少女小説家・氷室冴子さんが亡くなった。
死因は肺ガン。享年51歳。
氷室さんの小説を読んだことはないが、
大学生作家として彗星のごとくデビューした、あの時代の鮮やかな空気感のようなものを覚えている。
『なんと素敵にジャパネスク』などのヒットを飛ばし、50歳を過ぎても現役で少女小説を書いていたとは!
デビュー当時は吉屋信子の再来とまで言われ、「まさか~」と思っていたが
死の瞬間まで自分のテーマを書き続け、しかも発表していたというのは
すごい!
それだけではない。
彼女は、自分の死を想定して、お葬式の準備までしていたのだ…


2年前の春、つまり49歳の時に
友達で作家の菊池秀行氏に葬儀委員長を依頼したのだという。
墓も戒名も葬儀費用も全て自分で準備し、さらに
葬儀の参列者に向けて、幼少期からの写真を連ねたスライド映像まで用意したのだという。


私の友達は、この新聞記事を読んで、さっそくブログに
「死ぬことはその人の生き様のこと。自分はここまで死への準備ができるものだろうか」と率直に自分の意見を書いていた。
私もきっと彼女と同じような感想を持ったことだろう…去年の4月初めまでは。
ギランバレーを発病しなければ、おそらく。
ギランバレーが死よりも恐ろしいものをもたらすということを知ってから、
私の死への考え方が変わった。



ある日突然、前触れもなく身体が動かなくなる。
しかも植物人間ではないから
意識ははっきりしている。
カフカの「変身」という小説は、ある朝起きたら虫になっていたという設定。
学生の頃、あの書き出しを読んで「怖い!」と目をそらしたくなったが
怖いモノみたさに一気に読んでしまった。
恐怖小説というより、寓話小説で、読後にほっとしたことを今でも覚えている。


ギランバレーを経験してから
「変身」の虫のほうがまだマシだと思った。
だって
自分以外の身体に変身しても、動けるではないか!
私は動けない。
動きたくいても、動けない。
しかも意識ははっきりしているから、動けないという感覚とそれがもたらす
酷い現実をつきつけられる。
死んだほうがマシ!
神様、死なせてください。お願いします。
朦朧とした意識の中で私の心に次々とわき上がったのは
恐怖、失望、絶望、死への渇望、死すら叶わない絶望…
そしてまた動けない身体で朝を迎え、
繰り返される深い絶望のプロセス…


そのうち絶望もあきてきて、何も考えなくなっていった
あの思考の麻痺…
ただ生きているだけでいいと思わなければ
死よりも恐ろしい病気に立ち向かえなかった…



今日で病気を治してもらったK病院を退院して、丸1年。
動かすことができなかった身体も、小走りまで回復した。
「社会復帰する!」と希望に燃えた1年前の退院の朝。
でも
回復期リハでは十分な医療を施してくれなかった方南町のKリハ病院に対する絶望、
それをクリアして
回復期病院を探し、通院したあの夏。
それから社会復帰を遂げようとしたが、
最初の社会復帰に大失敗してしまった。。


社会復帰早々、病み上がりの私に対する一種の弱いモノいじめをしたとして、
現在、弁護士を介して、ある企業に対して、損害賠償を請求中です。
これは
「患者の名誉回復」のためです。
ギランバレーを経験しなければ
「私の能力もわからないひどい会社に馬鹿にされたって平気。縁切りできてラッキー!と考えて次よ、次」と
悔しさをバネにして、
進んでいったでしょう。
でも病気をしてから、
自分が生きてきたことに対する落とし前のようなものを見つけてから
次のステップへ進みたい、進まなければいけないと思うようになったのです。


というより、
本当に酷い企業です。
病気をした人間が、社会へ戻り、社会復帰を遂げられるように、
本人の能力を引き出すよう、
一緒にやっていくのが法人としての役割だというのは、私の理想でしょうか?
この企業にやられてしまったことで、
私は闘病よりも、死よりも恐ろしい体験をしたような気がします。
そのことは、また機会を改めて、書きますね。





ところで
ギランバレーを克服したと思っていた私だが、
脳卒中患者だった方の紹介で、2週間前に
難病のケアに定評があるという鍼灸師の治療を受けたところ、
再発の可能性があると言われた。
瞬間、新たな恐怖が体中を駆け抜けた。


この病気になる確率は10万人に一人、とかなり低い。
難病指定されるほどの数だ。
さらに
再発するというのは、もっと確率が低いと
K病院を担任する前に、セカンド主治医から言われた。
だから
再発しない!と安心していた、というより
再発などあり得ないと決め込んでいた。
それはまるで
健康な人が
「自分だけは病気になんかならない」
というあの根拠のない思いこみに似ている。


でも
生きるということは、そういうことなのだ。
病気になる、など考えずに、日々を過ごせるから
未来を描き、人生が続いていくのだ。
死を迎えるであろう、年齢に近くない人のほとんどがそうだ。


再発防止のために、鍼灸を受けなさいと言うのは
意地悪な言い方をすれば
なにやら
悪い災難が降ってわいてこないうちに商品を買いなさいという
霊感商法を思い出させる。
でも鍼灸しか今のところ再発予防の手段がないとしたら
通院するしかない。
なんだか消極的な選択だけど
人気の鍼灸師のせいか、
次の施術は2ヶ月後。
こんな頻度で果たして予防ができるのだとうか?


でも
死よりも怖いギランバレーの再発と
隣り合わせで生きていると
思い出させてくれ、
感謝している。
再発への不安は
元・ギランバレー患者のラジオパーソナリティのYさんと
来月の初めに、音楽コンサートを一緒に楽しんでから
患者会をやることになっているから、
その時に彼女にうち明けてみよう。
患者の気持ちは、患者しかわからない…
元・患者が身近にいる。
これも感謝ですね、神様ありがとう!





話は元に戻るが
氷室さんはどのようないきさつで死への準備をなさったのかわからないけど、
もし肺ガンによる余命がわかっていたり、
死への兆候があったのなら
それは神様が氷室さんに
「準備なさい」というメッセージを与えてくれたのではないかと思う。
少女小説家として駆け抜け、
寿命を知り、準備ができるというのは、何と贅沢なことだろう!


でもギランバレーは
何の前触れもなく起こる。待ったなしの病気だ。
そしてあの死よりも怖い症状で、地獄まで見せつける。
あの悪夢の連続は、まさに地獄そのもの。
やっぱり私は一度死んで
閻魔さまこそお会いしなかったが、
地獄の隅から隅まで、見てしまったようだ。


退院から1年。
今の私は、生きていてよかったと心から言えるような恵まれた状況ではない。
でも
地獄を見た人間は強いという言葉を思い出して
もう一度、退院の頃のあのキラキラと輝くような歓びを取り戻せるように
精一杯、頑張ってみようか。



そうそう、
生還してから変わったといえば、
親しい人たちの誕生日にプレゼントを贈っていること。


バースディは「今まで生きていてよかったね」と祝う日。
未婚の女性として、年齢を重ねることに対するフクザツな気持ちを抱えながら、
親しい人に「誕生日、おめでとう!」と祝福することは
私自身の命に対しても
「生き還ったんだね、だったらまだ生きれるね」と
秘かに祝ってあげられる。


涙ぐみながら。