やっと気管切開の跡のオペを担当してくれた
三鍋先生に診察してもらうことに。
5/1の夕方に、執刀から約半月後。
先生は、私のブログを覗いていたとみえて
消毒を担当してくれたドクターや、抜糸をやっていただいた整形外科の先生のことを
「優秀で、きちんと対処してくれた」と
患者からみて、庇っているような発言をしたが、
私としては、前も述べたけど
消毒も抜糸も診察も、全て一人の先生にやってもらうべきだと大反省。
特に外科手術の場合、初心者は「マイドクター」を常にモットーにするべし!




診察をしてもらった限りでは、傷は順調だそうだが
相変わらずミミズバレがあり、傷の上の部分がもっこり盛り上がって
皮膚がしわしわになっている。
これがどのように綺麗になっていくのかわからないけど、
それにしてもギランバレーで気管切開と診断された、あの緊張が走った瞬間は
傷が付くとか、皺になるとか、美容もへったくれもないのである。
ひたすら命を助けること、命を優先しての決断だった。
あの時の主治医の判断がどのようなものだったことは想像に難いが
それにしても私の病気の重篤ぶりを、この傷が物語ことになった。
2年前の闘病のことが、まざまざと思い起こされる。




ちょうど形成外科手術と前後して
大学の時の友達から、びっくりするようなメールが。
息子さんが乗った自転車と路地から出てきた対向車が接触事故を起こし、
幸いにどちらも怪我がなかったが、
車を運転している女が、かなりクレージーで、
接触による傷の修理代を、家に怒鳴り込んで請求してきたため
友達はあまりのショックで、ご飯も喉を通らなくなって寝込んでしまったそうだ。
不幸中の幸いというべきか
そのクレージー女の夫が、警察を通じて謝罪してきたそうだけど、
突然家に怒鳴り込んできた時のショックが、今でも忘れられないと訴える。
「災いは突然やってくるのね」
と友達。
まさに、私が患ったギランバレーは、その言葉通り、「2007年4月8日の朝突然に」なのであった。
クレージー女の一件は、友達にとって時間の経過と共に忘れられていくことだろうが、
でも私のギランバレー体験は、おそらく死ぬまで忘れられないだろう。
毎年4/8になると、今年と同じように、桜の樹の下であの時のことを思い出し、
そして今年と同じように友達にメールするのだろうか?
でも来年こそ、この日をパートナーと一緒に思い出したい。
去年も、今年も、同じ事を願いましたけど……ねぇ。神様!




ところで生還してから
私の考え方が以前と変わりましたが
その一つに、「お祝い事をしよう!」があります。
マスコミの友達で、某出版社の社員ですが、
別の出版社で本を刊行し、すでに2刷までいっています。

その友人のペンネームは秋津弘貴。

堂々刊行の新書は『プロ野球記者会にいると絶対書けない話』(リベラルタイム出版社)

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83v%83%8D%96%EC%8B%85%8BL%8E%D2%89%EF%82%C9%82%A2%82%E9%82%C6%90%E2%91%CE%8F%91%82%AF%82%C8%82%A2%98b


あまり野球のことを知らない私が言うのはナンですが、

野球界の裏側のことがわかって面白かったです。

また各選手ごとのエピソードなどは、野球ファンなら見逃せないでしょう。

大学のOBである長嶋監督の大好物が牡蠣であるというのも、意外でした~

私も大好きですが、二度もあたってしまい、二度目に診察してもらったドクターから

「また当たったら死ぬ!」と脅かされて以来、生牡蠣を食べられなくなりました~悲しい~



出版パーティのいきさつは、去年の忘年会で、ペンネーム秋津氏からその話を聴いたので
「出版パーティをやろう!」と私が言い出したことから端をを発し、

すぐに発起人3人が決まり、本人の希望で5/2に。

GW中だというのに、35人近くが集まり、
アットホームなパーティとなりました。

私が秘かにファンであるデイリースポーツの方にお会いできたり、

秋津氏が銀座で遊んでいるクラブのホステスバイトで女優のメグミさんに再会したりと

嬉しかったことも☆
予算がないというので、私が初の司会進行を依頼され、
服だ、メイクだ、美容院だと、準備に走るだけでなく
当日の趣向も任されたので、とにかく必死に、一生懸命にやるだけやりましたよ~
今は無事に終えたという感慨でいっぱいですね。




