私たちはつい、
やりたいことの前にある怖さに、
怖気付いて足を踏み出せなくなるけど。
まず、その怖さは、
この先になにが起こるかわからない怖さで。
知ってることをやる時、
知ってる道を通る時にはない恐怖。
自分で道を開拓していくならなお、
これから起こることの未知に恐れる。
それはやりたいことの大きい小さいに関わらず、
何かをやろうとする時には出てくる感情なのだ。
例えば結婚していて、
一人旅がしたいと思った時、
今までそんな経験がない人なら、
きっと怖さが出てくるだろう。
旦那さんはなんて言うだろう?
反対されるんじゃないか?
お金はどうしようか?
一人でそんなことをしてもいいのかな?
そういう怖さを見つけた時、
怖さから逃げるために、
旦那さんがきっとダメって言うから。
お金がないから。
いつか行けるだろう。
そう理由づけて諦めようとする。
その怖さと向き合うのが怖いのだ。
だけど、大切なのは、
その怖さと向き合うことでもあるけど、
それよりも、
それよりも、
その先にある喜び。
その先にある感情。
その先にある体感。
その先にある体験。
なのではないだろうか。
やってみれた時の嬉しさや喜びを、
思いっきり体感して、
こんな経験が出来てよかったな〜〜って、
あーー幸せだな〜って、
自分に体験させてあげられることなのだよね。
本当はそれを感じたい。
目的はそこなのだ。
だから怖さを超えない限り、
その体感は得られない。
大切なのはその怖さの先にあるもの。
見たいのはその怖さの先にある景色。
やりたいことがあるのに、
怖くて進めない時は、
これを思い出してみて欲しい。
そして、慣れてくると、
その怖さは持ったまま、
その怖ささえも味方につけて、
楽しみながら超えられるから。
怖いまんまでいいのだ。
怖いまま進め。
ニコはビール館に進みます。おいっ。