織田信長が1582年に明智光秀によって自刃に追い込まれた、
本能寺の変に共犯者がいるのではないかと言われていますが、
私は単独犯だと思います。
明智光秀は天下をとる野望よりも信長にたいする恨みが、
大きかったと思います。
毛利征伐を任された秀吉の支援のためとして、
光秀は所領であった丹波を取られ、
敵地である出雲と岩見を与えられます。
敵地である所領は戦に勝たないと手に入りません、
そんな理不尽な命令をした信長を恨んだと思います。
信長の残忍さにも憤っていました。
光秀が謀反を考えたのは性格的なことにも一因があるようです。
理性的な教養人であり真面目な性格で小心者でした。
光秀と対照的なのが秀吉です。
田舎者でユーモラスな秀吉は一見お調子ものですが、
実際は信長の事を冷静に見ていまいた。
秀吉は信長に気に入られるように努め、
頭角を現します。
秀吉の政治家のセンスでした。
一方世渡りが下手な光秀は、
鬱憤とした思いをため込んでいたと思います。
信長を討つという苦渋の選択をしたのですが、
彼は使える主君を間違えたと思います。
徳川家康に仕えていれば彼はこのような馬鹿な事は、
しなかったと思います。
激動の時代を渡る政治的感覚が信長の言動によって、
ゆがめられたと思います。
謀反後明智光秀は孤立し、
秀吉に打たれます。
政治的には無謀な事をしたと思いますが、
間違ったことをしたようには思えません。