【短編小説】When you wish upon the star ①告白
うねるような人ごみの中で、僕は周りのイルミネーションを楽しむどころか、彼女を見失わないだけで必死だった。手を繋いで歩けたらいいのだけれど、僕たちはまだそんな関係に至っていない。ただの友達同士。肩の距離は常に、拳数個分以上離れている。 でも、それも今日で最後だ。今日こそ僕は、彼女に告白するつもりでいる。「……一旦、この辺で少し休憩する?」「うん。そうしよっか。ちょっとお腹空いちゃった。あそこで何か買ってこ」 美香はニコッと笑って、グッドタイム・カフェを指差した。行列は出来ていたが、五分も並ばないだろう。座れる場所もありそうだ。 十二月末の空はすっかり暗くなっていて、空気は冷たく、座った瞬間にお尻がヒヤリと冷える。 ――其れにしても、龍二のヤツ。一体どこで何してるんだよ。 トゥーン・タウンの噴水そばで、買った骨付きソーセージを食べていると、美香が僕の肩を叩いた。「晴樹くん! 写真撮って!」 白いマフラーに顔を半分埋めた美香が、黄色いドナルドバーガーを両手に持って、目を輝かせている。この寒空の中、今日一日ずっと歩いているのに、疲れた様子をまるで見せない。「はい、チーズ」 写真をパシャリと撮ると、美香はそれを見て、嬉しそうに笑った。そんな彼女を横目に、僕は周りを見回した。 ユーモラスなBGMと、曲線的なデザインの建物。ディズニーのメインキャラクターの名前を冠したアトラクションや食べ物。どこからともなく漂う甘いポップコーンの匂い。ある意味で、ディズニーらしさを一番強く感じられる場所だ。ディズニーランドで好きなエリアを一つ挙げるとしたら、僕はトゥーン・タウンを選びたい。 時刻は午後八時。閉園時間まであと二時間。それは同時に、彼女に告白するまでのタイムリミットでもあった。 考えてみれば、今がチャンスかもしれない。朝からずっと三人で遊んでいて、美香に告白するタイミングなんて一度もなかった。隣に男がもう一人――親友の龍二がいたからだ。けれど今は、夢の王国で美香と二人きり。千載一遇のチャンス。 ――やっぱり緊張する。 というか、龍二は本当にどこ行ったんだ? あいつがいつ戻ってくるか分からないと、チャンスとはいえタイミングが掴めない。うっかり「好きです」と言った瞬間に龍二が戻ってきたら、気まずいどころの話ではない。 彼が突然消えたのは二十分ほど前だ。チュロスを買いに行くと言って、そのまま消えてしまった。美香の様子を見ると、龍二がいなくなってからどこか落着きがない。あたりを見ながらそわそわとしている。 どう見ても僕ではなく龍二のことを気にしている様子だった。 * ディズニーランドへ行くことが決定したのは二週間前だ。 大学の帰りに、池袋のスタバでカフェラテとチーズケーキを食べていた。僕がクリスマスイブに遊ぼうと誘い、どこがいいか聞いたところ、彼女は即座にそうディズニーランドを提案した。「……ディズニーランド?」「うん」「クリスマスイブに?」「そう! イブに行くのが夢だったの!」 美香は目を輝かせながら言った。「混んでない?」「うーん、混んでるとは思うけれど、『最悪』ってレベルじゃないみたいだよ。今年は平日だし」 美香はスマホで「混雑予想カレンダー」というサイトを僕に見せてきた。予想レベルは中の上くらい。アトラクションに並ぶ時間は平均六十分程度。確かに、この王国にしては普通の混雑レベルかもしれない。 キラキラした瞳で僕を見つめる美香に、閉口してしまった。そもそもイブのデートに誘ったのは僕の方だし、一分前に「美香の好きなところに付き合うよ!」と見栄を張ったのも僕だ。 ただ、あまりにも意外な展開に、少しだけ戸惑ってしまったのだ。イブのデートなんて、そもそもそれ自体断られても仕方ないと思っていたのに、二つ返事で承諾されるどころか、ディズニーを希望されるなんて。 断っておくが、ディズニーは大好きだ。小学生の頃から映画作品を欠かさず鑑賞しているし、劇中に登場する音楽にも精通している。マニアと言っても過言ではない。 最高に嬉しかった。好きな女の子とのクリスマスデートに、夢の王国へ行けるなんて、まさに夢が叶った気持ちになった。「いいよ! 僕も行きたいから!」「やった! 楽しみにしてる! 誘ってくれてありがとうね!」「うん、僕も楽しみ」「……一つ聞いてもいい?」 美香は少しだけうつむきながら言った。「これって、ひょっとしてデートの誘いのつもり?」「……さあ。どうなんだろ?」 僕は首を傾げながら、しどろもどろに答えた。「じゃあ、デートじゃない?」「う、うん。だって僕たち、友達じゃん」「そっか。……うん、そうだよね」 美香はそう言って、安心したように笑った。デートかどうか聞かれても、僕にはデートの定義すら分からないのだから、答えようがなかった。 けれど、多分、そんな言葉に意味などないと思った。イブにディズニーへ行くなんて、誰がどう見てもデートだ。だから、彼女にも僕の真意はある程度伝わっているだろうと思っていた。そのまま二人で当日のプランを練った。話は夜遅くまで盛り上がった。全てが順調に進んでいた。 ただ一つの誤算は、イブの数日前、美香が三人目を誘ったことだ。同じ演劇サークルの同期、鬼塚龍二。彼女はあろうことか、クリスマスイブのデートに他の男を呼んだのだ。あとで聞いたら、「最初からみんなで遊ぶつもりで誘ったんだと思ってた」と言われた。