slow-glaffiti

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awake in pain.


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結局、兄貴とは本当に仲が良かったときなんてなかったのかもしれない。年が離れていたせいもあるだろう。まあ、兄貴も俺もおとなしい方だったからな。あまりしゃべらなかった。仲が悪いわけでもなかったが。特に女に関することは話したことがないな。兄貴の嫁さんのこともほとんど知らないんだ。最後に会ったのはもう6年前になるな。今でも二人がふらっと俺の前に現れるんじゃないかと思うよ。ただどこかに雲隠れしていただけでね。今の状況をほったらかしにして、どこかに隠れたい、なんてみんな思ってるだろ。俺だってそう思う。そうできればと思ってる。だから兄貴のところもそうだったんじゃないかって。昔、二人とも学生の頃、一緒に映画を見に行ったことがあるんだよ。兄貴は一人で映画を見れないたちだった。俺はまったく関係ないけどね。むしろ一人の方がいいくらいだ。二人ともそんなに映画が好きなわけじゃないのに、そのときは兄貴が俺を誘ったんだよ。夢を追い求めて生きる男の話しがった気がするな。でも内容はもう覚えてない。タイトルも。兄貴はそれをどうしても見たかったんだな。多分。今、兄貴のことを考えるとき、いつもあの映画を見たときのことを思い出すんだ。タイトルがわかればもう一回見るんだがな。主役の俳優も覚えてないし。あの時もそうだし、6年前に突然うちを訪ねてきたときもそうだが、もっといろいろ話をすればよかっんだろうな。今はよく映画を見るよ。別にあの時の映画を探しているわけじゃないが。ただなんとなく。一人で2時間過ごす方法としては悪くないんじゃないかってな。それだけだ。ただ、あのときの映画だ、って思えるときが来たらそれはそれで楽しいかもな。いや、どうだろう。わからないな。でもきっと、そういうもんだろ。そういうもんさ。

俺の友達がそうだった。


突然電話がかかってきてそう言った。「あいつに肩をつかまれた」ってな。あの時の取り乱しようは尋常じゃなかった。俺はその友達がパニックになるところなんて初めて見た。しばらく何を言ってるのかわからなかった。しかしあまりのあわてぶりに俺もこいつは簡単な問題じゃないと気づいたんだ。それで根気よく話を聞いた。そうしたら、影に肩をつかまれたって話だった。俺は震えたね。そいつは絶対に嘘をつくようなやつじゃなかったからだ。

今まで気配しか感じさせなかった影は、ある日突然近づいてきたそうだ。音もなく。見た目はとにかく言葉にしようがなくて、ただ、影、というのが思い浮かんだらしい。で、影は友達の肩をつかんだままつぶやいたそうだ。小さな声で。


「逃げろ」


とな。


それからとにかく逃げたんだ。その友達は。しかし電話があってから1ヵ月後、そいつは見るも無残な形で見つかった。誰が殺したのか、まったく何もわからなかった。何かしらの証拠になるものが一切なくて、警察もさすがにお手上げだったらしい。


俺は知り合いってことで死体の確認やら最近の話をしたんだが、もちろん影の話はしないが、俺が思ったのは、絶対にこんな死に方だけはしたくないってことだった。まあ、つまりそういうことだ。その数ヵ月後だ。俺が影に肩をつかまれたのは。それ以来こうやって逃げ続けているわけだ。幸い、まだ俺の身には何も起こっちゃいない。


なんで影が肩をつかむのか、つかまれるやつとつかまれないやつの差は何なのか、逃げ切れるのか逃げ切れないのか、何にもわからない。なぜこんなことになったのか。今の俺は、恐怖に包まれている。まわりに死が感じられると落ち着くんだ。ねずみの死骸や犬の死骸を見ると落ち着くんだ。ここはいい。このバーはいい。確実に何かが死んでいる。次に死ぬのは、俺か、世界か、どちらかだろうな。あんたが影に肩をつかまれないことを祈ってるよ。


俺は誰もいないバーにいた。

店の人間も客も誰もいなかった。なぜそこにいたのかはわからなかった。俺は影に追いかけられていた。影から必死に逃げていた。気がついたらこの店にいた。ここはなぜか落ち着いた。明かりがついているのに誰もいないのはおかしいと思ったが、まあいいだろう。かれこれ1時間ぐらいここにいるが何も起こらない。影から逃げ切れたかどうかはわからない。しかし、なぜか、影もここまでは追ってこれない、そう確信している自分がいた。
俺は店の酒を勝手にグラスについで飲んでいた。もちろん店の人間が現れれば金は払うつもりだった。俺はバーボンを飲んだ。何度も飲み干した。


さっきまでの汗は嘘のようにひいていた。俺は何日も前からここにいるような気分になっていた。ただひとつ気になるのは、店の中に充満している死臭だった。俺は死体がそこらじゅうに転がっている場所で働いたことがある。この臭いは間違いなく何かが死んでいる。かなりの確率でそれは人間に違いなかった。俺は逃げることに疲れていた。誰かがどこかでドラムをたたく音がした。気のせいだった。おそらく。


影の話をしよう。


”影”とは、いわゆる俺やあんたが知っている”影”じゃない。人間の形をして、すべてを見ていて、黒くてしゃべらない、それじゃない。影、という言い方が悪かったのかもしれない。ただ、他に呼びようがないんだ。あいつは人間の形もしていないし、何も見ていないし、黒くもないし、よくしゃべる。それでも、影、としか言いようがないんだ。世の中にはそういうことがある。わかるだろ?


あんたも昔、なぜかわからないが、誰かに後をつけられているように思うことがあっただろ。小さいころだ。何かを気配を感じてそっちを向く。しかしそこには誰もいない。あんたにできるのは、確かにそこに誰かがいた、という気配を感じ取ることだけ。その気配を振り払おうとした瞬間、頭に声がよぎるんだ。「見ているぞ」とか「そっちじゃない」とか「振り向くな」とかな。一種のテレパシーみたいなものかもしれん。まあでもたいていはそれで終わり。気がついたらそんなことがあったことさえ、忘れちまう。みんなそうだ。小さいころの夢のような勘違いのような。そんなところだ。


だがな、確率は知らん。何十人に一人かもしれないし、何万人に一人かもしれない。いるんだ。実際に。あいつらに肩をつかまれるやつが。