未だに小さいときの事を根に持ってて、自分小さいなぁ、イタイなぁ。。。と思うのだが。

しかしどうも私は両親の事を尊敬できる大人とは思えないようだ。

 

いや、少し違う。

父親の事は尊敬できる。一つのことを長くコツコツできるのは凄い、そしてとても律儀な人だった。

やたら細かいしネガティブ発言ばっかだった点は苦手であったが、ベースがしっかりした人だった。

そして、残念ながら私は少しもその性格を受け継いでいない。

母親の事は、尊敬できない面があるのを通りこして、少しだけ軽蔑も入っている。

自分で考えず何でも人任せな点や人には厳しいくせに自分には甘い点、自己中な点。人間のベースが割とガタガタである。

でも残念ながら私は全て受け継いでいるから、自分を見ているようで益々イライラする。

 

外に出て色んなチャレンジをして、失敗や辛いことがたくさん重なると、

どうして私はわざわざ苦しい方を選んだのだろう、現状に満足していれば、安定的に暮らせたのに。と思うのだけれど、

いざ大人になって実家に帰って来て、居心地の良い世界で環境を変えずに成長が止まっている両親を見ると、

人間現状に満足するとこんな大人になってしまうんだ、自分は絶対にそうはなりたくない、この人たちとは一定の距離を取った方が良い。という思春期だったあの頃の考えが蘇る。

そして10代のころ何故あんなに外に出たかったのか、納得した。

もし今もう一度選択しろと言われても、私は間違いなくチャレンジをすることを選ぶ。

親の姿を見て、自分自身を客観的に見れないことは、それだけ恐ろしいことだと思った。

 

そして自分も経験を積み重ねて大人になってくると、客観的に自分の家庭を見れるようになる。

皮肉にも親とほぼ同じルートを選んだことによって、理解やジャッチが出来る立場になってしまった。

もちろん時代や環境の違いがあるから、全く同じとはいかないのだが、

私ならもっと上手くやれる、と思うこともあるし、

それは単純に自分が楽したかったんだな、とわかる場面もある。

そして、それは駄目でしょ?!と親の非常識さにびっくりすることもある。

結果として、親は人として尊敬できないな、、、という残念な結論に至ってしまった。

 

小林家と一緒にいると、ファミリー感の温かさがあるのだが、

血の繋がっている家族は、実はあまり好きではない。というより、友達と同じ感覚だったりする。

根本としては、子供を飢えさせてはいけない、という必要最低限の子育て論に帰すると思っている。

人間としての大切な考え方や、人付きあいの仕方、ルールやマナーを守ることを教えてもらった記憶がない。

これらは全て、外の世界で人と関わる中で覚えてきた自負がある。

とにかくうちの親は子供に共感するということが、あまり無かった。

家に帰れば食べものや着るものに困ることは無かったけど、家庭を温かいものだと思った記憶が、、、ほぼ無い気がする。

むしろずっと家から出ていきたいと思っていたし、大人になった今も、毎日一緒にいるとだんだんと息が詰まってくる。

お金には困らせてないでしょ、っていう顔をされると、今でもすごく嫌な気分になる。

 

自分もそうだから、わかってしまうのだが、家族のことには積極的に動いていない親なのだ。

義務があるから仕方ない、というだけのことである。

 

そして見事に私も、親に対しての感情は、

義務があるから仕方ない、というだけのことみたいだ。

精神的にはとっくの昔から依存はしていなかったし、有難いことに金銭的な依存も、旦那さんのお陰でほぼしなくて済みそうだ。

 

私は強い。だから慈しみの気持ちで、接しよう。