あっけらかんとした顔で。 * 夜空が赤く光り、ドォンという音が鳴った。瞬間、周りから歓声が上がり、皆が一斉に空を見上げる。赤色に続いて、青、黄色、緑など、色とりどりの花火が夜空を眩しく染めた。 王国の中心からは随分離れたエリアだが、トゥーンタウンの噴水付近からは意外と花火が綺麗に見える。ドン、ドンと立て続けに光が破裂し、美香の白いマフラーはその度に、花火の色に合わせてカラフルに染まった。 しばらく、僕たちは無言で花火を見つめていた。寒さで濁る吐息にも、あらゆる色の光が滲む。空気が澄んでいるせいか、鳴る音もどこかクリアだ。冬の打ち上げ花火も、夏とは違う風情を感じられる。「……ごめん、私ちょっとお手洗い行ってくるね!」 花火が始まってしばらくすると、美香は突然僕を置いてトイレへ行ってしまった。突然一人になってしまった僕は、これ以上ないくらいの孤独感に襲われた。 スマホを見た。さっきから何度か龍二にラインを送っているが、返信はない。トイレに行った美香も、混雑しているのか全然戻って来ない。冷たい風に吹かれていると、徐々に不安に包まれた。 僕は最悪の事態を想定した。 ――まさかあの二人、裏で結託して、僕を放置して勝手にデートしてるんじゃあるまいか。 可能性は考えられる。今日一日振り返ってみても、美香は僕より龍二と遊んでいる方が楽しそうだった。仕方ないとは思う。単純に見た目やコミュ力を比べたら、僕は逆立ちしたって龍二には敵わないだろう。こんな夜にどっちの男と一緒に過ごしたいかと言われたら、仮に僕が女の子なら間違いなく龍二を選ぶ。 ぼんやりしていると、スマホのライトが消え、真っ暗になったガラスディスプレイに自分の顔が映し出された。なんの面白みも色気もない顔。ただでさえ作りが悪いのに、あからさまに不機嫌そうな表情をしている。これじゃ成功する告白も成功しないだろう。 ニコッと無理やり笑ってみた。寒さで顔の筋肉がかじかんで、気持ち悪い笑顔になった。近くを通りかかった小学生くらいの女の子が怪訝な顔で僕を見ていた。 トゥーンタウンで、イブの夜に、骨付きソーセージを食べながら一人で笑っている男。夢の王国の怪人である。 * 鬼塚龍二は大学で最初に出来た友人だ。一ヶ月くらいの差だけれど、美香と出会う前からの付き合いである。不良漫画の主人公みたいな名前とは反して、スリムで中性的な見た目をした、いかにも女子にモテそうな長身の好青年だった。 彼との出会いは新歓パーティの飲み会で、僕が男子校出身だという話を聞いて、突然嬉しそうに話しかけてきたのだ。彼が僕の親友になるまで数日もかからなかったが、その時はまだ「やたらイケメンな奴だな」という印象しかなかった。「俺も中高男子校なんだ! いやあ、仲間がいて嬉しいよ」「そうなの?」「そうだよ。彼女とか出来たことないし、六年間で女の子と喋ったことも数えるくらいしかない」 それを聞いて、急に親近感が湧いてきた。僕もこの六年間、女性と喋ったことはほとんどない。付き合うことはおろか、デートした経験もない。「俺、鬼塚龍二。君は?」「……三浦晴樹」「よろしく、晴樹。童貞同士仲良くしようぜ」「おい、勝手に童貞扱いするなよ」 僕は怒髪で天を衝いた。まあ童貞だったのだけれど。「いいじゃんか。どうせそうに決まってるんだから見栄を張る必要もないだろ。モテない男同士、これからよろしくな」「……龍二はいかにもモテそうだけど」「え、そうか?」彼はキョトンとした顔で言った。「全然モテないぞ、俺なんか。デートの経験なんてまるでないし、まず出会いがないし」「それは男子校だったからだろ。これからいくらでも出会いがあるよ。そしたら龍二みたいに分かりやすいイケメンが絶対モテると思う」「世の中そんな甘くないよ。それにやっぱり、俺は男同士でこうして喋ってた方が気が楽だしな。しばらくは独り身で分相応に過ごすよ」 自虐気味にケラケラ笑っていた龍二から「好きな子が出来た」というラインが来たのは、わずか一週間後のことだった。その三日後に告白し、なんとそのまま付き合ってしまったらしい。とんでもないプレイボーイである。 *「お待たせ!」 後ろから肩をポンと叩かれ、振り向くと人差し指で頬を突かれた。古典的ないたずらに引っかかり、しかし悪い気はしない。戻ってきてくれて安心した。「龍二くんから連絡きた?」「いや、来ないよ。何度かラインを送ってるけど、既読もつかない」 美香の残念そうな顔を見て、僕はそれ以上に残念な気持ちになった。やっぱり、彼がいないと不満なのだろう。僕と二人きりというこのシチュエーションを、彼女は少しも楽しむ気がないように見える。 と、その時美香のスマホが鳴った。龍二からの電話らしい。「もしもし、コードSSKM。龍二くん、どこで何してるの?」 美香は腰に手を当てながら彼と電話を始めた。 ――コードSSKM? 美香が突然口にした謎の言葉に、僕は隣で首を傾げた。SSKM。何かの略語だろうか。 ――ひょっとして、「佐々木美香」って意味か? 気が付いてみれば単純だった。SSKM。佐々木美香。名前をわざわざ暗号にする意味も分からないが、おそらく龍二との間ではそんな呼び方をし合っているのかもしれない。まるでスパイごっこみたいな、くだらない遊びだ。とはいえ、僕の知らない場所で二人だけの呼び方をしているということに、強く嫉妬してしまった。「私たちは今トゥーンタウンにいるよ。そっちはどこ? ……分からないって、周り見れば大体分かるでしょ。