2月28日、無事にホンジュラスでの2年間の任期を終えて日本に帰ってきました。
日本、寒い!!!次の日には東京でも雪。Tシャツで過ごしていた国から、いっきに雪国へ。
でも、久しぶりに肌で感じる、あの寒さにちょっと感動。

日本は、本当にすごい先進国です。もう、コンビニで梅干おにぎり買うだけでめっちゃ楽しいです。今まで気づかなかった、日本の生活の当たり前が、今は、なんか違う角度から見えてきて、全てが新鮮。
24時間、水道から透明で清潔な水がいつでも出るし、
5分待てばすぐ来る東京の地下鉄に向かって猛ダッシュしてる人いっぱいいるし
スマートフォンか i phone かよくわかりませんが、みんな指でページめくってるし
日本のお米めっちゃつやつやしてる。
そして、飛行機から日本列島が見えたとき、「日本って平べったい」と思いました。
ホンジュラスはもっともっと山がちで、山の上にも、今にも崩れそうなところにまで、家がびっしり建ってたな。

昨日食べたもやしラーメンの、しゃきしゃきもやしと焼き海苔の香ばしさ。
しらす丼としょうゆのコラボ。ぎっしり詰まってるアンパンのつぶあん。
いやー、やっぱり日本食。

無事に2年間を終えられた今、ほっとしていると同時に、2年間の思いがいろいろです。
配属先と大喧嘩もしたけど、助けてくれた人たちがいて、かわいい子供達との活動。
うまくいったことも、うまくいかんかったことも、今では、全て自分にとって、人生の大きな糧になっている気がします。
「ボランティア活動」やったのに、自分が学ぶことのほうが多かった2年間。でも、あの25人の子供達は私の2年間の成果。やっぱり、「お互い様」のカタチで出来上がってるんやと思います。

2年間で遭遇したホンジュラスであった危険恐怖体験、体調不良体験。今まで黙ってたけど、無事に帰国できたので、今なら「実はあの時…」って笑って暴露できます!w
ホンジュラスで出会った人はもちろん、日本で応援してくれたみなさん、本当にありがとうございました。この2年間を整理しながら、また新しい生活を始めたいと思います。

このブログも、今日をもって終わりにします。みなさん、ありがとうございました。
直接お礼が言える、もう目の前のその日まで。
いよいよ、ホンジュラス出国。まだ実感はないけど、日本は楽しみ。でも、やっぱり淋しい。
2年間が終わるんやなぁ。
カサクラは今、本当に最悪の状態である。もう、ジョバンニが一人で好き放題している。
こんな腐った心を持った人間がこの世にいるなんて、初めて知った。
「美しい、と思えるあなたの心が美しい」という言葉があるから、カサクラを「腐ってる」なんて思う私の心も腐ってるのかもしれんけど、もう、こんな腐ってるもの食べ物以外で見たの初めてです。あれ以来、ジョバンニと会うことは2度となかった。

でも、今回は、こんな気持ちになっておいてもいいかな、と思うのです。だって、本当の気持ちやし、今後似たような問題に出会ったとき、きっと今回のことを思い出して、ずっとましに見えて楽に考えられる気がするから。
そして、ある人が言ってくれたんです。
「このカサクラの問題は、ずっと前からあった。ただ、誰も注意しなかっただけ。いつかは、こうやって誰かが言わないとだめだったんだよ、カサクラのために。それが、さやとマルビンと、チェピータ先生やったんだよ。」

カサクラからしたら、完全に私たちが悪者である。でも、これでよかった、と思う。
カサクラを立て直すために。今回のことをきっかけに、将来、どうか今よりうまく機能してくれることを願う。子ども達のために、エルパライソの市民の人のために。

でも、いつも、私を助けてくれた人もたくさんいた。いつも私たちの味方でいてくれて最後まで手を貸してくれたチェピータ先生、一緒に活動してくれたマルビン、
私が、心から信頼できた人は、上記の2人だけです。もちろん、エルパライソに知り合いはたくさんできたけど、心置きなく何でも話せて信頼できた人は、上の2人だけ。

