さてさて、一つ前の回に引き続き書きたいと思います。
なんか書いてたら長くなっちゃって、それならいっそのこと記事を二つにしてしまえって思ってこうなりました。笑
さて筆者は今日、川崎大師に行ってきたわけですが、
そもそもなぜ筆者が突如、川崎大師なんぞに行こうと思ったのかということです。
結論から言うと、最近祖父が祖母と母にどなられまくっており、
若干元気がなさそうに見えたので、なんならお守りでもっと思い、大師に足を運びました。
お守りをあげて少しでも祖父が喜んでくれたら筆者的には一時間以上もかけて手に入れた甲斐があったというものです。笑
プロローグにも書きましたが、筆者は祖父母と暮らしており、小さいころから祖父母のことが大好きです。
父親がいない筆者にとっては、祖父母が父親の役割を果たしてくれたと行っても、過言どころか、とてもいい足りません。
父親と母親と子、といういわゆる核家族の形をとっていない筆者の家族構成ですが、
だからといって周りの核家族の家族構成を持つ家と、何か違いを感じたことは微塵もありませんでした。
しかし、大学生になってからというもの、徐々にではありますが、筆者はその差をなんとなく感じ始めてきたのです。
というのも、大学生になってからというもの、飲み会やその他友人や先輩方との付き合いで帰りがとても遅くになることが増えたのです。
当初、このことについて筆者はなにも特別に感じたことはありませんでした。というのも周りの友人たちもみなそうだったからです。
しかし、あるときから帰りが遅いことを祖父母が嫌がるようになりました。というのも筆者の家の構造的に、夜遅く帰ると祖父母が目を覚ましてしまうのです。
筆者以外に夜遅くに帰ってくる者はいないので、なおさら祖父母からすると気になってしまうのでしょう。
ですが、当時の筆者はこれについてかなり不服に思っていました。
他の友人たちは、家族からあまりとやかく言われることなく、オールやらなにやら好きなようにしている様子。
何人かの友人の話を聞いてみても、彼らの両親がそれを気にしたそぶりもなく、大学生とはそういうものだ、と割り切っている様子でした。
またそういった友人の多くはそもそも父親の帰りがある程度遅い、兄妹がいて彼らの帰りも同様に遅いため友人たちも同様に気にされない、といった様子でした。
なぜ自分の家だけが、こんなに融通が利かないのか、なぜこんなに厳しいのか。
当時の筆者はそんなことばかりを考えていました。
しかし、学年もあがり、入学当時ほど飲み会等の機会も少なってくると、
家にいる時間も増え、なにげない時間を家族と過ごすことも増えてきました。
そうすると次第に、祖父母世代のことがなんとなくではありますが、わかってくるのです。
祖父母の世代は、そもそも人々が当たり前のように大学に通うような時代ではなかったこと、
それこそ大学というのは文字通り、高価な学費を払うことのできる家庭の子のみがいける学問を修める場であったこと、
そもそもお金を稼ぐことが難しく、必死に働いて若年期を過ごしたこと、などなど
そのような時代背景を考えるなら、
仮にバイトをして家にまったくの金銭的な負担をかけていなかろうが、
仮にいかなるもっともらしい理由で帰りが遅くなろうが、
祖父母世代からすれば、自分たちが必死に生きていた時代、
それこそいまでは当たり前となっている多くのモノがまだ発達していないような時代と比べて、
私たちの大学生が置かれている時代、送る生活というのは、悠悠自適で自由奔放なありさまでしかありません。
娯楽も何も発達して、やることといえば学業はさておき、サークル活動や部活動の人々がほとんど。
それらの活動の中で、人間関係につかれた、活動が忙しい、などといかに喚き散らかしたところで、
昔の時代の人々から見れば、幸せそのもの。
だからといって筆者たち世代の若者が行うことが、みんなおままごとのようなものである、ということにはならないのでしょうが、
昔の人々から見たわれわれ世代のことも少しは考えてもばちは当たらないのではないでしょうか。
これらのことを考えるなら、筆者の祖父母が筆者に対して苦言を呈すのも当然だったといえるのでは、といまはとても思います。
よく祖母の前で「疲れた」というと、決まって祖母にあきれたような顔で叱咤激励されます。
ばあちゃん、たしかに今自分は疲れているけど、きっとこの疲れはばあちゃんたちの疲れているとは、どこか意味の違うものなんだろうね、
そんなことを考えながら今日も大好きな祖父母と一緒の時間を過ごせることを心から幸せに感じています。
