皆さん、お久しぶりです(*・ω・)ノ





最近、ブログを更新出来なかったのには
とある理由がありました。




8月26日 大好きなママがこの世を去りました。




ブログに書くかどうか迷いましたが、
私にとってとても大きなことで、
残しておきたいと思ったのと、
ママが生前にお世話になった方々へきちんと報告したいと思ったので書くことにしました。



※ここからはかなり長文になります



8月7日、患っていた「間質性肺炎」という病気から、救急車で運ばれ、緊急入院しました。



当日、妹から連絡を受け、翌日には福岡に戻りました。



到着すると母の様子は安定しており、
いつも「ちょっとのことで帰ってこなくていい」と怒られていたので、内心ビクビクで(笑)病室に入りました。


「あらっ!あなたどうしたの?!?!」


と言う母に


「怒らないでね(´・ω・`)」


と言うと、


「もう来てしまったものを、怒りません」


と嬉しそうに笑って言った母を鮮明に覚えています。


間質性肺炎は特定疾患(難病)なので、
現在の医学では治すことはできません。



それでも母は強い人でした。



「奇跡を起こすのは、私」
「間質性肺炎くらい絶対に負けない!」



って言って、笑ってました。



いつも、自分のことより、家族のこと。
自分のことより、周りのことを大切にする人でした。


きっと、不安でいっぱいの中でも、私達に心配をかけたくなかったのだと思います。


その時点で、お医者さんからは



「いつ何が起こってもおかしくない」
 


と言われていましたが、
日に日に回復していくように見えました、



急変しやすい病気なので、今日元気でも明日にはわからない、そんな状態でしたが、母は元気に振舞ってくれました。



母から「仕事があるでしょ。迷惑かけちゃいけない。あなたは東京に戻りなさい。」



そう言われ、8月16日頃東京に戻りました。



父や妹のこともとても心配でしたが、
家族みんな、私が東京に戻ることを望んでいたので、戻ることにしました。




8月24日、朝。



父から「危篤だから帰ってこい」と連絡がありました。



出勤中のことだったので、まず会社に連絡して、その足で空港に向かい、飛行機に乗りました。


最短で福岡に着く飛行機が、1席だけ空いていました。


福岡に向かう飛行機の中、


もうママと生きて会えないかもしれない。
そんな思いばかりで頭がいっぱいでした。



「福岡に着く頃にはもう、話せないかもしれない」


「もうママはこの世にいないかもしれない」



不安な気持ちでいっぱいで、ただただ涙が溢れて止まりませんでした。


飛行機は予定時刻の20分前に着陸しました。



1席だけ空いていたこと。
到着予定時刻の20分も前に到着したこと。
前から3列目で一番に飛行機を降りられたこと。



なんだかママが



「早くおいで」って言ってくれている気がしました。



空港には親友たちが迎えに来てくれていて、
車に飛び乗りすぐに病院に向かいました。



一刻も早くママの元に私を届けたい。



その一心で一生懸命運転してくれる友達。
不安で仕方ない時に、傍にいてくれた友達。
本当に感謝でいっぱいでした。



走って病室に入ると、、、、



ママは生きていてくれました。



私の顔を見て笑って、頬をなでてくれて、
ギュッと抱きしめてくれました。




私は決めていました。
ママともし話せたら、、、、
どんな状況でも、泣かない。
「もう、ママ!ビックリさせないでよ〜!!(笑)」って笑うって。



ちゃんと、笑って、そう言えました。



ママは笑って、ごめんねって言いました。



その日の夜は妹が病院に泊まって、
25日は私が朝からママとずっと一緒にいられました。



人工呼吸器をつけていたので、ママはあまり話せはしないけれど、東京での話、将来の話、歌の話、たくさんママに報告しました。



ママのベットを覗き込みながら話していると、
ママがじーっと私の顔を見て微笑むので、
「なに??(笑)」って聞くと


可愛い


って言って頬をなでてくれました。


ママは一緒にいる間、何度も何度も、


可愛い


って言ってくれました。



その日の夜は私と妹が病院に泊まりました。



ママの容態はどんどん悪くなって、
パパを呼んでその日の夜はなんとか、越えられました。


8月26日


私たちの体を心配して、
パパから、一度お家に帰って休みなさいと言われました。