言葉が違う分、分かり合うのにも時間がかかったけど、この人たちと出会えて、私の2年間はあったと思います。そして、音楽を通して出会ったあの25人の子ども達は、私の2年間の成果。
知り合いをたくさん作ること、よりも、心から信頼できる人を少しだけ作ることのほうが難しい。でも、前者の何倍も、生活を深く、豊かにしてくれる存在だと思いました。
そして、彼らのおかげで、言葉の壁も超えて、異国での生活をやり過ごせたんやと思います。
いつも、私のつたないスペイン語を聞いてくれてありがとう。

同時に、自分の小ささも知りました。この2年間で、私は少なくともあの25人の子供達には、残せるものがあったと思う。でも自分は本当に、まだまだやなぁと。帰国して、もっとパワーアップした自分になりたいです。協力隊に挑戦しなかったら、きっと来ることのなかったホンジュラス。名前すら知らないままやったかも。でも、そんな日本の裏側の国で知り合った人たち。
ホンジュラスは、私の第2の故郷です。
いつもメールやコメントをくださった日本のみなさん、そして支えてくれた家族、ありがとうございました。いつも大きな支えでした。

ある教会の神父さんが言っていた言葉。
siempre hay solucion. nada mas que hay que tomar desicion para seguir adelante sin olvidarse de la corazon de ser humilde que tenemos desde nacer en esta tierra aunque nosotros humanos somos pecadores.
キリスト教のホンジュラスだからの言葉かも知れませんが、
「どんな時も解決策はある。ただ、決意をしなければならないだけ。前に進むために。過ちは誰だって犯してしまうもの。私たちは人間だから。でも、この世に生まれた時から持ち備えている、人間の謙虚な心を忘れずに。」

さて、日本に帰ります!ありがとう、ホンジュラス。
エルパライソ子供ミニバンド、最終公演が終了しました。全4回公演。
「ドレミの歌」「聖者の行進」の2曲。ということで、私の活動も、終了。
$SMILE for you...
お世辞抜きで、本当に、今までで一番いい演奏やった。ほんまに上手やった。
$SMILE for you...
最初はドレミも知らなかった子供達が、頑張れば、ここまで楽器演奏が出来るようになる。
$SMILE for you...
そしてそのあと。私の、送別会をしてくれたのです。もう、びっくりするぐらいに、子供達が、泣いてくれた。正直、まだ子供達も小さいし、日本がどこにあってどんだけ遠いところから来てるとか、そういうのわかってないし、外国人っていう存在もまだよくわからんと思ってた。
でも、あの子供達の涙を見たとき、私なんかでも、この25人の子供達には何か残すことができたのかなぁと、思いました。あの子供達は私の2年間の成果だったと思います。

そしてなんと、私のために、もう一曲特別演奏をしてくれたのです。あとで聞いたところ、実は木曜日と金曜日も練習してたらしい。(ミニバンドの通常リハーサルは火・水・土曜日のみ)
私の知らない間に、ほぼ毎日練習していた子供達。私に聞かせるために。
その曲は、マルビン作詞作曲、演奏、子供達。その曲の歌詞には、こうありました。

「音楽は僕達を結ぶ」
果てしない世界を巡りめぐってここまでたどり着いた
僕達にはじめての音楽を教えてくれた
いつも思い出すよ 忘れられない、その熱意を 大切なことをたくさん教えてくれた
僕達のために ありがとう、さや 僕達にとって特別な人 優しさをありがとう
我慢強く教えてくれてありがとう たくさんの楽器の弾き方覚えたよ さよならは言わないよ
音楽が僕達を結びつけたから 一緒に演奏した曲 今日のこの日も一緒に歌った歌
その心をいつまでも忘れないよ ありがとう、さや

こんな曲を、子供達が、私に隠れて練習してて、当日泣きながら弾き歌いしてくれたのだ。
なんかもう、金八先生ドラマの最終回の脚本にでも使えそうな終わりでした。
この子たちに会えて、一緒に活動ができて、本当によかった。
怒り泣きながら練習したリハーサルの日々。でも、演奏が好きやったから、みんな来てくれてた。きっとこの子たちは、これからエルパライソで活躍してくれる。いつか、大人になったこの子たちに会いに来たい。
しばらくは涙涙やったけど食べるときにはこの笑顔!
作っていったかりんとう、大好評!
$SMILE for you...
ありがとう、子供達。そして、マルビン、チェピータ先生。
$SMILE for you...
毎日会ってたのになぁ。もう簡単に会えなくなるんやなぁ。
明日、この人たちのいる街、エルパライソを去ります。