時給850円のシンママから
会社設立1年目で年商1400万円を叶えた✨
「 ニコニコ標準 」の自分で
もっと自由に生きる🌈
心理カウンセラー&
ビジネスコーチのニコです♪
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歌えなくなった元歌手が
ステージに立てるまであと12日
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12/11の社長のカラオケ大会
決勝に向けてどんどん自己開示しながら
歌ともう一度向き合っていきます✨
全てのスタートはここから↓
ニコは初アルバムを出した後、
新たなシングルの制作に
入っていたのだけど、
このシングルの制作の過程で
「生きること」
を考えることになるのだった。
今日はそのシングルの制作で
ニコが生と死を考えることに
なった話を書いてみようと思う♪
4枚目、5枚目のアルバムと
それなりにいい形になって
来ていたところで、
突然のオファーが
届いたのがこの6枚目だった。
デビー・ギブソンの
「lost in your eyes」という曲を
日本語で歌詞をつけて
歌って欲しいというものだった。
(どなたのオファーか記憶にないw)
そして、その歌詞は
自分が死んだ設定で、
残された人に対しての
思いを書いて欲しいと
いうことだったのだ。
当時23,4歳だったニコには
このお題のハードルが高すぎて
もちろんすぐには歌詞は書けず、
自分が死ぬっていう事に対して
とことん想像してみたり、
余命宣告された方の
映画とかを見たりして
とにかく毎日死を考える
状態になっていたんだよね。
この時にかなり
精神的には参っていて、
歌うのが嫌になってきた
時期と重なって
歌詞を書いてても
ただ泣いて何も進められない。
みたいな状態になっていた。
ニコにとって
特に思い入れのある曲では
ないのも相まって、
(カバーするとなって
初めて知ったくらいだった)
「何のために歌うのかな」
「私って必要なんだろうか」
そんな事も考えるように
なってしまっていた。
それでも何とか
レコーディングを終えて、
リリースすることは出来たのだけど、
せっかくいい感じで
繋がっていたような流れが
ここでプツッと切れたように、
全くジャンルの違う曲だったから
聞いてくれる人も
「どうしちゃったの?」
っていう反応だったりと、
結果は思わしくなかった。
色んなことが重なったことで
ニコはステージで歌うのも
苦しくなってしまって、
歌いながら
泣いてしまうことさえあって、
「もう無理かもしれない。」
と歌をやめる決断を
していくのだった。
売れるための曲を歌うこと。
それでも売れずにいること。
あの高校の時のように
ただ楽しく歌いたかっただけなのに、
当たり前だけど、
プロの世界ではそれだけで
続けられるほど甘くなかったのだ。
それでもその当時、
二子玉のクラブで、
Diggy(SOUL'd OUT)や、BENNIE Kや
色んなアーティストと
ライブをしたりする中で
『みんな頑張ってるんだよな。』
っていう勇気も
たくさんもらっていた✨
ソロシンガーであることは
楽な面ももちろんあるけど、
孤独との戦いみたいな
ところもあって、
グループっていいなーって
憧れもめちゃくちゃあった。
そんな色んな葛藤の中で、
自分の人生を考えた時に
歌から離れる。
という選択をしようと
ある日決意するのだった。
ということで、
ニコが歌から離れようと決めて
それを事務所の人に
伝えることになった日のことを
明日は書いてみようと思います♪
ドリカムのカバー曲MV撮影時。
沢山の人に関わってもらってたんだなー♡
最後まで読んで頂き
ありがとうございます✨