「自分は凄くないと思っていると、凄くない思わせられるような経験をする。
自分は凄いと思っていると、やっぱり凄いと思わせられるような経験をする。
だから、自分のことは凄いと思おう。」
自己啓発なんかの考え方にこういうのを目にすることがある。
これは、凄いと凄くないのジャッジは認めているのだ。
ジャッジ有りきで、でも自分は凄いの範疇に入れれば大丈夫と言う訳。
そいう考え方を否定はしないけど、ぼくはこの考えには違和感を感じる。
それは人が何かの基準で分けられるという考えが、世界の見方として好きじゃないからだ。
思考で作り上げた概念で、言わば幻想で、実際では無いと思う。
気に入らない世界観は、気に入らない言動を引き起こすと思う。
そうすると、好きじゃない生き方を選ぶことになるように感じる。
自分が凄いと感じるためには、凄くない他人が居る必要がある。
自分を凄くないと感じるためには、凄い他人が居る必要がある。
つまり、どちらにしても人を二種類に分けて考え続けることなるだろう。
それはぼくにとって不本意な在り方だと感じる。
ぼくはほくだ。
ぼく以外の何者でも無いし、どう頑張ってもぼく以外の何者かには成れない。
つまりオリジナルな唯一無二の存在で、それは他の人にも言えると思う。
だからこそ、人はどんな人でも存在すべきなんだと思う。
他に代えが利かないから世界に必要と言うか。
独り善がりとか、負け惜しみとか、自暴自棄ではなくて、事実としてそう思う。
それを受け容れないと、他人や過去の自分など何者かと自分の比較は避けられないと思う。
そして、比較してもされても優位に立つために、
今の自分では無い何者かに成ろうとすることは地獄の入口だと思う。
その根底には自分を受け容れないという姿勢が見える。
何かが出来るとか何かを持っているから、出来ない人持っていない人よりも価値が高いという考えはおかしいと思う。
人は商品じゃない。
自分の赤ちゃんより、CMに出て来る赤ちゃんの方が見た目が整っているから可愛い、とはならないだろう。
全ての人が、
自分の赤ちゃんだけじゃなくて他人の赤ちゃんにも、
そして赤ちゃんだけじゃなくて大人にも
そういう見方出来たら、世界は変わると思う。
自分を受け容れると自然に他人も受け容れられるだろう。