そこから何が見える? ……いや、花火なんて今どこからでも見えるから……、いや、ポップコーンのお店もそこら中にあるから……」 二人が電話している様子を見て、僕は美香の隣にいながら、疎外感を覚えた。完全に僕のことをほったらかしにしている。三歳児じゃないんだから、こっちの場所を教えれば自力で辿り着けると思うけれど、美香はどうしても龍二を迎えに行こうとしているらしい。「よし、分かった。晴樹くん、ファンタジーランドへ行こう!」「龍二のやつ、そこにいるの?」「なんか『お墓とカボチャがある』って言ってたから、多分ホーンテッドマンションのそばにいるんだと思う」 ファンタジーランド。トゥーン・タウンの隣のエリアだ。そこなら歩いてすぐに着く。僕は残りの骨つきソーセージをパクリと食べて、美香と一緒にホーンテッドマンションへ向かった。「ところで、SSKMって何?」「SSKMはSSKMだよ。察して」 美香はフフンと鼻を鳴らし、何故か微妙に頬を膨らませた。何か気に障ることでも言っただろうか。しかし、怒っている訳でもないらしい。 入り口の墓の前へ着いたが、しかし龍二はいなかった。しばらく付近を捜索したが、どこにも見当たらない。背が高いから、そこにいればすぐ見つかるはずなのに。 美香は呆れた顔で再び龍二に電話をかけた。「もしもし? 今ホーンテッドマンションに着いたけど、どこにいる? は? 中に入ったら出られなくなった? しかも天井が伸びてる? ちょっと、一人で何勝手にアトラクション乗ってるのよ……」 話を聞いたところ、どうやらショップと間違えて寒さをしのぎに入ってしまったらしい。迷子の分際で何をウロチョロしてるんだと思ったが、少なくとも場所がわかっただけでも良かった。「ねえ、私たちも乗っていかない?」 美香は僕の袖をチョンチョンと引いた。「龍二くん、どうせしばらく出てこないし、今なら空いてるからすぐ入れるし。『出口で待ってて』ってライン送っとけば合流出来るでしょ」 思いがけない展開に、僕の胸がトクンと鳴った。 ホーンテッドマンションは「ドゥームバギー」という乗り物に乗りながら暗闇を進むライド式のアトラクションである。 二人ないし三人乗りのバギーは、ノロノロとゆっくり進むため、話をする余裕もある。考えてみれば、彼女との距離を自然と詰めるには悪くない場所かもしれない。 待ち時間は十三分。すぐに入れるようだ。龍二と時間差はあるだろうが、勝手に迷子になったのは向こうだし、出口でしばらく待たせておくことにしよう。 美香と一緒に中に入り、待ち時間に演出される「伸びる天井」を楽しんだ。アトラクションの設定としては、この屋敷には九百九十九人の亡霊が住んでおり、屋敷に入ったゲストの中から千人目の仲間を選ぼうとしている……というものだ。美香は意外とホラーに弱いようで、バギーに乗った瞬間から妙に距離を近付けてきた。「私、実はこれ初めて乗るの」「そうなの?」「怖くて乗ったことないから。……本当に幽霊とかいないよね?」「そんな都市伝説はあるみたいだけど」「都市伝説?」「……オープン当初に、『ホーンテッドマンションで一番怖かった仕掛けは?』ってアンケートを取ったことがあって、多数のゲストが『廊下で手招きしてる女の子』って答えたんだって」「女の子? ……やだ。廊下って、どこの廊下に現れるの?」「どこの廊下にも現れないよ」「え?」「このアトラクションには、そんな仕掛けはないんだ。つまり、いるはずのない女の子を、たくさんの人が見たって答えたんだよ。しかもそれが一番怖かったって」「……嘘でしょ?」「さあ、都市伝説だから」 わずかに触れ合った美香の肩が、一瞬だけブルッと震えた。 乗っている間、美香は無言だった。アトラクション内の仕掛けが作動する度に「きゃッ」と小さい悲鳴を上げたりしたが、基本的には無言だった。噂の廊下を通りかかっても、女の子らしい幽霊は見当たらなかった。 ――今告白しても、聞いてもらえないかな。 暗がりで二人きり。距離も近いし、乗り終わるまで誰かに邪魔されることは絶対ない。今こそチャンスだ。 しかし、告白のムードとは言い辛い気がした。お化け屋敷で愛の告白なんて話は聞いたことがない。吊り橋効果なんて言葉はあるが、本当に吊り橋で告白して成功した奴なんているのだろうか。 ――もう少し我慢しよう。 ――そうだ。降りた時に告白しよう。ホッとした瞬間を狙おう。 舞踏会で楽しそうに踊る幽霊たちを見下ろし、彼らをちょっとだけ羨ましいと思った。あのダンスの輪に、美香と僕を仲間に入れてくれないだろうか、なんて。 * 美香がサークルに入部したのは、僕たちより少し遅れた五月末で、きっかけは龍二の紹介だった。同じ学部でいつも同じ授業を受けており、話してみると演劇に興味があるというので、部室に連れてきたらしい。ちょうどその時、僕も部室で本を読んでおり、美香と顔を合わせることになった。僕はその日に彼女を好きになった。 理由なんて無い。一目惚れだった。黒縁メガネの地味な女の子で、体も小さく、高校生か、下手をすれば中学生くらいに見える。背の高い龍二と比べると、同い年にはとても思えず、兄と妹みたいな印象を受けた。 しかし、とにかく可愛い。一瞬で心を奪われた。おどおどとした表情で部室に入ってくる姿も可愛くて、僕はしばらく彼女を見つめたまま動けなくなってしまった。 龍二はそんな僕にお構いなしで、「こいつ、晴樹っていうんだ。