今日は、久々に以前勤めていた部署で勤務です
業務上そういう必要があるわけではなく、
単に家の近所の内科で健康診断をするのに便利だから前の部署勤務にすることにしました。
基本的には、自分の部署に勤務する必要があるのですが、
↑当たり前か
個人的な事情で
フレキシブルに通勤できるのはありがたいことです
こんな日は、
ネットワークという大義名分で、
元同僚達とくっちゃべりまくります
↑あくまで情報交換
とりあえず、
バスで早めに家を出たので
近くのカフェでお茶してます
さて、
ここ数日ちょっと忙しくしていました。
私、福祉系の公務員なのですが、
ちょっと何かあると、
メディアにチクるぞとか
地方議員にチクるぞとか言う
市民の方々が稀におられまして、
本部の方に直接苦情がいくと、
実際に金銭面や生活環境で
どれだけ窮地に立たされているかは別として、
とにかく
大至急対処するようにお触れがきます。
こんな時は、
実際の問題処理だけでなく、
本部への経過報告も求められるので、
こんなのが1件入っただけで、
その日の予定は全てキャンセル
それも業務のうちなので、
仕方ないんですけどね。
何が腹立つって、
省の体裁を取り繕うことだけに必死な人達と1日何度もやり取りすること。
こちらが
ご立腹の市民と直接会話を重ねて丸くおさめても、まだ足りないと言わんばかりに本部の方からアレしろ、コレしろ、と指示が入る。
その間に
騒ぎ立てずに
おとなしく自分の番を待つ他の市民達は、
こちらの事情もわからずに
ただただ待たされる。
先週からそんな事態が2件ほど続いて、
神経がすり減ってきたような
尖ってきたような。。。
そんな矢先、
かわいがっている後輩のお父様が急逝。
しかも孤独死。
昨日は、
お父様のお葬式に参列してきました。
色んな人種の集まるこの国では、
お葬式も多種多様。
どんなお葬式か想像もつかないで会場に向かったのですが、
今まで経験した中で、
最短、、約30分で終わりました。
参列者は、
家族や友人など、
30〜40人くらいでしょうか。
そのうち約10人は、
うちの部署の職員なので、本当に小さなお葬式。
ホテルカリフォルニアが流れると
兄弟、親戚が棺をかかえて入場。
セレブラントと呼ばれる女性が故人の生涯を紹介。遺族が提出したエピソードを元に綴られたと思われる内容は、服の好みから性格まで、後輩とお父様の似たところが手にとるようにわかるほど愛に満ちて、暖かいスピーチでした。
それから、
故人の妹さんが
真っ赤なセーターに真っ赤な毛糸帽、ギターを片手に登場
時には涙ぐみながら、
時にはユーモアを交えて、
お別れの挨拶、からの弾き語り。
そして、
喪主的な立場の後輩のスピーチ。
ヤンチャだった父とは、
10年ほど関係が途切れていて、
やっと最近、関係を修復する方向にあったのに突然逝ってしまった。
父がいなくなってみると、
母の目に写っていた父の姿が見えてきた。
そして、
それまで抱えていたわだかまりが全て消えてしまった。
そして気づいたのは、
自分の良いところが全て母から受け継いだわけではないこと。
家族を大事にすること
学びに対する姿勢
哲学を愛する心
これらは全て父から受け継いだもの。
そして、そんな良さを自分に注ぎ込んでくれた父を誇りに思う。
感情的になるわけでもなく
ひと言ひと言を噛みしめるように紡ぎ出し、
言い終えたところで、
優しく棺に手をあてて、彼のスピーチが終わった。
普段、
想像力が豊か過ぎて、会話をしていてもポイントがどんどんズレてしまう後輩。
そんな彼が
心をこめて父へ贈った言葉。
失ってしまったことを悔いるわけでもなく、
誰を責めるわけでもなく、
いたらなかった父を美化するわけでもなく、
ただただ、愛を持って、父を送り出そうとする姿勢。
人生の大切なものを気づかせてくれたような気がしました