高校生の時、文化祭とかのイベントごとに付随する「前夜祭」「後夜祭」などに集められ、学内バンドの演奏を絶対聴かなければいけない時間が大嫌いだった。


カバーバンドは本家を超えることはない。なのにあんなに嬉々として演奏して虚しいと思わないのか。


もっとも、正確に言えば、聞きたいと思ってもないものを強制的に学校の都合で集められる時間が受け入れがたかったのだけど。


演奏にアレンジを加えるでもないかつ、当然高校生で演奏がさほど上手いわけでもない。何某かのアレンジが加えてあれば確かにそれは「音を楽しむ」紛れもない音楽であったと思う。けれど大概は、ホワイトベリーの夏祭りを譜面通り弾いて、なぜかボーカルだけがアレンジを加えて変な譜割りで歌詞を歌っている。


下手くそなのに、盛り上がりを求める。

それが寒くて辛かった。


けど、そんなふうに思っていた高校時代の自分をついこの前「でもそういうのが高校生なんじゃん。高校生が演奏してる姿なんて可愛いじゃない〜大人になって高校生ガン見したら犯罪だぜ〜?同い年の時に見とけよ〜」と「冷めた自分でいるのが必ずしもかっこいいわけではないんだよ」と諌めたばかりだった。過去を諌めても無意味なのだけど。


でも。ついこの前諌めたばかりなのに。やっぱり自分の根幹の部分は変わっていなかった。


観光地に行って水上バスに乗ったとき。なぜか出発と同時にシンガーソングライターの自己紹介が始まった。


最初は名所の紹介を彼女がした。でも少しして彼女は歌を歌い始めた。しかもそれは自身の曲でもないもののカラオケだった。


なぜ、お金を払った水上バスでアマチュアのカラオケを聞かなければならないんだろう。耳を塞ぐわけにもいかないのだから強制的に流れている。下手ではないけれど、受け入れると言っていない他人のカラオケを聞くのがとてつもなく嫌だ。私は、彼女の歌のない時にだけ景色の動画を撮った。思い出に彼女の歌声を入れないために。


性格が悪いなぁと、今度はその場で自分を諌めた。


でも、諌めたところで、本心なんて変わらないから。高校生の時の私が成長していないというよりは、もう私はこういう性格なんだと思う。


ほんとを言えばどうにかそういうものも受け入れられるようになりたい。客観視すれば恥ずかしいのは私の方なのだから。まぁ無理だけどね。