ルッキズムとは

ルッキズム(外見至上主義)とは容姿や身体的特徴などで人を判断すること。または、それに基づく偏見や差別のことです。
雇用など社会的に影響を与えることが大きな問題ですが、自己肯定感などの個人に精神的に影響する面も問題視されています。
私はメイクアップアーティストという仕事柄ルッキズムという言葉を知る前から外見至上主義がその人の心に与える影響を日々考えながら生きてきました。
今回は美容の観点からルッキズムの精神的な影響にフォーカスしたいと思います。
 

日本のルッキズムは根深い?


日本社会にはルッキズムが浸透していると記事を読んで原因を考えてみました。
日本人は外見のネガティブな面に注目しがちではないかと思います。友達との写真を日本人の方に見せたとき、一番先にその友達の体型のことに触れられて違和感を覚えた経験があります。また自分も含めて他人の目を極端に気にしてしまうのが不必要なコンプレックスを生む原因ではないかと思います。
 
私はアメリカに10年以上住んでいますが、日本では確実に差別の対象になっているくらい太っている女性がお洒落をして美容サロンに行きメイクにお金をかけて結婚していたり彼氏がいるのは普通です。(私は彼女たちの健康面を心配してしまうのが本音ですが。)彼女たちは他人より太っていようが自分たちがお洒落をしてパーティーに出かけて楽しむことに重きを置いています。太っている<美しくなった私です。
見た目は客観的評価なので他人の目を気にすることは避けられませんが、自分がどう感じるかにもっと注目すると美容の知識や技術をポジティブに活用できると思います。

美しさの基準とは?


日本のルッキズムの精神面への影響の根源にあるのは、美しいとされる基準のパターンが少ないことだと考えています。例えば、二重である、鼻が高い、肌が白い、サラサラの髪、細いなど、かなり限定されます。そこに当てはまらない人たちはLess attractive(魅力的でない)とされてしまいます。
対して欧米では陶器のように白い肌、太陽に愛されたゴールデンスキン、リッチでフローレスなチョコレートスキン、キリっと魅惑的なアーモンドアイ、エキゾチックなモノリッド(一重のこと)アジアンアイ、ほっそりスタイルのいいモデル体型、メリハリの良いアワーグラス体型(日本の基準よりがっしりしている)、小さくて可愛いボタンノーズ(大きい鼻は嫌がられることが多いです)、しっかりしたサラサラの髪、弾力のあるカーリーヘア、ビーチウェーブなど人の数だけあります。これらの多くは日本でならくせ毛、色黒、デブなどといった言葉で片づけられることが多いのではないのでしょうか?
 
スタイルの選択肢も非常に限られています。先日帰国したときに流行っている色味のコスメしか店頭に並ばない、流行りのファッションやヘアスタイルが一貫しすぎていて、それ以外のスタイルのものを求めるのが難しいと感じました。日本人といってもいろいろなスキントーン、暗さ明るさ彩度の人がいるのに、特定の流行りの色だけ店頭にあって、その色みの合わない人は強制的に標準化された色に塗られています。肌の色一つにしろ個人の生まれ持った個性を愛せる環境にない日本の美容業界により多様化した魅力を受け入れられるのだろうかと心配になったのを覚えています。
 
私は仕事柄その人の見た目の良いところに注目する癖がついていて、たまに日本人の方に自分のここがコンプレックスと言われると、日本でなければそれはチャームポイントになるのになということが多々あります。もったいない話です。
 

個人ではなく社会が変わる必要がある


日本でよくある一重とか、鼻が低いなどのコンプレックスは、一度文化が変わるとチャームポイントになる可能性があります。強調したいことは整形などで個人が変わる必要はないということです。アメリカにいるアジア人であまり二重整形したりする人は居ないです。逆に自分たちのアイシェイプ用のメイクアップ術が少ないと言うのが悩みです。日本の客観的評価の基準ももう少し寛容になれば外見のコンプレックスで悩む人が少なくなります。

いつものメイクがしっくりこない方是非
動画もご覧ください。
https://youtu.be/Ah1fauHYuBQ

参考サイト:
Lookism - Oxford Reference
ルッキズムと向き合う:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
「ルッキズム」って? “見た目”で悩む人に、今知ってほしいこと|18歳 成人年齢|NHK