俺と同じく男子校出身で、クソ童貞だから安心していいよ」などと紹介していた。いきなり余計なことを言うなと腹立たしく思ったが、美香は確かにホッとした表情を見せた。「はじめまして。佐々木美香といいます。……私も女子校出身なんです。だから、共学のノリとか合わないし、男子の集団とかちょっと怖くて……、ここなら女の子もたくさんいるって聞いて、見学に来ました」「そうなんですか? なら安心してください。僕も女子が怖いです」「……私が怖いですか?」「ええ、女子校なんて僕から見たらお化け屋敷ですよ。ホーンテッドマンションの百倍怖い」 僕がそう言うと、美香の瞼がぴくっと動いた。「ひょっとして、ディズニーお好きなんですか?」「大好きです」 僕がそう答えると、美香は表情を変えた。「私もです」 そんな僕たちの様子を、龍二はぽかんとした顔で見ていた。あとで聞いたところ、彼はディズ二ーに一ミリも興味がないらしい。「ゆうれい立入禁止! 人間の世界へあと少し」 アトラクションの出口のサインと、降り場の明かりが見えてきた。どうやら千人目の亡霊にはならず、無事に人間の世界へ帰れたらしい。 バギーを降りると、美香は余程怖かったのか僕を置いてそそくさと出て行ってしまった。降りた時に告白しようかと思っていたのに、なんだか逃げられてしまった気分だ。 外へ出ると、そこで待っているはずの龍二がどこにも見当たらなかった。「どこ行ったんだアイツ。千人目の亡霊になっちまったのか?」 美香は僕を無視して、すぐに龍二に電話をかけていた。「コードSSKM。龍二くん、今どこ?」 美香は入る前より機嫌が悪そうだった。待っていろと言ったのにまたも消えた龍二に苛ついているのかもしれない。「え? 道を聞かれたから案内してる? 迷子の分際で何やってるのよ。……いや、別に苛ついてないよ。いいからどこにいるのか教えて。……いや、何、『ガラスがいっぱいある場所』って」 イライラしつつも丁寧に場所を確認すると、どうやらアドベンチャーランドのショップ、「クリスタルアーツ」にいるらしい。「シンデレラ」で有名なガラスの靴など、美しいガラス製品を多数販売しているショップだ。女の子にとっては憧れのお店かもしれないが、男一人でウロついていたら不気味なことこの上ない。本当に、迷子の分際で何をやっているんだと思ったが、再び彼を迎えに行くことになった。「ほら、早く行こ。晴樹くん」 電話を切るなり、美香はまたスタスタと歩き出してしまった。どう見ても機嫌は良くなかった。 そんな彼女の態度を見て、僕も徐々にイラついてしまった。今日、僕はそもそも美香だけを誘ったつもりなのに、龍二を探して時間を無駄にされた挙句、美香に機嫌まで悪くされてはたまったものではない。 美香も美香だ。偶然とはいえ、僕と二人きりになっているのに、彼女はどこにいるかも分からない龍二のことばかり気にしているように見える。勝手に迷子になっているのは向こうなのに、なんで僕が振り回されなければならないのだろう。 しかし彼女は、僕の気持ちを察することもなく、まっすぐクリスタルアーツを目指していた。 僕はあえて彼女の隣を歩かず、少し遅れて周りの景色を見回した。やはりカップルが多い。中にはわざわざ制服を着た男女も歩いている。幸せそうな笑い声に加え、エリア内を流れるBGMにはクリスマスアレンジがなされ、メロディラインにベルや鈴の音が混じっている。そしてミルクチョコレートポップコーンの甘い香り。さっき骨付きソーセージを囓ったばかりなのに、嗅ぐだけで食欲をそそられてしまう。 光、音楽、甘い香り。クリスマスの雰囲気を完璧に演出された空間。けれど、美香は僕の隣にいてくれない。それだけで、むしろ全てが虚しく見えてしまう。「……どうしたの?」 わざとノロノロ歩く僕を振り返って、美香は首を傾げた。「……別に」「足でも挫いた?」「だから、なんでもないってば」 僕が少し冷たくそう言うと、美香は悲しそうな顔を見せて、またクリスタルアーツへそそくさと向かってしまった。 ――なんでそんな顔するんだよ。 これじゃ、告白するどころではない。どんどん距離が遠くなっていくようだ。 シンデレラ城が見える。ディズニーランドを象徴する夢の城。澄んだ冬空の下でライトアップされたそれは、絵本や映画で見たそのままの美しさだった。しかし、美香は僕を見ずに他の男を追いかけている。偶然とはいえこんな光景の中で二人きりでいるのに、彼女の視界に僕はいない。 もう、告白する前から答えは出てるみたいだ。彼女は僕に興味がない。 クリスタルアーツへ到着した。中に入ると、またも龍二はいなかった。「あいつ、今度はどこ行ったんだ?」「……ラインが来てる。『またお腹痛い。ちょっとトイレに行ってくる。手頃な靴でも買って待ってて』だって」「あっそ……。じゃあ一番デカイ奴買っておこうか」 あの野郎、見つけたらガラスの靴でぶん殴ってやる。 *「美香は役者に興味ないの?」「あるにはあるけど、私には多分無理だと思う。体力もないし、大きな声も出せないから」 サークルに加入した時、彼女は寂しそうにそう言って、最初から裏方を希望していた。僕はもっぱら役者をやるつもりでこのサークルに入ったので、彼女とは同じ仕事が出来ないということが、少しだけ残念だった。「私、もともと体が丈夫じゃないの」「そうなの?」「うん。今は普通だけれど、中学までくらいは学校より病院へ通っていた記憶の方が多いくらい」 それを聞いて、意外というより納得してしまった。