二次会でやっとお酒を飲みましたが
疲れが残っていたので、帰路につく途中で急行に乗ったため
時々遊びに行く東北の年輩女性がやっている小さな飲み屋に立ち寄ったのですが
そこの飲み屋で、私を好ましく思わない30代男子が、あることないことを店の客に言いふらし、
それによって私は別の40代男子に誤解され、店でも無視されたり睨まれたり。
たまたまその40代男性がカウンターにいて、いつも通りに無視。。
それだけでなくすぐにその40代男子がつきあっているスナックのママが威勢良くやってきて、
近所の有名な公園で首つり自殺があり、その様子が汚くて、自殺者の気が知れないと大騒ぎをする始末。
大衆酒場の男共の話題!品がなく、疲れた私にさらなる一撃。。。。
この店には、もう行けないな~



それにしても飲み屋の人間関係って、ほんっとやっかい。

病気で倒れる前から、なるべく巻き込まれないようにしてきましたが、

ジャバってところは、二人集まると社会になるわけですから

(あ、それは病院でも同じでしたね!)

人間って、面倒くさいですね。

この世界が人間だらけで成立しなくて、よかった。。。。

ペットを溺愛する傾向がますます強くなっているのは、人間達が関係に疲れているって証拠かしら?

それにしても病気が完治してから
これまでの人間関係も随分変わりましたネ。




さて出版パーティで某大学の法医学教授と
二次会でお酒を飲みながら、お喋りしましたが
法医学の先生というのは、死体を相手にするせいか、
ひょっとしたら人間味溢れるドクターが多いかもしれませんね。
昔、取材で『死体は語る』の著書で有名な上野先生に会いましたが
上野先生も、すごく人間が好きで、しかも好奇心旺盛。
生身の人間を診察するというのは、数が多いからドクターにとってオーバーワーク気味になり、
結局、患者から見たらワンノブゼン主義になりがち。
でも法医学にとって、死体を念入りに見るということは
知らない相手を徹底的に法医学的に知ることだから
人間に対する好奇心も勝ることでしょう。
その教授が、人なつっこい笑顔で私に
「ギランバレーでステロイド療法を使ったのは、それしか方法がなかったんだろうね。当時、病院でできたことは、それだけだったんだね」。




このステロイド療法に関して
元・医者で、現在著述業の男性作家から、同じ事を指摘されたことがあります。
男性作家はさらに「未だに前近代的な治療をしている」とめちゃめちゃコケ降ろし。
助かった私としては、やることがないから医療関係者がステロイド療法をやってみた、
という見解に対して、苦笑いをするだけでしょう。
何が幸いするかわからないけど、
ステロイド療法による副作用の恐ろしさを、身をもって知っただけだということは、はっきり言えます。
副作用も1ヶ月半後にきれいになくなり、今では何事もないです。
ただ、研修医Kが、このステロイド療法に関して
次のようなことを言ってくれたことを今でも覚えていますが。
「ステロイド療法によって、10壊れるはずの機能が、2~3程度で済んだ。
失われた機能はリハビリで回復できるかもしれないから
これは成功です」。




あの時のKの表情を今でも忘れられない。
決してネガティブなことを言わなかったのは、最初の主治医であるO先生もそうだけど、
Kからは、心の奥から患者を励ましたい、勇気づけたいという気持ちが溢れていた。
Kのことを、法医学の先生が
「患者思いの研修医に出会って、あなたはラッキーでしたね。臨床現場では、研修医というのはいっぱいいっぱい。なかなかいないですよ」。


患者だった時は、まるで同級生のようにタメ口を言っていた私だが、
下町の歯医者の息子であるKとの様々なエピソードを久しぶりに思い出しました。




さらに、出版パーティの主役である男性と一緒に仕事をしていたという著名なカメラマンK氏から
「あなたのは独特のオーラがある。生還した人の輝きが!」
と、何だかスピリチャルな人扱い。
色々な人が、様々なことを言いますね。
それが世間というもので、

病気を克服して、シャバに出られたからこそ
新たな私の一面も、指摘されるわけだから、面白いですね。




去年のGWは、
一昨年の暮れにコスメ会社のコレコから一方的に制作の契約を破棄されたことによって、
リハビリを続けることもできないほど生活が困窮したため
レオパレスの高い家賃が払えず、今の老朽化したアパートへ引っ越しすることが決まり、
引っ越し前にホームパーティをやったことを思い出しました。
ライター友達が、悲惨な私の状態を察してくれて
「みんなでパーッとやろう!」と励ましてくれたのです。
友達というのは、本当にありがたいですね☆