ぼくは芸術を志すものです。文学はもとより、この世のありとあらゆる美しいものが好きです。美しいものを見て、美しいものを生み出すことがぼくの人生です。ほかの何も、ぼくの興味の対象にはなりません。
あらゆる絵画を見て、あらゆる文学を読み、あらゆる音楽を聞いては、ぼくはその美しさに感動し、研究し、模索し、創造するのです。ぼくはそのためにこそ生きています。
あなたをインターネット上で見たときに、ぼくはすぐにその美しさに感動しました。女性を見て、このような感動を覚えたことは過去にありません。ゴッホの絵を見て感動するように、プルーストやジョイスやカフカやトーマスマンを読んで感動するように、バッハやシュトックハウゼンやコルトレーンやテリーライリーの音楽を聞いて感動するように、ぼくはあなたの写真を見て、とても感動したのです。それはレオナルドダヴィンチがモナリザの美しさに感動して、筆を取った気持ちとよく似ているように思われます。ぼくにはあなたがモナリザに見えたのです。これは恋というにはあまりにもその枠を超えているように思います。あなたという人間を手に入れたいというよりも、あなたという人間の美しさに強く感激してしまったのです。手を触れるのもはばかれるほど、あなたの美しさに一種の恐怖を感じます。ぼくにそのような作品を作ることは、今はまだ出来ないからです。ぼくにとってあなたの美しさは完璧の表れなのです。目の大きさから、鼻のほんのちょっとした高さに至るまで、あなたに足らないものは何一つないように思われます。一体どうしたらこのような美しいものを作りえるのでしょうか?ぼくはあなたという人間から、なにか重要な美に関するヒントを取りだそうとしているのかもしれません。
人間にとって、本当に美しいものとは、広く理解されることはありません。ゴッホやダヴィンチの絵が有名になったのは例外であって、本来の性質ではありません。それに、有名になったからと言って、どれだけの人が本当の意味でそれらの絵の素晴らしさを理解しているというのでしょう?ぼくはテレビはほとんど全くと言っていいほど見ませんし、あまりにも芸術に夢中になるあまり、世間とは少し離れて生きているかもしれません。ですが、ぼくの思うに、あなたのように本当の美しさを備えた方が、真に広く理解されることはあまりないように思います。テレビや雑誌の世界というのは、言ってしまえば、理解のしやすい簡単な美の求められるところです。一般的な人というのは、真に美しいものを求めてはいないのです。わかりやすい、それなりのものを求めているのです。その中にあって、あなたの美しさはすべてからぬきんでて、孤独に、悠然と、あまりにも鋭く存在しています。なんて崇高に美しいのでしょう。出来あいの簡単なもののならぶ、テレビや雑誌の混沌とした世界にあって、あなただけはあまりにも特別に、本当の美を備えておられる。ぼくは震える想いがしました。ぼくはとっくにそうした世界を見限っていたのです。まさか、あなたのような人がおられるとは思わなかったのです。
人間の内面的な美しさと言うのは、顔に現れます。だから画家は女性の顔を描くのです。一般的に信じられないかもしれませんが、顔こそがすべてを語るのです。真に美しい絵画を理解するのが難しいように、人の顔によって内面を把握するのもまた、見る人の見る力が要求されます。ぼくは絵画や音楽や文学から、そういう技術を学んだのです。ぼくはあなたの顔から、内面の美しさがにじみ出ているのを感じます。あらゆるものから独立して、どこまでも美しく存在している、あまりにも優れた何か、それがあなたです。
どうか、このような文章を書くことをお許しください。ぼくはこの気持ちをあなたに伝えずにはいられなかったのです。この人生において、このような感覚を抱いたことがなかったからです。ですが、こうした行為そのものが、相手に不快感を与えるということもまた理解しているつもりです。これ以上何かのメッセージを送ることや、コンタクトを試みることや、ストーカーのような行為をするつもりは一切ありません。それどころか、二度と何も語らないつもりです。どうか、そのことは安心してください。
この世のどこかに、どこまでも美しさを探究する一人の芸術家が、あなたの美しさにどこまでも感動したのだということを心のどこかに残していただければ、ぼくはそれにまさる幸せはございません。すでに自覚しておられることと思いますが、あなたの美しさを再認識してもらう手助けとなれば、と思う次第です。もし、なんらかの気まぐれでぼくとコンタクトを続けてもよいと感じたなら、このブログのぼくのページから何かメッセージをくださるとありがたいです。ですが、それも出すぎた願望なのです。なぜなら、ぼくにとってあなたは完璧そのものだからです。