彼女の体の小ささは、確かに少し、病的な儚さを漂わせていたからだ。「体を動かすより、読書や映画鑑賞の方が好きなの。演劇も、役者をやるより観客として間近で観たかったから」 それは役者に興味がないというよりも、最初から諦めているような口ぶりだった。 その代わり、美香の小説や映画に関する造詣――特に小説に関して――は、並みの大学生とは比べ物にならないくらい深かった。僕もどちらかといえば文系で、読書は趣味の一つだけれど、彼女には全く敵わなかった。 けれど、本のおかげで僕は美香と仲良くなれたように思う。本の貸し借りという名目で、美香と話す機会は自然と増えた。部室で話すだけでなく、一緒に本屋へ行ったり、その流れでカフェへ寄ったり、帰りに夕食を食べたり――龍二には黙っていたが、実は僕と美香の二人だけで過ごす時間は少なくなかった。 彼女に紹介される本は全て面白く、僕が紹介した本を彼女は全て一日で読み終え、僕より遥かに深い視点から感想を述べた。そんな彼女の知性にも、僕は心から惹かれた。「……晴樹くんは、将来役者になるの?」 ある日、部室でシェイクスピアの本を読んでいると、美香はそんなことを尋ねてきた。「さすがにそれは無理だよ。でも、演劇鑑賞はずっと好きだったから、ちょっと憧れてはいるかも」「どんなの見るの?」「うーん、ベタだけど劇団四季の『ライオン・キング』とか『リトル・マーメイド』とかは何度も見に行くくらい好き。あと、下北沢とか高円寺のサブカル演劇とかも結構行くなあ。お気に入りの劇団がいくつかあって、毎回チェックしてるんだ」「え、いいなあ。……私、家で映画は見るけど、演劇を見に行く機会は全然なくて、ほとんど知らないの」 小説に関しては僕の完敗だが、演劇に関してはこっちの方が詳しいと知り、少しだけ得意げな気分になった。「やっぱりナマの舞台は迫力あるよ。他の大学の演劇部とかでも、レベル高いところはプロ並みに面白いし」「今度、良かったら私も連れて行って。ミュージカルとか観たいな」 彼女のその言葉に、心臓が痛くなるほど鼓動した。それは生まれて初めて経験した、女性からの誘いの言葉だった。けれど僕は「あうー」と曖昧に返事したまま流してしまった。女子との会話に慣れていない僕は、それが本気の言葉なのか社交辞令なのか、判断出来なかった。「あうー、って何よ」 美香は苦笑いしながら、僕にデコピンをしてきた。 本気ならまた声をかけてくるだろうと思って、二度目を待つことにしたが、それ以降何度演劇の話をしても、それで話が盛り上がることはあっても「私も連れてって」と言われることはなかった。やっぱり社交辞令だったのかな、と思った。 龍二にその話をしたら、呆れた顔で「あうー」と言われたが、彼もそれ以上は何も言ってこなかった。 * しばらく「クリスタルアーツ」の中をふらつきながら、龍二を待った。中にいる客は男女のペアばかりで、明らかに付き合っていると思われるカップルしかおらず、全員手を繋ぎ合っていた。「見て見て、ガラスの靴もある」 美香が指差した先には、まさに映画で見たとおりの精巧な『ガラスの靴』があった。照明付きの回転台座に乗せられゆっくりと回り、角度によってはダイヤのようにキラキラと眩しく輝き、角度によっては氷のように冷たく透き通る。男の目から見ても息を呑むほど美しい靴だ。値段を見ると――僕が履いている靴の数倍はした。「名前も彫れるんだって。すごいね。……私もいつかイケメンの王子様からこんなのサラッと貰ってみたいなぁ」 美香はトランペットを見つめる少年のような目をしながら、ガラスの靴を見つめていた。彼女の言葉を聞いて、なんだかムカムカとしてしまった。僕はこんなものをサラッと買えるお金など持ってないし、イケメンでもないし、もちろん王子でもない。「要するにお前なんか眼中にない」と遠回しに言われているような気持ちになった。「龍二はどこ行ったの?」「今ライン来た。トイレだって」「また?」僕は呆れた。「少しは我慢しろよ。人を振り回してるんだから」「寒いし、お腹でも痛くなったんじゃない?」 美香はクスッと笑い、何事もなかったかのようにショップ内をウロウロと周り始めた。 迷子になった龍二を追いかけて、挙句待たされても、文句ひとつ言わない。僕と一緒に過ごすより、彼を追いかけることの方が、よっぽど楽しそうだ。 ――ひょっとして、僕なんかいない方がいいんじゃないだろうか。 ――最初から、龍二と二人だけで来たかったんじゃないだろうか。 僕はあえて美香と離れて、店の入口付近で龍二が戻ってくるのを待った。彼が来たら、一発殴って、今度は僕が消えてやろうかと思った。「……あれ、晴樹くん? 外で何してるの?」「龍二を待ってるんだよ。店を素通りでもされて、また迷子になったら困るから」「心配しなくても大丈夫だよ。ここは寒いし、中で待ってよう」 その時、美香のスマホが鳴った。龍二からの着信らしい。「もしもし。……うん、コードSSKM。龍二くん、どこにいるの? ……へ? 蒸気船? 船に乗っちゃった?」 おそらくウエスタンランドにある「マークトウェイン号」のことだろう。環状の「アメリカ河」を蒸気船で一周する、アトラクションの一つだ。 迷子になるならまだしも、そのまま僕たちを放置して船に乗るとはどういう了見だ。僕はいよいよ苛立ちを隠し切れなくなってきた。「……ちょっと、貸して」 僕は美香からスマホを借りて、龍二と直接電話することにした。