不安でしたが、また夕方に戻ろうと妹と話して家に戻りました。


でも結局2人とも眠れず、準備をし始めました。


よし!準備終わったし病院に向かおう!
その時に、パパからの電話が鳴りました。



「早くおいで」



パパの声から、覚悟しました。


車の中で妹と


「何があっても後悔しない」
「ママは頑張ったもんね」


病院に着いて、無我夢中で走りました。


病室に入ると、




ママの心拍を表示していた機械の数値は


0になっていました。


ただ、真っ直ぐの線でした。



理解なんてできなくて。
だけど、理解しなきゃならなくて。



ママはもう、話せない。
もう、抱きしめてもくれないし、


顔を撫でながら「可愛い」って言ってくれない。



一度も、一度たりとも、
ママの前では泣きませんでした。



不安でも、寂しくても、


絶対に泣かないと決めていました。



だけど、その時ばかりは大声で泣きました。




ママはもう、いない。




どんな時も、家族を娘を心から愛してくれた。


自らずっと、子供に背中を見せてくれた。


私の能力を世界中の誰よりも信じてくれた。


正しい道に導いてくれた。


どんなときも味方でいてくれた。


たくさんの愛情を注いでくれた。



ママはもう、この世にはいません。




悲しい。

寂しい。

会いたい。




だけど、前を向いて力強く生きる。


ママはいつでも、パワフルで、ポジティブで、後ろ向きになりそうな時にいつも背中を押してくれた。



あなたならできる。



ずっとそう言ってくれた。



だからね、ママ。


私はママの娘として、力強く生きる。



ママが最期の時まで、そうであったように。




ママの娘として、恥じないよう、
胸を張って生きられるよう、頑張るからね。




いつか天国でまた会えたら、


その時は沢山、おはなしを聞いてね。


また沢山抱きしめて、可愛いって言ってね。



パパと妹を1人にしないって決めたよ。


私は最後に、そっちに行くからね。



その時は、よく頑張ったねって、褒めてね。



ママの娘として生まれてこれて、本当に良かった。



ママの娘に生んでくれて、ありがとう。






ママが大好きだと言ってくれた、歌声を、

最期の時まで届けられて本当に良かった。




渡部兄に出会えてなかったら、

こうやってまたママに聴かせられなかったから。



渡部兄が一緒にやろうって言ってくれなかったら、私はきっと、ずっと応援してくれたママに、何も出来なかった。



だからね、渡部兄を大切にして、感謝して、



私を支えてくれる、傍にいてくれる、


温かい人を大切にして、感謝して、



パパとたえを大切にします。



「これもしてあげたかった」



そうは思いません。



私はママに教えてもらった



「自分の気持ちをきちんと言葉にして伝える努力をする」



このおかげで、ママの娘に生まれて良かったと、ママが大好きだと、尊敬していると、ちゃんと伝えられたから。



親孝行はできなかったかもしれないけれど、



伝えられなかったことの後悔は微塵もないよ。




だから、ごめんねって言わないよ。




ありがとう。ママ。ありがとう。








かなりの長文でしたが、
ここまでお読み下さった皆様、
ありがとうございました。



暗い文章でごめんなさいね(๑´ڡ`๑)♡(笑)




皆さんにお願いしたいことは、



ちゃんと気持ちは言葉にして伝えて欲しい


ありがとう
ごめんね
嬉しい
楽しい


伝わるだろう、じゃなくて、言葉で伝えて欲しい。



言葉にすることは、本当に大切なことだと改めて実感しました。




ママのことを書くのにとても時間を要してしまい、長く不在にして申し訳ありませんでした。



次からはまたいつも通りに、


を吐きながら、
楽しくブログを書きます\(^o^)/音譜



本当に感謝しています。
ありがとう。



これからも、ママが大好きだと言ってくれた音楽をずっと続けたいと思っています。



そしてそれは、ほかの誰でもなく、
わたべ兄と一緒にずっと、続けて行きたいです。



私らしさがなにかは分かりませんが、
きっとどこかに、私たちを必要としてくれる人がいることを信じて、歌うことの楽しさを忘れずに、続けていきます(*^^*)!



これからも、Sleeping Endless(スリピ)をよろしくお願い致します(*´ω`*)🎵








にんにん