ダルビッシュ選手、来年も日ハムのユニフォームを着るようですね
ニュースでブログの映像がながれていました。
ブログがテレビニュースの情報源って変な時代だなとも思いますが。。。
それはそうと、
やっぱり、日ハムのユニフォーム姿がいちばんカッコイイです

ニュースでブログの映像がながれていました。
ブログがテレビニュースの情報源って変な時代だなとも思いますが。。。
それはそうと、
やっぱり、日ハムのユニフォーム姿がいちばんカッコイイです

イタリア語の勉強を続けようかと思い、授業に出てみたり、レッスンを受けてみたり、いろいろ試行錯誤してみています。
でもなかなかしっくりきません。
それよりも、なんだか、ストレスばっかり溜まって行くので、ここで発散してみようと思います。
という訳で、愚痴ブログです。
まず、そういうところに行って、私がイタリア語をちゃんとした文法で話せないのは事実です。
だからちゃんと細かく勉強したいと思うけど、かといって、ABCから始めるのも正直しんどいです。
そんなので通じるの?とも言われましたが、生活しているには、悠長に、冠詞の性を考えていたり、動詞を活用させている間もなく。。。
とにかく、動詞は主語をつけて原形、冠詞はなくてもいいから、話せ!!と言われていた訳で、主語と時間を表す言葉をつければ分かってもらえたし、そうやってでも言いたいことは伝えないと生活して行けなかった訳で、そうやって英語とちゃんぽんで話したり、同僚に直されたり、聞くたびにフレーズとして覚えて来たりで、サバイバル可能でした。
仕事をする上で必要な手続き上の書類はイタリア語で書かれているものを普通に渡されたりする訳で、文章なら考える時間もある訳で、辞書と格闘し、同僚やボスにお世話になりまくりながら、公的な文章だって書いて来ました。
いままで日本語をイタリア語に直す訓練をしてこなかったので、それもなかなかストレスです。
だって、何語でもそうだろうけど、日本語とイタリア語の間を直訳しても、とても奇妙になります。
イタリア人の日本語を勉強している人が、日本語でフォーマルなメールを送る用事があり、チェックしてあげたことがありますが、なんか軽くラブレターみたいな感じで、私が直したら、そんなに簡潔でいいの?って驚かれたことがありましたが、フォーマルな文章であまりプライベートなこともまで突っ込んでも失礼にあたったりしますよね。こういうのって直訳ではなく、習慣みたいなものが大きく絡んでいるような気がします。
仕事上の公的な文章も、(もちろんアメリカではありませんから。)日本で英語としてイメージするアメリカ方式で英語で書いたものをイタリア語にして持って行ったらそれじゃダメで、びっくりする様な決まった書き方があったりして、知らなきゃ言ってもらえたらいいけど、自分がただ損することもあったりするし、そういうものは、日本でもビジネスマナーの様なものがあるように、イタリア人でもちゃんと心得ている人に聞かなきゃダメでした。
英語でいいと言われても、日本人が英語で書くの書類を期待されているのではなく、イタリア人が英語に訳した形式に書くのがこつでした。
人と別れるときも、arrivederciとだけ言われること、なんだか寂しい気がします。
銀行のガードマンとかぐらいにしか言われなかった様な。
同僚とか秘書さんは、別れ際は、
Buona serata! とか Buona lavoro! とか Buona weekend!とか必ず相手をいたわる一言があって、
Ci vediamo (次に会うとき).
と別れ際にもいろいろ挨拶がありました。
イタリア語のレッスンや授業って、当たり前だけど、テンションは日本です。
沈黙が一番よくないと、何でも話そうとする習慣をつけようとしていたせいか、細かいこともどうでもいいから話したくなってしまうけど、語学を学ぶ上では、それではもちろんダメで、いらいらしたり。
シーンとしていて、しゃべりたい虫がうずうずしてきたり。
ナポリのテンションでおしゃべりしまくりたいというのをイタリア語の勉強に求めるのは間違っているんだなということに、やっと気づいたのでした。
そして、日本人同士で、イタリア語を話すのは、やっぱり違和感。
せっかく日本語と言う素晴らしい共通の言語があるのに、敢えてイタリア語で話すのは納得がいかなかったり。(イタリア語の勉強だから当たり前なんだけど。)
更には、イタリアを語る人って、すこし面倒くさい。
一番の理由は、そういう人に限って、イタリアって素晴らしいよね。日本は。。。という一言がつきます。
イタリアにもダメなところはいっぱいあるし、日本のいいところもいっぱいあると思うし、私は日本が大好きだったりします。
当たり前になっている良さに気づかずに、イタリアの良いところだけを見て、日本を否定されるととても悲しいです。
文化にはものすごく知識を持って驚くんだけど、なんだか絵に描いた餅という感じで、どことなく現実味がない。
というか、私は普通のイタリア文化とするものにあまり興味がない。
もちろん詳しくないけど、ポンペイの遺跡関連で歴史や、お料理には多少興味があるけど、意外とあんまりそういう話は出なかったりします。
まず、オペラやサッカーの話ばかりするのは、なにか違う気がする。
日本人のイタリアに興味をもつきっかけが、ほぼこれであることは認めるけど、だからってイタリア人みんながみんな大好きで、毎日毎日こればっかり考えて暮らしている訳ではありません。
ましてや、好きな人も嫌いな人も、興味がある人もない人も居ると思います。
