こんな寒さだったのかな……
この川いっぱいに水があふれていたんです。
橋のところに見える丸い建物(石ノ森萬画館)の3分の2くらいの所まで水があったそうです。
時間になったので、日和山を下り、
石巻から女川を経由して牡鹿半島へ向かいます。
石巻市内。
震災当時、手書きの壁新聞を制作して人々に情報を伝えた
「石巻日日新聞」の建物。
女川港の光景。
1年たった今も、このような状態です。
もともと海の前は埋め立て地。
そこにスーパーなどの建物が並んでいましたが、
地震により地盤がゆるみ、建物は倒れました。
さらにそこに、あの津波です。
今も横倒しになったまま残る建物
このあたりは地盤沈下がすごかったです
谷川(やがわ)小学校。
2012年の3月24日、閉校となります。
→谷川小学校HP(ブログは2011年3月11日で止まっています)
小学校の目の前には、まるで津波などなかったかのように
美しい海が静かに広がっています。
さて、
今日の最初の活動場所、泊浜へ。
さっそく、ヘアカットとマッサージの開始です。
「じゃ、ちょっと行ってきますので」と、
区長さんがバイクでどこかに行った・・・?かと思ったら、
「みなさま、これからカットが始まりますので~~~~~お集まりください~~~~~~」と、
浜中に区長さんのアナウンスが響き渡りました☆
途中から、
ちょんまげ隊みちのく仙台支部と
関西支部が無事に合流。
関西支部(大阪)のメンバーからは
有名な551蓬莱の豚まん(写真はパート2で載せますが)とメッセージカード、
そして手作りの小物やヘアアクセサリーが届けられました。
仙台支部からは、今話題の塩麹のプレゼントも。
(‐^▽^‐)
ご機嫌の区長さん。
区長さんからは、地震が来た当時の浜の様子を伺いました。
写真も見せていただきました。
災害時は、正確な情報の迅速な伝達がほんとうに大切です。
命を左右します。
アクセサリーに目を輝かせるお母さんたち
その様子がなんだかとてもかわいらしかったです☆
(*^.^*)
イケメン美容師の二人による
ヘアカットも順調に進んでいます。
順番を待っている間に
歌のプレゼントも。
最後のお客様は区長さん
記念撮影
時間はあっという間に過ぎていきました。
さて、午後は前網浜に移動です。
続きはパート2にて。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
(*^ー^)ノ
初めて行く仲間が何人か参加し、
今回はちょんまげ隊のアフロさんをリーダーに、
3/20~3/21の日程で行ってきました。
今回は、牡鹿半島にある泊浜と前網浜、そして女川町の高白浜に行きます。
(↓ 牡鹿半島に初めて行ったときのブログはこちら↓)
「美しい海と、牡鹿と、お好み焼きと」
***************
実は出発当日まで体調が良くなく
ずっと休んでいたのですが、
なんとかちょっと回復してきたので、出発を決めました。
(遠征中は、車酔い以外は体調も回復しました。よかった…)
今回のスケジュール
3/19:夜11時に集合、出発(車中メンバー:アフロさん、ゆっこちゃん、ともぞーくん、カズコさん、ヨシナオくん、わたし)
3/20:早朝に石巻着
・日和山から石巻市内を眺める
・牡鹿半島へ。ちょんまげ隊みちのく仙台支部(たまさん、さとみちゃん、今野醸造のお嬢様二人)と関西支部(いのっちさん)が合流、泊浜にて最初の活動(ヘアカット、マッサージ、大阪から豚まんとアクセサリーなどのプレゼント)
・移動して、前網浜の仮設住宅にて次の活動
・仙台市内へ移動、「利久」にて夕食(ここで仙台支部とはお別れ)
・カッパ邸にて宿泊
3/21:朝、カッパ邸を出発、関西支部を駅に送り、女川へ向かう
・途中、石巻で「高白浜布草履組合」の八木さんと合流、高白浜仮設住宅へ(途中、女川のコンテナ市場の建物を見学)
・高白浜到着、布草履作りの見学、マッサージ隊の活動
・津波が来たときの話を聞く
・「おさかな市場」で買い物
・石巻市内でランチ
・ホット横丁石巻でデザート
・帰途につく(そして大渋滞に……)
********************
19日夜、東京を出発。(画像ブレブレですみませんw)
車は何事もなく順調に進み、20日の朝4時前には、すでに宮城へ。
時間があったので、石巻の日和山へ行くことに。
雪景色の石巻。
眼下には、かつて住宅やビルが建っていました。
今は、ほぼ更地です。
この1枚は、2011年5月の写真。
同じ日和山から撮られた写真です。
(あべしさん〔@abeshi08〕から頂きました)
花が手向けられていました。
あの日も、こんな寒さだったのかな……
この川いっぱいに水があふれていたんです。
橋のところに見える丸い建物(石ノ森萬画館)の3分の2くらいの所まで水があったそうです。
時間になったので、日和山を下り、
石巻から女川を経由して牡鹿半島へ向かいます。
石巻市内。
震災当時、手書きの壁新聞を制作して人々に情報を伝えた
「石巻日日新聞」の建物。
女川港の光景。
1年たった今も、このような状態です。
もともと海の前は埋め立て地。
そこにスーパーなどの建物が並んでいましたが、
地震により地盤がゆるみ、建物は倒れました。
さらにそこに、あの津波です。
今も横倒しになったまま残る建物
このあたりは地盤沈下がすごかったです
谷川(やがわ)小学校。
2012年の3月24日、閉校となります。
→谷川小学校HP(ブログは2011年3月11日で止まっています)
小学校の目の前には、まるで津波などなかったかのように
美しい海が静かに広がっています。
さて、
今日の最初の活動場所、泊浜へ。
さっそく、ヘアカットとマッサージの開始です。
「じゃ、ちょっと行ってきますので」と、
区長さんがバイクでどこかに行った・・・?かと思ったら、
「みなさま、これからカットが始まりますので~~~~~お集まりください~~~~~~」と、
浜中に区長さんのアナウンスが響き渡りました☆
途中から、
ちょんまげ隊みちのく仙台支部と
関西支部が無事に合流。
関西支部(大阪)のメンバーからは
有名な551蓬莱の豚まん(写真はパート2で載せますが)とメッセージカード、
そして手作りの小物やヘアアクセサリーが届けられました。
仙台支部からは、今話題の塩麹のプレゼントも。
(‐^▽^‐)
ご機嫌の区長さん。
区長さんからは、地震が来た当時の浜の様子を伺いました。
写真も見せていただきました。
災害時は、正確な情報の迅速な伝達がほんとうに大切です。
命を左右します。
アクセサリーに目を輝かせるお母さんたち
その様子がなんだかとてもかわいらしかったです☆
(*^.^*)
イケメン美容師の二人による
ヘアカットも順調に進んでいます。
順番を待っている間に
歌のプレゼントも。
最後のお客様は区長さん
記念撮影
時間はあっという間に過ぎていきました。
さて、午後は前網浜に移動です。
続きはパート2にて。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
(*^ー^)ノ