あらゆる絵画を見て、あらゆる文学を読み、あらゆる音楽を聞いては、ぼくはその美しさに感動し、研究し、模索し、創造するのです。ぼくはそのためにこそ生きています。
あなたをインターネット上で見たときに、ぼくはすぐにその美しさに感動しました。女性を見て、このような感動を覚えたことは過去にありません。ゴッホの絵を見て感動するように、プルーストやジョイスやカフカやトーマスマンを読んで感動するように、バッハやシュトックハウゼンやコルトレーンやテリーライリーの音楽を聞いて感動するように、ぼくはあなたの写真を見て、とても感動したのです。それはレオナルドダヴィンチがモナリザの美しさに感動して、筆を取った気持ちとよく似ているように思われます。ぼくにはあなたがモナリザに見えたのです。これは恋というにはあまりにもその枠を超えているように思います。あなたという人間を手に入れたいというよりも、あなたという人間の美しさに強く感激してしまったのです。手を触れるのもはばかれるほど、あなたの美しさに一種の恐怖を感じます。ぼくにそのような作品を作ることは、今はまだ出来ないからです。ぼくにとってあなたの美しさは完璧の表れなのです。目の大きさから、鼻のほんのちょっとした高さに至るまで、あなたに足らないものは何一つないように思われます。一体どうしたらこのような美しいものを作りえるのでしょうか?ぼくはあなたという人間から、なにか重要な美に関するヒントを取りだそうとしているのかもしれません。
人間にとって、本当に美しいものとは、広く理解されることはありません。ゴッホやダヴィンチの絵が有名になったのは例外であって、本来の性質ではありません。それに、有名になったからと言って、どれだけの人が本当の意味でそれらの絵の素晴らしさを理解しているというのでしょう?ぼくはテレビはほとんど全くと言っていいほど見ませんし、あまりにも芸術に夢中になるあまり、世間とは少し離れて生きているかもしれません。ですが、ぼくの思うに、あなたのように本当の美しさを備えた方が、真に広く理解されることはあまりないように思います。テレビや雑誌の世界というのは、言ってしまえば、理解のしやすい簡単な美の求められるところです。一般的な人というのは、真に美しいものを求めてはいないのです。わかりやすい、それなりのものを求めているのです。その中にあって、あなたの美しさはすべてからぬきんでて、孤独に、悠然と、あまりにも鋭く存在しています。なんて崇高に美しいのでしょう。出来あいの簡単なもののならぶ、テレビや雑誌の混沌とした世界にあって、あなただけはあまりにも特別に、本当の美を備えておられる。ぼくは震える想いがしました。ぼくはとっくにそうした世界を見限っていたのです。まさか、あなたのような人がおられるとは思わなかったのです。
人間の内面的な美しさと言うのは、顔に現れます。だから画家は女性の顔を描くのです。一般的に信じられないかもしれませんが、顔こそがすべてを語るのです。真に美しい絵画を理解するのが難しいように、人の顔によって内面を把握するのもまた、見る人の見る力が要求されます。ぼくは絵画や音楽や文学から、そういう技術を学んだのです。ぼくはあなたの顔から、内面の美しさがにじみ出ているのを感じます。あらゆるものから独立して、どこまでも美しく存在している、あまりにも優れた何か、それがあなたです。
どうか、このような文章を書くことをお許しください。ぼくはこの気持ちをあなたに伝えずにはいられなかったのです。この人生において、このような感覚を抱いたことがなかったからです。ですが、こうした行為そのものが、相手に不快感を与えるということもまた理解しているつもりです。これ以上何かのメッセージを送ることや、コンタクトを試みることや、ストーカーのような行為をするつもりは一切ありません。それどころか、二度と何も語らないつもりです。どうか、そのことは安心してください。
この世のどこかに、どこまでも美しさを探究する一人の芸術家が、あなたの美しさにどこまでも感動したのだということを心のどこかに残していただければ、ぼくはそれにまさる幸せはございません。すでに自覚しておられることと思いますが、あなたの美しさを再認識してもらう手助けとなれば、と思う次第です。もし、なんらかの気まぐれでぼくとコンタクトを続けてもよいと感じたなら、このブログのぼくのページから何かメッセージをくださるとありがたいです。ですが、それも出すぎた願望なのです。なぜなら、ぼくにとってあなたは完璧そのものだからです。