たぶん一般的にイタリア人にサッカーやオペラの話をすれば乗ってくれるとは思うけど、同僚などさんざん話にのった後、日本人はオペラの話ばっかりすると愚痴っていた発言を聞いたこともありました。
ナポリで私のまわりの人たちは、日本人ほどにオペラに興味なかったし。
イタリアに行く前は興味があったけど、ナポリに行って、ほぼ興味がなくなりました。
私は芸術を見る目がないと言われればそれまでなんだろうけど、イタリア人のレイジーさを見てしまったからかで、日本で見るミュージカルとかは結構好きなのですが、やっぱりその絶え間ない努力や工夫が感じられるので、見てて感動があります。
口で言う程には手を動かさない。
中身が伴っていない。
それを日本人の発言と同じ尺度で考えるのは違う気がする。
そのプレゼンテーションのうまさはやはりイタリア人のいいところで、ナポリでは、やっぱり見習って習得しなきゃいけないと思っていたけど、その一方で、口ばかりで手を動かさないレイジーさは、うんざりしていた部分です。
逆にナポリに居たとき、日本人というと、お寿司の話か漫画の話をふってくる人が多く、こちらも大体イタリア人がふってくる漫画に詳しくなって来たりして。。。
美味しいお寿司の話ばかりされても、またかという感じでしたが、中には、芸者についてどう思うとか、宮崎アニメならまだいいにしろ、なんだかというマニアックな漫画を知ってるかと聞かれ、そんな漫画、常識的に考えて私は読まないよぉと思ったり、こんな感じじゃないでしょうか。
私はどちらかといえばサッカーよりも野球なので、ナポリ滞在時にオフィスで野球を見ていたら相当インパクトがあったらしく、同僚がずっと覚えていましたが。。。
イタリアってこうだよねと言われると、イタリアにだっていろんな人がいる。ましてや都市に寄って全く違ったりする。全てがそうとは限らないよとか思ってしまったり。
イタリア人の先生にも、イタリア人であるだけで頭がからっぽそうな人を見ると、外国人というだけで存在価値が上がるというのは変な話で、更には英語も話せないというか話そうともしないともなるとなんだか教養がない人だなとがっかりしてしまいます。
そういう人に群がっている日本人を見るとますますがっかりしてしまったり。
日本語を勉強しているイタリア人からイタリア語を習うことがあったせいか、その日本語変だよと、逐一気になって直してあげたくなったり。
そう言いつつ、私も、間違いなく、かーなり面倒くさい人なんだろうな。
でも、ちゃんと自覚がありますので
いろいろ思いながらも、続けてみようと思います
でもなかなかしっくりきません。
それよりも、なんだか、ストレスばっかり溜まって行くので、ここで発散してみようと思います。
という訳で、愚痴ブログです。
まず、そういうところに行って、私がイタリア語をちゃんとした文法で話せないのは事実です。
だからちゃんと細かく勉強したいと思うけど、かといって、ABCから始めるのも正直しんどいです。
そんなので通じるの?とも言われましたが、生活しているには、悠長に、冠詞の性を考えていたり、動詞を活用させている間もなく。。。
とにかく、動詞は主語をつけて原形、冠詞はなくてもいいから、話せ!!と言われていた訳で、主語と時間を表す言葉をつければ分かってもらえたし、そうやってでも言いたいことは伝えないと生活して行けなかった訳で、そうやって英語とちゃんぽんで話したり、同僚に直されたり、聞くたびにフレーズとして覚えて来たりで、サバイバル可能でした。
仕事をする上で必要な手続き上の書類はイタリア語で書かれているものを普通に渡されたりする訳で、文章なら考える時間もある訳で、辞書と格闘し、同僚やボスにお世話になりまくりながら、公的な文章だって書いて来ました。
いままで日本語をイタリア語に直す訓練をしてこなかったので、それもなかなかストレスです。
だって、何語でもそうだろうけど、日本語とイタリア語の間を直訳しても、とても奇妙になります。
イタリア人の日本語を勉強している人が、日本語でフォーマルなメールを送る用事があり、チェックしてあげたことがありますが、なんか軽くラブレターみたいな感じで、私が直したら、そんなに簡潔でいいの?って驚かれたことがありましたが、フォーマルな文章であまりプライベートなこともまで突っ込んでも失礼にあたったりしますよね。こういうのって直訳ではなく、習慣みたいなものが大きく絡んでいるような気がします。
仕事上の公的な文章も、(もちろんアメリカではありませんから。)日本で英語としてイメージするアメリカ方式で英語で書いたものをイタリア語にして持って行ったらそれじゃダメで、びっくりする様な決まった書き方があったりして、知らなきゃ言ってもらえたらいいけど、自分がただ損することもあったりするし、そういうものは、日本でもビジネスマナーの様なものがあるように、イタリア人でもちゃんと心得ている人に聞かなきゃダメでした。
英語でいいと言われても、日本人が英語で書くの書類を期待されているのではなく、イタリア人が英語に訳した形式に書くのがこつでした。
人と別れるときも、arrivederciとだけ言われること、なんだか寂しい気がします。
銀行のガードマンとかぐらいにしか言われなかった様な。
同僚とか秘書さんは、別れ際は、
Buona serata! とか Buona lavoro! とか Buona weekend!とか必ず相手をいたわる一言があって、
Ci vediamo (次に会うとき).
