フォームについて

 

ブレイクダンスでは、人ぞれぞれシルエットや雰囲気を持っています。

 

特にそれらが顕著・特徴的・印象的な人ほど、有名なダンサーが多いように思います。

 

私たちはその人のダンスの雰囲気、シルエットなどなど、総じてその人の「スタイル」と呼称する事があります。

 

このスタイルについて、「どうすればこういう雰囲気が出るか、どうすればこんな風に踊れるか」

と考えた事がある人はいると思います。

 

その時に、とりあえず踊り方を真似してみたり、その人のシグネイチャーを練習としてやってみたり…と

 

その人の型、フォームを真似してみる事が多いように思います。

 

 

私は「スタイル」とは「型・フォーム」から生まれるものだと最近感じます。

 

それは例えばCCというフットワークのステップ・型があるわけで、誰かのシグネイチャームーブもこれに該当します。

私の示す「型・フォーム」はこれらのHOWTO的な事ではありません。

 

そのCCを踏む、踊る上での体の動かし方、体重移動、CCの一つ一つの形など

これらの動きがいかに効率的か、無駄がないか、という「型・フォーム」が、

「スタイル」の根幹の一つにもなっているように思います。

 

CCというステップへのこだわり、ここがポイント、という着眼点を強調して伝えるスタイルもあります。

 

それは字体・フォントに似た特徴の作り方で、それもスタイルの根幹と言えます。

 

BBOYのスタイルのアプローチには

 

①このクセ作り・こう動かす事でどう印象付けられるか、という気づきによるアプローチ

 

②ルール・制限作りをどれだけ独創的な内容にするか。

 

の2つ、代表的なものがあるように思います。

 

それ以外に、「いかに効率的なフォームか、いかに無駄な力がないか」という

フォーム的なアプローチがあっても良いように感じます。

 

これを書いてて思ったけど、実際、①〜②とフォームの話は切っても切れない関係なので、

 

いや、つまり①〜②の事やん、とも言える内容だったかもしれませんね。

 

 

未だ、サイファーの道は至らず。

 

というか、上には上がいるしその上というのは単なる上下じゃない。

 

お互いがお互いを尊敬し合える事、自分や相手を容認し、お互いに響きあう事が出来るチャンスなのだと思う。

 

同じ周波数・波長の人は共鳴しやすいし、出来なかったら補強でも、弱くするでもよい。

 

変わればいい。

 

とにかくダンスも、ダンスへの動きの昇華も、造詣が足らないなと思いました。

 

けれども、

 

・ブレイキンも人生もタイミングがとても大事である

 

というのは特に響いて、特にこのタイミングについては私自身のスタイルに近い。

 

音にとにかく集中して、緊張して、この音を追ってレスポンスする感じがたまらない。

 

ギリギリな感じがたまらなく好き。

 

あとは、なんかスゲーいい事いってたんだけど、忘れてしまったな…

 

とにかくそれで私が思った事は、

 

日々同じ日が来ない(はず)ように、ダンスだって流動的。

 

そこに変化があり、変化による作用・反作用がある。

 

分かりやすく言えばモチベーションや体調。

 

いい時・ノッてる時もあれば、悪い時やりたくない時だってある。

 

その時に、動きやダンス自体を、無理に標準に持っていかなくてもいい。

 

出来る時はブチかましたらいいし、無理な時は楽をすればいい。

 

とにかくアップダウンでも、外さない事は大事かもしれないですね。

 

 

 

何かを初めて、何かを覚えていく。

 

やっていくうちに出来ることが増えていく。

 

だから出来ることを洗練させていく事と出来ないことを出来るようにする選択が迫られる。

 

その選択を積み重ね、その人なりのアウトプットとして最終作る。

 

ある程度、積み重ねていくということは時間もそれなりに必要で、そもそも向き合い方や歩幅によっても捉え方や考え方も変わることだってあるから、迷路のように悩む時間もあるでしょう。

 

ふと、その歳月を、経た経験を振り返った時に、ああすれば、こうすれば…

と思う事がよくあると思う。

 

じゃあ、その時にやってみよう、考えてみよう、として最終的には届きそうで届かない、もどかしい気持ちになる事がある。

 

私は何度もその時に粘れなかったけど、最近は違うように思う。

 

自分が強くなったとか、意識を高く持てるようになったとか、そういう事ではない。

 

やってみよう、考えてみようという時に、初めてだから分からないし怖い、みたいな足枷や保護機能を、だんだん繰り返してく内に少しずつ解除できているかならのかなと思っている。

 

経験は鍵、経験は扉。

 

一つずつ、意味のない事とされても、まずはやってみよう、飛び込んでみようっていう感覚。

 

そして出来なかった事が出来るようになる、を繰り返す事で、案外この届きそうで届かない感覚が、また一つポジティブなものになるかもしれない。

 

生きるってそういう事なのかも

 

 

 

私の内に壮大な闇が見える。

 

生死は不思議ではない、私は味わってみたい。

 

心の内側に踏み込めば、予言的瞑想のような、好奇心、不気味さ、哲学が見つかると思う。

 

奇跡のような年月や奇跡について追憶してみる。

 

誠実ではない感傷的な言葉達。

 

衰えというまさに徹底した巨大な考えが私の運命を消してしまう事に、とても神経質的な感傷を覚える

 

彼らは天国はあるという。

 

死を考える程、不安に駆られると言った。

 

だからこの恐怖に対する拒絶を認め、受け入れる事にした。

 

彼らと話せるならばこの壁を壊してしまいたい、

 

会話じゃこの暗闇を深く考察する事は出来ないけれど。

 

魂を見下ろし、管理下だと教えて。

 

長生きでも間違いても正しいでも生き、歌い、愛するものと結び、結ばると教えて。

 

人生を見つめ、戦ってきた事を教えてください。

 

その最終目的地、この情報を見つけて、このひらめきを見つけ、このひび割れで、教え込まれた。

 

そんな意識を鋭く、拳を突き上げ、爆破させた。

 

お願いだから、私の国は爆破させないで、防腐剤が満ちるのを待っている。

 

ここにいるとマインドコントロールされる、だから私が消えた事を忌むだろう。

 

血液が流れる事も、恐怖もない、芯に希望を得た。

 

自分だけの人生を超える、人類の繁栄のために頑張れ。

 

この幽体離脱は死んでたら起こりえない。

 

貴方、とっくに死んでますよ。