人生最後の恋って何だろう。
最初は結婚かな、と思ったけど必ずしも「好きな人」とする訳じゃないし、
それならその前の恋かなって思ったけど結婚後に恋をしてしまうこともある訳で、
さらに結婚した人に恋してなくても愛してるって場合を考えたら、恋と愛って何?というすごく根本的な疑問に辿り着いた。
就職活動を始めてから自分の将来を具体的に考えるようになって、
その中にはもちろん結婚も含まれていて、
もし希望通りにバリバリのキャリアウーマンになれたとしたら結婚するんだろうかとか、
結婚相手だけでなくお互いの家族との関係も気にしなくちゃいけないんだろうなとか、
昔よりも現実的なこととして結婚を想像してる。
昔みたいに、好きな人と結婚するのが最後の恋って純粋に考えられないことがなんだか悲しい。
久しぶりに深夜モードになりました。
とりあえず本はどの話も面白かったから、今度は女性バージョンも買おう。
おやすみなさい。

最近就職活動をしている中で「学歴」という言葉をよく聞きます。
某掲示板ではどの会社のところでもそれについてのやり取りが多々されていて嫌な気持ちになります。
あのやり取りで誰が得をするのでしょうね。
さて、この「学歴」とは何なのか。
浪人までした私にとっては「努力の証」です。
正確に言えば、その人がどれだけ努力をしたかを計るバロメーターでしょうか。
私は私なりに努力をして、第一志望校に合格をしました。
一年間をそのためだけに使いました。
ですからその努力の証が自分の学歴だとはっきりと言えます。
それでも、自分の学歴に多少のコンプレックスを持っています。
進学校だった高校の同級生たちは、それこそ「高学歴」と言える人たちばかりですから。
ですがその人たちはそれ相応の努力をして、その大学に入ることができた訳で、単純に私はそこまでの努力をしなかったのだ、ということなのだと思っています。
私の友人に、二浪して私と同じ大学に入り先日さらに上の大学の編入試験を受け合格した人がいます。
その大学は彼女がずっと目標にしていた大学でした。
今回の合格は彼女の努力の証以外の何物でもないでしょう。
高校時代、浪人中、大学入学後も勉強を続け目標を達成した彼女の学歴に文句を言える人はいないはずです。
学歴云々で言い争う人たちには、そのことについて一度考えてほしい。
高学歴の人たちは、すでにそれだけの努力をしてきたということを。
また、自分たちはその大学に入学したからすごいのではなく、そのための努力をしてきたからすごいのだと。
その努力の度合いが就職活動の選考条件の一つになったとしても、何もおかしくはないでしょう。
学歴フィルターを持つ企業に文句を言うのではなく、それまでに努力をしなかった自分に文句を言うべきなのではないでしょうか。
だらだらと書きましたが、もちろん学歴が全てだとは思いません。
ただ、あの不毛なやり取りをする人たちは何故もっと根本的なことを考えないのかと思い、自分の考えをまとめてみたかったのです。
浪人の時に始めたこのブログは、私にとって独り言の場、考えをまとめる場なので。
次の更新もまた何か起こった時にするのだろうと思います。
さて、なんとなくすっきりしたし就活頑張ろう。