こいつ、さっきから僕でなく美香にばかり電話をかけてくるあたりも腹立たしい。「お前、さっきから何してるんだよ」「いやあ、トイレから戻ろうとしたら迷っちゃって、ふと見たら近くに蒸気船が停まってて、ちょうど発船するタイミングだったんだよ。せっかくだからと思って乗っちゃった」 電話の向こうで、ポーッという蒸気船の汽笛が高らかに鳴った。「ふざけんなよ。こっちが何度お前に振り回されてると……」「まあまあ、そんなに怒るなよ。夢の国のクリスマスだぞ。自由に楽しめばいいじゃないか。……というか、むしろお前らも乗ってみろよ。夜は船も景色もライトアップされて、めちゃくちゃ綺麗だぞ。じゃ、アメリカ河一周の旅に出るから一旦切るぜ」「おい、てめッ……」 ツーツーという音が響き、龍二との電話が切られた。美香が不安そうに僕の顔を覗きこんだ。「龍二くん、なんだって?」「ちゃっかり楽しんでるよ。お前らも乗ってみろとか言ってた。船から落ちて死ねばいいのに」 美香は「ふーん」と言いながら、ウエスタンランド方面を見つめていた。「じゃあ、乗りに行こうよ。私も夜のマークトウェイン号って乗ったことないから、ちょっと気になる」「でも、僕たちが後から乗ったらまた龍二と合流出来なくなるよ。またトイレに行き出すかもしれないし。降り場で待ってた方がいいって」「さすがにもう大丈夫でしょ。それに、はぐれたらまた探せばいいし。ねえ、お願い。今すっごい乗りたい気分」 美香は美香で、すでに意識がマークトウェイン号に向かってしまっているらしかった。当初の予定では、すでに三人で夕食を食べ終わり、最後に一つ人気アトラクションにでも並ぶはずだったのに、これじゃ計画がめちゃくちゃだ。 僕はスマホを取り出し、龍二にラインを送った。「これからマークトウェイン号に乗る。今度は絶対そこで待ってろ」 トゥーンタウンで花火を見てから、ホーンテッドマンション、クリスタルアーツ、そして今度はマークトウェイン号。 ――見方によってはこれ、まるっきりデートコースだな。 まさか龍二のヤツ、どこかで女をナンパして勝手にデートしているんじゃあるまいか。 * サークルの中で男子校出身ないし女子校出身の人間は僕と龍二と美香だけで、だからという訳でもないが、僕たちはすっかり仲良しトリオとして四六時中一緒に過ごすようになった。毎日、授業が終われば三人で待ち合わせ、昼食も夕食も三人で食べ、休みの日も三人で遊ぶ。その繰り返しだった けれど十月の半ば、龍二が彼女に振られた時、僕たちは美香抜きで、二人だけで飲んだ。彼はいの一番に僕に連絡し、二人だけで飲みに行くことになった。 彼は鯨のように酒を飲み、野獣のように吼えながら、滝のような涙を流していた。周りの泥酔客が冷静な顔でドン引きするほど、彼はウオンウオンと声を上げながら大粒の涙を流していた。飲んだ酒が全て涙と鼻水に変わってしまうようだった。 最初、僕は心から彼を想って慰めていた。失恋の痛みは僕には経験がなかったが、ここまで泣くからには尋常な苦痛ではないのだろう。第一、僕の親友をここまで傷つけた女性に、怒りさえ感じていた。「なんで振られたの?」「分からないよ。ただ一言、『私とあなたは合わないの』って」「合わないってどういうこと?」「知らない。『上手く言葉には出来ない。でも私には分かるの』だってさ」「『分かるの』って……、言葉に出来ないくせに何を分かってるんだよ」「俺に分かるわけないだろ」「……何か気に入らない部分があったんじゃない?」「俺だってそう思って、『直してほしいところがあれば直すよ』って言ったさ。そしたら『違うの。龍二くんは何も悪くない。悪いのは全部私。だから気にしないで。他にもっと素敵な女の子を探してね』だとさ」「意味が分からないな」「そう。不可解だ」 相手は仮にも一度は好きになった相手のはずだ。にも拘らず、女性とはそんな意味不明な一言で平然と男を振る生き物なのだろうか。僕は心底彼に同情した。 とはいえ、振られて悲しむ彼がどこか羨ましくもあった。今まで一度も恋愛経験のない僕にとっては、たとえ終わった恋だとしても、彼女がいたというだけで越えられない壁を感じてしまう。「……龍二が羨ましいよ」 無意識に、心の声が口から出てしまった。「お前、どうかしてるのか? 振られて酔い潰れて、涙と鼻水で顔面パックしてる男の何が羨ましいんだ?」「僕から見たら、彼女が一度でも出来ただけで凄いことだよ。というか、それだけ真剣に恋が出来るってだけで羨ましい。一歩先を行かれたみたいだ。僕には、まだ何もないから」「……何もないこたァないだろ。お前には俺がいるし、俺にはお前がいる」「振られたショックでゲイになったのか? 勘弁してくれ」 龍二はよほど酔っているのか、テーブルの上で僕の手を握り始めた。 それからたっぷり二時間、龍二は大声で泣き続けた。僕はひたすら彼に付き合い、彼の愚痴を聞き続けた。周りの客はあからさまに不愉快な顔をしていた。 もし、僕も美香に告白して振られたら、よしんば付き合えたとしていつか別れたら、こんな苦しみを味わうことになるのだろうか。そう思うと、告白する勇気すら出なくなった。「……サンキュな」 ベロベロに酔った龍二は、掠れた声で呟いた。酒の飲み過ぎと泣き過ぎで喉が嗄れてしまったらしい。「愚痴れる男友達がいて良かった。美香にこんな姿見せるのは流石に恥ずかしいし。付き合ってくれてありがとう」「本当に恥ずかしかったぞ。