Smilescape

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日々思ったことをツラツラと

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今日で震災から7年が経ちました。

今年は日中に用事もなく、自宅で黙祷をして、久し振りにブログを書いてみようかなと思ってパソコンに向かっています。

 

震災の日、「あれ?この揺れおかしい。。。」と思って飛び出た事務所。道路に立っているのに揺れが分かる。まちの目印である駅のタワーが揺れている。落ち着いた後に商店街をまわって、知っている人には声を掛けたと記憶しています。

テレビで見る東北の映像。事業の1つで運営するアンテナショップは三陸の物産をメインに始めたものだったため、前年に気仙沼、陸前高田、大船渡にも伺っていました。ショックというより、ただひたすら安否確認を1週間くらいやっていたかと思います。

一番つながりの深かった陸前高田には、義援金を集めて支援物資と一緒に4月にトラックで行きましたが、道中の気仙沼で陸に上がった船、内陸部なのに海まで見えてしまう陸前高田の光景が強烈過ぎて、正直そのほかの道中のことはほとんど覚えていません。

このまま東京にいて何ができるんだろう?物産を売って支援をと思っても、その物産がない。義援金はどんどん集まらなくなる。東北につながりのある方に話を聞いたりもしました。まずは東北に住むところからじゃない?と何人かの方に言われた気がします。たぶん震災の半年後くらいには東北に行くことを決めていた気がします。

 

父方の亡くなった祖父母は秋田の出身ですが、自分自身はずっと東京育ち。最初は友達・知人なんて1人もいなかったし、バカだから騙されちゃって東北来て3ヶ月で無職になったりもしたけど、移住する決意を応援してくれた東京のみんなと、復興のためにって気持ちが最初の数年の押し潰されそうな時期を支えてくれていました。

 

ボランティア活動とか遊び場で子供と遊んだりとか、6次産業化の目線で生産者・加工業者さんの支援だとか、土木・建築現場で職人さんと体動かしたりとか。まぁ色々ありました。最初の1年は公私すべて時間を注いでただろうし、それがあったからの今。

 

移住してから6年。被災地支援をきっかけに今では友だちになった同世代は、なんだか色々話を聞く中で俺が友達になってと言ったはずです。土木現場で知り合って当時は本当に世話になった人は先日も車のバッテリーがあがったら助けてくれました。あっちこっちのコートに顔出していたらバスケ仲間もいっぱいできて、普段からお誘いの連絡もたくさんもらえて、大好きなバスケと仲間に救われている時もいっぱいです。

 

仕事は、今の建設コンサルに勤めさせてもらって4年以上が経ちました。たぶん、恵まれすぎていることに震災復興に係る仕事にも多く関わってこれたし、業界で旬なその年ごとの業務にも関わらせてもらえていた気がしますが、ちっぽけな1人の力がどこまで被災した地域のためになっているのか。今でも自問自答の毎日です。

 

このブログのタイトルにもしているように、せめて自分の周りにいる人たちだけでも、自分と関わった人たちだけでも、一緒に笑顔で何かをできたらなという気持ちはずっと変わっていません。

 

笑顔の景色をつくるために、思いやりをもって人と向き合って、自分を高めることに精進する。

 

親父に東北に行くと言った時に「中途半端な気持ちじゃないだろうな。行くなら東北に骨を埋めるつもりで行って来い。」少し言葉のニュアンスは違ったけど、そう言われました。

 

そう、中途半端な気持ちで東北に来てないんです。仕事は生活するための稼ぎがあればいいとか、そんな気持ちでやってないんです。す〜〜〜〜〜〜〜っごく最初は辛かった!今だから言うけど。何回か心も折れた。でも、今も東北で仕事してます。転勤とかにならない限り、これからも骨を埋めるつもりで東北のまちづくりと向き合っていたいと思います。

 

おわり