愛と幸福の現実創造説

上田さち です










【楽しめば現実は思い通り?】
〜楽しむということとは〜






久しぶりの更新になりました




ブログの更新をせずに、
ここ最近ずっと
何をしていたのかというと・・・


勉強をしていました




何の勉強かというと・・・


中学校の勉強です




次男がこの春、中学生になりました


長男は無事に志望校に入学しましたが、
中学1年生の時は
本人が塾には行きたくないというので
自宅で私が教えていました


2年生になった頃には、
自分で出来ると言い出したので
見守るようになりましたが、
次男が中学生になったのを機に
長男と同じく塾に行きたくないと言ったので
自宅で予習復習を私と一緒にしているところです




長男に教えている頃は、
本人が塾に行かないと決めたのだから、
その意思を尊重しちゃった手前、
「悪い成績を取らせてはいけない」
という責任感で教えていた節がありました




なので、
長男への責任の圧は、
仕事や家事に対しても同じで
かなりの圧を自分で加えて
がむしゃらに頑張っていたように思います




それが、
次男が中学生になった今、
次男の勉強に付き合うのが
楽しくて仕方がない日々を送っています





長男が中学生の頃は、
がむしゃらに頑張っていましたし
そのがむしゃらに火をつけていたのは、
「悪い成績を取らせたくない」
という怖れだったので、
教える私も、勉強させられる長男も、
毎日勉強するのが苦しい義務のようでした





その頃の私は、
現実は簡単に創造できるけど
我が子の学業は別
だという風に考えていたのです…





現実の中に我が子も含まれている
のにです




その無意識の思い込みが
私の中にあることに気づき始めてから、
目の前の現実は全て自分が創っている
という信念を貫いていきました




すると、
長男が2年生になり
「自分ひとりで出来る」と言い出し
見守るようになっていきました





次男が中学生になった今春、
毎日一緒に予習復習をしていますが、
長男の時と違って
なぜ勉強が楽しくて仕方がなくなっているのかを
前置きが長くなりましたが、
今回は現実創造でとても大切な要素ですので
シェアしたいと思います
(とても簡単なので身構えなくて大丈夫です)






「現実は自分が創っていると
貫いたからじゃないの?」

貫いたとしても、
わかってるのに出来ない
ということはありませんか?




ネガティブやマイナスのエネルギーを放っていたら
ネガティブやマイナスな現実が創られる
と分かっていても、
ネガティブやマイナスになる時ってありますよね




楽しくポジティブに過ごしていたら、
現実は良き方へと流れていく
と分かっていても、
楽しめない時があるように…





じゃあ、どうすればいいのか






楽しまないといけない!
ポジティブにならないと!
という命令形or強制的な考えをまずは捨てて、
どうしたら楽しめるかな?
という疑問形の考えにしてゆく





我が家の次男の勉強で例えにしましたが、
勉強が好きで楽しいのなら
そのまま楽しめばいいのですが、
次男は4兄弟の中で1番勉強が嫌いでした



勉強が嫌いな子に
勉強を楽しめと言ったところで
楽しむはずがない



言い換えると、
勉強が楽しくないから嫌いになったわけで




嫌いなものを好きにさせるのは難しいですし
楽しくないのにどうしたらいいのか






ここで先程の考えが登場です





・勉強は頑張らなあかん
・勉強は楽しまなあかん

ではなく、


どうしたら楽しめるかな?





これは、
次男に伝えたり押し付けたりするのではなく
私自身がこのように考えればいいのです






どういうことかというと、
教える私が楽しんでいると
教えられている次男も必然と
楽しむようになっていく





現実創造の真髄ですね

自分が楽しんでいれば、
目の前の現実の登場人物も
同じように楽しんでいく





しかし、
その仕組みは分かっているけど、
楽しめない場合は?




その考えも捨てて大丈夫です



なぜなら、
「楽しめないからダメだ」となり
自分を否定するエネルギーを放ちます




楽しまないと!
ポジティブにならないと!
ではなく、
どうしたら楽しめるかな?
でしたよね




すぐに楽しめなくていいのです

「どうしたら楽しめるかな?」でいると
必ず楽しめる考えが浮かんだり、
楽しめるヒントが目の前に現れます




楽しめるまでは、
楽しめないからといって自分を否定したり
諦めてしまうのではなく、
楽しめるまで
「どうしたら楽しめるかな?」と
試行錯誤しているだけでいい





楽しんでいれば
現実は自由自在に創造できるのだけど、
だからといって無理に楽しもうとするのではなく
楽しむにはどうしたらいいのかな?
という考えになっているだけで、
まず楽しめるようなもの(考えやヒント)が
目の前に創造されてゆくのです




そして、
その楽しめる考えやヒントや方法を
手に入れたら(現実創造したら)
それを実践して楽しめばいい




結果、
楽しむ自分になって
現実も思い通りになってゆく
という流れなのです




私自身は、
勉強嫌いな次男に
「どうしたら勉強を楽しんでくれるか」
ではなく、
「どうしたら勉強を楽しく教えられるかな」
という考えでいたので、
自分が面白いと思える参考書や
問題集に出会ったり、
楽しく教えている動画を見つけて
「そうかぁ♩」と勉強の面白さにときめいて
自分自身が楽しんでいると、
次男も必然と勉強に苦手意識が無くなり
「ゲームの攻略と一緒や♩」
と言うようになりました




次男だけでなく、
三男や四男も、高校生の長男も同じように
勉強を楽しむようになったので、
私自身が「勉強はおもろくて楽しい♩」が
目の前に反映されてゆきました





勉強だけでなく、
嫌なこと、
嫌ではないが面倒くさいことなどの
日常に自分が関わることに対して、
どうしたら楽しめるかな?
の考えで向き合うと、
楽しめるアイテム(考えやヒント)が
まず目の前に創造されますから、
そのアイテムを手に入れたら
あとは楽しめばいいのです




楽しんでいると、
自分が欲しかったものや
叶えたかったことが
次々と勝手に目の前に現れます





楽しめないからといって自分を責めないで

楽しめないからといって、
あなたがダメだからではありません



まずは、
どうしたら楽しめるのかを創造するのが先











無条件の愛と祈りをこめて