痛みってどうやって感じているのでしょうか?

 

痛みは脳までどのように伝わるのか

 

そう、痛みを認識しているのは脳であり

 

例えば、同じ刺激を多数の人に与えたとして

 

その感じ方は、生活環境や考え方で人それぞれ違うため

 

痛みの認識も人それぞれ違います。

 

 

僕は、整体やCS60で直接人の身体に施術を施す仕事なので

 

それはよく感じる事です。

 

 

ガチガチなのに痛覚が無い人

 

柔軟なのに刺激に弱い人

 

感覚のマヒ、逆に神経過敏…

 

 

例えば同じように施術をしても

 

人それぞれだし、右半身と左半身で感じ方も違ったりする。

 

この辺の深掘りは今回は割愛しますが…

 

 

当院のクライアントの実際の例で仮説を立ててみます。

 

 

 

現在は、ほぼ寛解していますが

 

以前は繊維筋痛症で体中の痛みを訴えていました。

 

10年以上お仕事で酷使している足は

 

その使い方による変形もみられる。

 

ウォルフの法則

 

Julius Wolff(1836~1902年)が提唱した

 

正常にせよ、異常にせよ、骨はそれに加わる力に抵抗するのに

 

最も適した構造を発達させるという法則であります。

 

 

既往歴は股関節脱臼

 

股関節は人体で一番堅固な関節のため

 

通常、脱臼するとしたら事故やバンジージャンプなど

 

かなり強い衝撃であることが多い。

 

 

しかし、このクライアントはその長年の

 

踏ん張るような仕事で脱臼したと言う。

 

 

繊維筋痛症、足の変形、股関節脱臼…

 

そうとう身体を酷使し、尋常ではない忍耐力のかたなのであろうと想像しました。

 

 

なぜここまで我慢できた?

 

通常、痛みの信号が脳で認知され

 

もう無理だ、と判断したりします。

 

 

が、このかたの幼少期のお話しを伺うと仮説がみえてきました。

 

幼少期、御兄弟の身体が弱く寝たきりで

 

自分自身の痛みやしんどさを訴えても

 

親は「おまえの痛みなんて大丈夫だ」と

 

兄弟と比べられていたのでした。

 

 

 

生まれたばかりの赤ちゃんの心は100%ピュアで

 

幼少期も当然純粋であります。

 

 

子どもは現実的な表現方法も、伝え方もまだ未熟で

 

受け取る情報もまた疑う事を知らない。

 

 

つまり、「私の痛みは言ってはいけない事なんだ」

 

と、認識してしまい

 

その脳は、痛みのレセプターをブロックしてしまったのではないでしょうか。

 

 

 

実際に子供の頃、足が痛いと親に訴えるも

 

取り合ってもらえず、近所の方が

 

歩き方がオカシイのを見て

 

親御さんに「あれは本当に痛いんだと思うよ」と

 

伝えてくれて、そこでやっと病院に連れていかれ

 

骨折が発覚したという。

 

 

意識(認識)はものすごい力を秘めています。

 

それは、良い意味でも良くない意味でも。

 

 

この場合は後者に働き

 

大人になってもその認識は続き

 

究極の痛みをブロックする思考になってしまったと考えられる。

 

 

が、それでは身体は壊れてしまう。

 

そこで正直なカラダ君は

 

「それはオカシイよ」と

 

様々な疾患や怪我を通して表現したという事だ。

 

 

 

こういったことからも想像できますが

 

子どもの教育は

 

「あれもダメ、これもダメ」と

 

抑圧的な教育をして可能性の蓋を閉じてしまうより

 

可能性を拡げる事のできる、見守るような愛情が

 

必要なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

子ども達の感性はとても優れています。

 

だから大人が子どもと向き合う時は

 

エゴ、作業としてや、言葉だけ綺麗ごとを言っても

 

その鋭い感受性で受け取っている部分もあると思います。

 

 

大人の世界で忖度や陰険な嫌がらせがあるから

 

子ども達の世界でもいじめが無くならないのだ。

 

 

そろそろみんな気付こう。

 

現実的な勉強なども大事だが

 

見えない愛、思いやり、祈り…

 

 

そういった古来、日本という国が大事にしてきた

 

精神文明や文化をもう一度見直していきませんか?