通報されなくて良かった」「……いつかお前が振られる時は、俺も飲みに付き合うよ。約束する」「縁起でもない約束を勝手にするな」「だったら、こうしよう。お前に彼女が出来たら、その場ですぐお祝いしてやる」「なんで『その場』にお前が立ち会ってるんだよ」「さあ。良く分からないけれど、俺もそこにいるような気がする」 にしし、と龍二は笑った。僕はやれやれ、とため息をついた。 それからクリスマスまでずっと、龍二は彼女を作らなかった。 * マークトウェイン号の待合所に着くと、すでに数十人のゲストが待機していた。さっき龍二から電話がかかってきた時間を考えると、船は半分くらい進んだ頃だろうか。待合所の中央には、船の模型が恭しく飾られている。定員四百七十五名、四層構造の大型客船だが、ゲストが乗れるのは一階から三階までだ。「晴樹くんは、何階に乗る派?」「そんな派閥があるの?」「あるよ。私は二階」「微妙なところだね」「でも、目線がちょうどいいの。低いと景色が見えにくいし、あんまり高いとちょっと怖いし」「……僕は一階かな」「どうして」「水面に近いから、船に乗って水の上を走ってるって気分が良く味わえる」 話していると、右側から汽笛が聞こえた。一周したマークトウェイン号が戻ってきたようだ。暗闇の中で華やかに光輝く蒸気船は、まるで豪華客船のように美しく、誇らしげに走っている。アメリカ河の水面は微かにさざ波を立てながら、その光をゆらゆらと反射させていた。 ふと見ると、三階の一番前で龍二が得意げに手を振っていた。僕は腹立たしくて、完全に無視した。もっと腹立たしかったのは、美香が彼に向かって嬉しそうに手を振っていたことだ。「見て、龍二くん乗ってる! しかも三階! おかしいね、私たち全員、好きな階が違うなんて」 今はそんなことどうでもいい。というか、なんかもう美香の脈なんて全くない気がしてきた。ロマンチックというより、ただ友達同士でワイワイ楽しんでいるようにしか思えない。龍二はそのまま降りてしまい、僕たちは空になった船内に乗り込んだ。 船に乗り、まずは二階へ向かった。乗客の多くはまず最上階である三階へ向かったため、二階は比較的空いているように感じられた。 ポーッという汽笛の高い音が響き、船は全く揺れることなく走り出した。ちなみにこの船は名前のとおり本物の蒸気船で、法的に認可された「旅客船」であるらしい。 船内にはのんびりしたウエスタン調のBGMが流れている。風は冷たかったが、僕と美香は夢中になって景色を見続けた。夜のアメリカ河は真っ暗で、遠くに何があるかほとんど見えず、本当に未開の土地を冒険しているような気持ちになった。「本当に夢みたい。こんな楽しいクリスマスイブ、初めて」「……そう」「誘ってくれてありがとうね」「……うん」 他の男を誘っておきながら何言ってやがる、と言いたくなったが黙っていた。彼女は一体何のつもりで僕の隣にいるのだろうか。僕が彼女を好きでいるなんて、まるで気付いていないのだろうか。 きっとそうなのだろう。じゃなきゃイブのデートに、三人目を呼ぶはずがない。一緒にいる僕でなく、龍二ばかり追いかけるはずがない。ふうっとついたため息は、水上の湿った夜風と光の中に溶けていった。「僕は一階に行くよ」「え、じゃあ私も」「ここにいなよ」 僕は彼女を見もせずに言った。「……なんで?」「景色が綺麗だから」「一人だと寂しいよ。それなら晴樹くんもここにいて」「僕は一階に行くってば」「じゃあ私も行く」「来なくていいよ。一階は景色が見えにくいから嫌いだって言ってたろ?」「言ってないよそんなこと」「言ってたよ」「言ってないってば」「平行線だね。続きは法廷で」 美香は結局僕と一緒に一階へ降りてきた。僕は景色を見ず、中央にあるベンチに腰かけた。美香は隣に座った。僕は彼女から顔を背けた。他の客はみんな外の景色に夢中で、僕たちの周りには誰もいなかった。「……晴樹くん、もしかしてちょっと怒ってる?」「別に」「怒ってるじゃん」「怒ってないってば」僕は少しだけ強い声で言った。「ほら怒ってる」「……またも平行線だね。続きは法廷で」 頬にデコピンをされた。頬にされた時点でデコピンではないが、とにかくめっちゃ痛かった。「何するんだよ!」 僕は激怒した。「やっぱり怒ってるじゃん」「いきなり暴力振るわれたら怒るに決まってるだろ!」「いーや、普段の晴樹くんならデコピンしても『あうー』って言うだけで怒らないもん。何が気に入らないの?」 美香の視線はまっすぐ僕に刺さっていた。なんでそんな顔で睨まれなきゃならないのか分からず、僕も徐々に苛立ってきた。「……じゃあ聞くけど、なんで今日龍二を誘った?」「……だって、いつも三人で遊んでるじゃん」「理由になってないよ。今日のことで、僕が一言でも『龍二も一緒に』なんて言ったか?」「いつも遊ぶときだっていちいちそんなこと言わないけど、結局三人で遊ぶじゃん」「ああ。行先が池袋のカラ館ならね。でもここはどこだ? ディズニーランドだぞ。夢の王国だ。迷子のあいつを追いかけたせいで、貴重な夜の時間が台無しだ。この時間があれば、最後に三大マウンテンのどれかにでも乗れたはずなのに」「三大マウンテンなんかクソ喰らえだよ!」「なんだとッ? 人がせっかくスケジュールを立ててやったってのに、クソ喰らえとは何と失礼な」「何を偉そうに。そもそもディズニーを提案したのは私でしょ」「そもそもクリスマスイブに誘ったのは僕だ。僕がこの日に誘った意味を……」「場所も日にちもどうだっていい! 