と別れ際にもいろいろ挨拶がありました。
イタリア語のレッスンや授業って、当たり前だけど、テンションは日本です。
沈黙が一番よくないと、何でも話そうとする習慣をつけようとしていたせいか、細かいこともどうでもいいから話したくなってしまうけど、語学を学ぶ上では、それではもちろんダメで、いらいらしたり。
シーンとしていて、しゃべりたい虫がうずうずしてきたり。
ナポリのテンションでおしゃべりしまくりたいというのをイタリア語の勉強に求めるのは間違っているんだなということに、やっと気づいたのでした。
そして、日本人同士で、イタリア語を話すのは、やっぱり違和感。
せっかく日本語と言う素晴らしい共通の言語があるのに、敢えてイタリア語で話すのは納得がいかなかったり。(イタリア語の勉強だから当たり前なんだけど。)
更には、イタリアを語る人って、すこし面倒くさい。
一番の理由は、そういう人に限って、イタリアって素晴らしいよね。日本は。。。という一言がつきます。
イタリアにもダメなところはいっぱいあるし、日本のいいところもいっぱいあると思うし、私は日本が大好きだったりします。
当たり前になっている良さに気づかずに、イタリアの良いところだけを見て、日本を否定されるととても悲しいです。
文化にはものすごく知識を持って驚くんだけど、なんだか絵に描いた餅という感じで、どことなく現実味がない。
というか、私は普通のイタリア文化とするものにあまり興味がない。
もちろん詳しくないけど、ポンペイの遺跡関連で歴史や、お料理には多少興味があるけど、意外とあんまりそういう話は出なかったりします。
まず、オペラやサッカーの話ばかりするのは、なにか違う気がする。
日本人のイタリアに興味をもつきっかけが、ほぼこれであることは認めるけど、だからってイタリア人みんながみんな大好きで、毎日毎日こればっかり考えて暮らしている訳ではありません。
ましてや、好きな人も嫌いな人も、興味がある人もない人も居ると思います。
たぶん一般的にイタリア人にサッカーやオペラの話をすれば乗ってくれるとは思うけど、同僚などさんざん話にのった後、日本人はオペラの話ばっかりすると愚痴っていた発言を聞いたこともありました。
ナポリで私のまわりの人たちは、日本人ほどにオペラに興味なかったし。
イタリアに行く前は興味があったけど、ナポリに行って、ほぼ興味がなくなりました。
私は芸術を見る目がないと言われればそれまでなんだろうけど、イタリア人のレイジーさを見てしまったからかで、日本で見るミュージカルとかは結構好きなのですが、やっぱりその絶え間ない努力や工夫が感じられるので、見てて感動があります。
口で言う程には手を動かさない。
中身が伴っていない。
それを日本人の発言と同じ尺度で考えるのは違う気がする。
そのプレゼンテーションのうまさはやはりイタリア人のいいところで、ナポリでは、やっぱり見習って習得しなきゃいけないと思っていたけど、その一方で、口ばかりで手を動かさないレイジーさは、うんざりしていた部分です。
逆にナポリに居たとき、日本人というと、お寿司の話か漫画の話をふってくる人が多く、こちらも大体イタリア人がふってくる漫画に詳しくなって来たりして。。。
美味しいお寿司の話ばかりされても、またかという感じでしたが、中には、芸者についてどう思うとか、宮崎アニメならまだいいにしろ、なんだかというマニアックな漫画を知ってるかと聞かれ、そんな漫画、常識的に考えて私は読まないよぉと思ったり、こんな感じじゃないでしょうか。
私はどちらかといえばサッカーよりも野球なので、ナポリ滞在時にオフィスで野球を見ていたら相当インパクトがあったらしく、同僚がずっと覚えていましたが。。。
イタリアってこうだよねと言われると、イタリアにだっていろんな人がいる。ましてや都市に寄って全く違ったりする。全てがそうとは限らないよとか思ってしまったり。
イタリア人の先生にも、イタリア人であるだけで頭がからっぽそうな人を見ると、外国人というだけで存在価値が上がるというのは変な話で、更には英語も話せないというか話そうともしないともなるとなんだか教養がない人だなとがっかりしてしまいます。
そういう人に群がっている日本人を見るとますますがっかりしてしまったり。
日本語を勉強しているイタリア人からイタリア語を習うことがあったせいか、その日本語変だよと、逐一気になって直してあげたくなったり。
そう言いつつ、私も、間違いなく、かーなり面倒くさい人なんだろうな。
でも、ちゃんと自覚がありますので

いろいろ思いながらも、続けてみようと思います

