人生には決まったレールが有ると思っていた。
そして、そのレールに乗ろうとしたり、それから外れようとしたりしてもがいたりしていた。
その人生のレールというのも自分の考えに過ぎない。
実際には無いものなので、勘違いと言えば勘違いだろう。
何をどう考えようと、それはあくまで考え、自分の独断に過ぎないと思うのだ。
考えてることは全て勘違いと言っても過言ではないと思う。
根拠が有ると言っても、それは自分で経験した、自分で考えた、本で読んだ、テレビや動画で観た、SNSで読んだ、他人から聞いた、など、時間的空間的にもある範囲に限られた中の情報に過ぎない。
なぜか論理的に破綻していなければ、それは正しい考えだと思われ易い。
論理的に破綻していないことと、実際の出来事は別に関係無いだろう。
これはなかなか通じない話かも知れないけど、それくらい論理を信じ込んでいる人が多いのだと思う。
そんなものは仮説が一つ成立したに過ぎない。
そう考えると、結局自分が「事実だ」とか「真実だ」と思っているということしか根拠は無いと思う。
自分が得た全ての情報についてそう思うから、全部独断で正しいと思っているということになるだろう。
大災害が起こった時に、ニュースでは「有り得ないことが起こった」と言うような表現を使うことがある。
あれを聞く度に呆れてしまう。
有り得ないことは絶対に起こらないと思うからだ。
起こった時点で有り得ないことではない。
権威者が言っていたり教科書に載っているからと言っても、自分がそれを正しいと思わなかったり、極端に言えば、意味が分からなかったり知らなければ正しいとは思わないのだから。
だから、自分はダメだと思うのも勘違いだし、自分は凄いと思うのも勘違いだと言える気がする。
勘違い、というのは表現でしかなくて、ここでは特に意味が無いと思って使っている。
つまり、どう思おうと勝手ということが言いたいのだ。
そして、思った通りの現実が起こると、それを「ほら~言った通りだ!だから、」
自分はダメなんだとか、自分は凄いんだと続けるだけの話だ。それは何の証明にもなっていないと思う。
何かの出来事が起こることと、自分がダメとか凄いとかいうことは関係無いと思う。
自分が凄いと思うことで良い気分に成れるならそう思っておけばいいし、自分がダメだと思うことで良い気分に成れるならそう思っておけばいいと思う。好きなように考えておけば良いと思う。
正しさよりも、気分良く居ることの方が大事だと思う。
それくらい楽に構えて良いのではないだろうか?