私事ですが、先週末は息子と茨城の実家に行きました。
初めて会う1歳半のいとこを、弟のように可愛がる息子。
じゃれあう孫たちを目を細めてみつめる両親。
初めての出産と子育てを遠いアメリカ・ボストンで立派にしてきた妹に、
ただただえらいなあと感心しました。
日本へのフライトはだんなさんも一緒だったけれど、
仕事で先にだんなさんが戻ったため、
ボストンに戻るフライトは幼い子を連れての二人旅。
帰国の機内が心配でしたが、
成田を経つ朝に、ボストンで起きたまさかのテロ事件。
無事、妹親子は帰宅したものの、
毎日報道でボストンの地名を目にするたび、胸がいたみました。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしつつ、
生まれたときは、みんな無防備なあかちゃんなのに、
どこでどう間違えて、ひとを傷つける犯罪者にかわってしまうのか、
悲しいニュースに触れるたび、心がざわざわとしました。
そんななか、読み聞かせでおなじみの啓子さんが、
ナンセンス絵本の作者として有名な内田麟太郎さんの「かあさんのこころ」を読んでみて、
と手渡してくれました。
幼くして母を亡くした小熊の「ぼく」が、悲しみの底にあったときの気持ちをつづります。
ずっと一人称の悲しみを抱えながら育ち、やがて家族ができ、おじいさんになった「ぼく」。
「ぼく」が抱えてきた悲しみよりもずっとずっと深かったかあさんの悲しみに
想いを寄せる「ぼく」がいます。
内田さんは子供時代、悲しみと憎しみの中に生きていたと言います。
内田さんのあとがきには、
「どの子も無条件に愛されてほしい・・・それがいま私の一番の願いです。悲しい時をすごさなければならなかった子は自分を愛せない子になります。それを取り戻せるのはただ優しい人との出会いだけです。」
とあります。
内田さんの自伝的な絵本に
私は、いつも底なしに優しい義父と、実父に、この小熊の姿が重なって、涙がとまりませんでした。
まだ10歳足らずだった義父を残して義父の母は亡くなりました。義父をわが子のように、愛し、叱り、生涯をかけて育ててくれたのは、義父の母の妹、つまり義父の叔母で
「結婚もせんと、ぼくら兄弟を育ててくれたんやで。」と嫁の私によく話してくれる義父。
世の中には、実母が生きていても、その愛を受けられずに(あるいは気づかずに)育つ子もいることでしょう。たとえ、周囲がそれに気づかなくとも、地域の子はみんなで育てる、そんなふうに思い合える住民がたくさんいる地域に育つ子は、きっと自分を愛せる子に育つと確信します。
私の実父は、明治生まれの実母(私の祖母)から、いまでいえば児童虐待?!と思わずにはいられないような厳しい仕打ちを受けながら育つも、私と妹に、あふれんばかりの愛情をそそいでくれました。
血のつながった祖母を悪く思いたくはありませんから、
きっと息子を立派な大人に育てたかったのだろうと思うことにしていますが
いずれにしても、よくぞ虐待の輪廻を絶ってくれた、と父に賛辞をおくりたくなります。
義父と実父のなかにある優しさの種、どちらも私が受け継いで、次の世代に渡すことができたら、祖母たちも喜んでくれるでしょうか。