何度YouTubeでインディ500のラスト数ラップを見ただろうか?
観客席からのプライベートビデオもほとんど見たはずだ。
おっさんなんで涙もろくなっているから、見るたびにウルウルだ。
インディはほとんど見たことはないが、F1はかれこれ20年は見ていて、
それなりにオープンホイールのモーターレースは詳しいと自負している。
そんな私の長年のモータースポーツ観戦歴においても、
今回のインディ500の最後のリスタート後の展開は、もう忘れられない印象だ。
一番印象的だったのは、琢磨がファイナルラップでクラッシュしたあと、
多くの観戦者が残念がっていたことだった。
多くの人が頭を抱え、すぐにフランキッティを称える人が少なかった。
普通なら、まだあまり活躍していなくて有名でない琢磨がクラッシュした途端、
「ははぁ!ざまーみろ!フランキッティ最高!」って大騒ぎになるはず。
しかしそうではなかった。
おそらく、すでに31周も琢磨がラップリーダーであって、先頭争いにいつもいたことで、
「お?こいつやるな?」って感じで、観客にまず覚えられた。
そして、最後のリスタート後の怒涛の追い上げ。
とうとうラスト2周目のディクソンに対するオーバーテイクで完全にアメリカ人の心を鷲掴みにしたに違いない。
そう、あのオーバーテイクがなければ、ここまでこのラストのクラッシュ後に物議を醸さなかったであろう。
ファイナルラップの1コーナーの観客の歓声の大きさは、ビデオでよくわかる。
そしてクラッシュ後の悲鳴の大きさと、対照的なその後の静けさ。
この状況を作った男が、琢磨なのだ。
何回ビデオを見ても、琢磨の勝利のチャンスはあの1コーナーだけだった。
フランキッティも琢磨もわかっていた。
しかしフランキッティが有利だったし、本当にうまく琢磨をブロックして狭くしたインに誘い込み、ホンノちょっと、さらに閉めた。
そのホンノちょっとで、琢磨は1クイックステアリング修正させられ、
そしてコーナー入口の誰も通らなくて真っ白いままの白線の上を走り、スピンした。
このホンノちょっとで琢磨がスピンするという結果になることは、フランキッティも分かっていたはず。
確実な勝利のために、ホント、アナウンサーが言ってたように、gray areaのリスクをフランキッティは背負ったのだ。
インディ500は、優勝者以外の表彰台はなく、2位以下は皆敗者という特殊なレース事情がそうさせたのだと思う。
だからフランキッティが汚いとは言わない。
F1では、あれは全盛期のシューマッハがしていた行為であり、
現在ではペナルティの対象である。
残念だが、完全にあれは最初からフランキッティの勝ちであって、
琢磨はまんまとやられてしまった。
私は特攻精神の琢磨に感動しているわけではない。
あれは特攻ではない。
観てる方も、もちろん琢磨本人もあれが自爆行為とは思っていなかったはずだ。
少なくともスピンするまでは。
スピンしてから、あれは無理だったとか、我慢が足りなかったとか言ってるだけで。
本当にワンチャンスだった。
だから白線踏んでも滑らない可能性もあった。
必然的にスピンしただけだ。
ほんのちょっとの可能性、つまり奇跡が起こらなかっただけなんだ。
このほんのちょっとの可能性に、あの琢磨がブッ込んでいったのです。
レーサーの本能で。
そして多くの観客やテレビ視聴者を唸らせた。
その張本人が、われらが日本人の琢磨だったんです。
あの超大舞台で主役を演じたのが、琢磨なんですよ?
どうでしょう?
F1なら、あの1992年のモナコの、セナとマンセルのラスト5周の攻防に匹敵すると私的には思っています。
あの時、マンセルがタクマのようにリタイアしていたとしても、
あの攻防の凄さに一切の曇りはかからなかったことでしょう。
そういうことです、今回のインディもね。
あのモナコは、セナ優勝、マンセル2位という結果よりも
あのバトルを皆が覚えているんですね。
そして定期的にあの映像が流れる。
そう、琢磨もインディの歴史に刻まれた瞬間です。
ただ、今後、インディ500を制する日本人が登場するのかどうか。
マンセルは、インディ500もモナコも勝てなかった。
今回のインディのレースは感動的であったが、ちょっとレースに詳しい人にとって
いろんな意味合いで、物悲しく感じたと思う。