あなたが当たり前だと思ってる、

 

 

常識。

こうあるべき。

こうするべき。

これが普通。

 

 

って、

どんなものがあるだろう?

 

 

 

そしてそれは、

あなたが良しとして、

 

 

採用してきたものだろうか?

 

 

 

 

自分が当たり前だと思ってることを、

今一度考えてみるとね。

 

 

結構な確率で。

 

 

 

 

 

 

親が言ってたから。

 

 

 

 

 

 

それが当たり前だと思ってた。

みたいなことがある。

 

 

 

うちは昔から、

なにかがバラバラ〜とこぼれたりすると、

父も、母も揃って。

 

「あーバラバラ事件になっちゃった」

 

って言ってたから。

(道徳的なことは置いといてね。)

 

 

何かがバラバラしたときは、

そういう風に言うもの。

だと思ってた。

 

でもって、

結婚して旦那さんに言ったら。

 

 

 

「は??なにそれ??」

 

 

ってめっちゃびっくりされた爆  笑

(そりゃそうだ)

 

 

 

 

その時に、

バラバラ事件は普段使わない言葉なんだと知ったのだ。笑

 

 

 

 

そんな風にね、

自分にとっての当たり前って、

 

親の言葉だったり

親の常識だったり

親の価値観だったりすることが、

 

めちゃくちゃある。

 

 

 

 

ただ、自分にとっての当たり前があるからこそ、

それ自体が自分を縛ってしまったり、

無自覚に自分を追い詰めたりする。

 

 

 

なので、自分の当たり前を疑うことってめちゃくちゃ大事なことで。

 


 

人生波乱万丈設定!!

 

 

 

 

 

私の人生ついてない設定!!

 

 

 

 

うんうん、わかるわーーー。

 

普通だとつまんないからドラマチックに。

どうせ私なんてって設定で不幸を選んじゃったり。

 

 

 

自分が当たり前に選択してることを、

まず疑ってみることで、

 

 

あれ??

 

 

幸せになりたいと言いながらなんでこれ選んでるの?

笑いたいと言いながらなんで自分を泣かせてるの?

 

 

って気づけたりする。

 

 

 

 

あなたにとっての当たり前は、

あなた自身が見てきたもの。

感じてきたもの。

体感してきたもので作られているだけ。

 

 

 

そしてそれは、

 

あなたが良いと思って選んだものではないかもしれない。

 

 

 

 

だからと言って、

それを当たり前だと思わされた。

 

と被害者になってしまったら、

今まで通りのパターンから抜けられないので。

 

それはやめてみよう。

 

 

 

そうじゃなくて、

今のあなたなら、

 

 

 

 

もう、選べる。

 

 

 

 

ってことなのだ。

 

 

 

 

何を得るのか。

何を手放すのか。

 

 

 

 

親の意見も。

世間の声も。

 

 

 

 

全てある中から、

自分で選べるのだ。

 

 

 

 

 

それを自分で選んで、

生きていくことが自立でもあるよ照れ

 

 

 

 

 

 

今までの当たり前は

作られてきたものかもしれない。

 

 

それが正しいんだと思い込まされたかもしれない。

でも、それを思い込み続けなくても良い。

 

 

あなたが笑えないなら、

それを選ばなくてもいいのだ。

 

 

 

 

あなたが選んでいいんだよキラキラ