言いたいことがあるなら早く言ってよ! いつまで待たせるつもり?」 ――いつまで待たせるつもり? それは一体、何に対しての言葉だろうか。僕が何を待たせているというのか。咄嗟にそれが分からず、つい閉口してしまった。 何も言わない僕に、呆れたようにため息をつきながら、美香は電話をかけ始めた。相手は龍二らしい。口調はとげとげしく、明らかに怒っている。もうだめだ、と僕はいよいよ諦めた。僕は彼女とは付き合えない。僕たちの間に恋愛の空気なんて、もうあり得ない。「もしもし、コードSSKM。私、この船降りたらもう帰るね。龍二くん、今どこ? 一緒に帰ろ。……知らないよ、あんなバカちん。船から落ちて死ねば良いのに」 美香はプンスカと怒りながら電話しいていた。「……え? もう園内を出てる? なんで?」 どうやら、龍二はすでにゲートを出て、園外にある「イーストゲート・レセプション」のそばにいるらしい。簡易ショップやベンチ、トイレやロッカーなどがある場所だ。当然ながら退場ゲートを通って外に出なければ辿りつけない。迷子というか、マジで病気かよアイツ。「……まあいいや。とにかく、あと五分くらいで船降りるから、そのまますぐそっち向かうね。それまで待ってて」 美香は電話を切り、そのまま僕とは二度と喋らなかった。 港に着くと、本当に僕を無視してゲート方面に歩き出してしまった。煌めくイルミネーションと陽気なBGMとポップコーンの香りの中、僕は必死で美香を追いかけたが、彼女は一度も僕を振り返らなかった。 * 今日の午前中、美香がトイレに行っている時、僕たちは二人でトゥモローランドの抽選所へ行き、「ワン・マンズ・ドリーム2」の抽選を行っていた。「お前、今日なんで来たんだ?」 僕は思い切ってそう聞いてみた。「美香に誘われたから。俺も暇だったし」 龍二はケロッとした顔で答えた。「……なあ、僕は美香とデートするつもりで彼女を誘ったんだぞ」「美香は『デートとは言われてないから龍二くんも来ていいよ』って言ってたけど」「……マジで?」「そのつもりなら美香にそう言えば良かったのに。それなら俺も誘われなかったよ」 龍二は僕たちのチケット三人分を、順番に抽選機のリーダーに通した。「……これ、当選確率ってどれくらいなんだ?」「さあ。完全にブラックボックスだから分からない。今日は混んでるし、ハズレの確率の方がずっと高いと思うけれど」「そうなの? でもまあ、俺はクジ運良い方だからイケる気がする。俺を信じろ」 彼の顔には根拠のない自信に満ち溢れていた。「……お前、美香のこと好きなんだろ?」「すッ……? いきなり何の話を……」「そんなこと恥ずかしがってどうするんだよ。仲の良い女友達を好きになるなんて普通のことだろ。ていうか俺から見たらバレバレ。最初に顔合わせた瞬間から真っ赤になってたもん」 美香への思いを、美香本人はもちろん、龍二にも話したことはない。当たり前のように気付かれていたことに、僕は顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。「……美香には言うなよ」「何も言ってねえよ」「……でも、お前にバレてるってことは、美香にもバレてるのかな」「知るかよ。ていうか、なんでさっさと告白しないんだ」「お前が隣にいたら告白できるわけないだろ」「ちげえよ。なんで今日まで告白しなかったんだって聞いてるんだ」「なんで、って……ベストなタイミングを見計らってたんだよ。僕は石橋を叩いて渡るタイプなんだ」「最初に出会ったのは五月だろ。七か月も叩いてどうする」「いーや、まだ分からん。七ヶ月は平気でも八ヶ月目にいきなり壊れるかも」「それはどう考えても叩き過ぎが原因だろ」 抽選機に三人分のチケットが読み取られ、確認ボタンが表示される。龍二は鼻血が出そうな顔をしながら「よろしくお願いしますッ」と言ってボタンに指を伸ばした。「……ちなみに、お前が叩いている横で、その石橋渡ってる男が何人かいるぞ」「へ? どういうこと?」「叩くのに夢中で気付かなかったか。この七か月、美香に告白してきた男は一人や二人じゃないぞ。俺は全部教えてもらった。お前には黙ってろって言われたけどね」「な、なんでお前にだけ……」「さあな。石橋だけじゃなくて、向こう岸にいる彼女をちゃんと見ないから気付かないんだ」 龍二はニヤニヤと笑っていた。「その気なら今日告白しちゃえばいいじゃん。今日はクリスマスで、ここは夢の王国だ。完璧だろ。このチャンスを逃すアホはいないぞ」「だから、隣にお前がいたら無理だろ」「俺がトイレにでも行ってる間に告っちゃえ。今日お腹痛いから時間かかるかも」「お前の排泄中に告白なんてやだよ、気分が悪い……」「大丈夫だよ。きっと上手くいく。俺を信じろ」 自信満々な顔で言われた。抽選は外れた。 * 美香は再入場スタンプさえ押さずにゲートを出てしまい、イーストゲートレセプションへ真っ直ぐ向かった。トイレの近くにはベンチがあり、彼女はそこにドカッと座って、まっすぐトイレを睨んでいた。周りに人は少なく、どこか寂しげな空気が漂っていた。 ベンチに座っているのは美香の他に、赤いマフラーをした女性が一人だけだった。背後にはディズニーランドホテルの明かりが煌々と輝いているが、左を向けば京葉線の線路が見える。夢と現実の狭間。そして僕もスタンプを押さずに出てしまったので、もう夢の世界へは戻れない。 僕も彼女の隣に座り、覗き込むように顔を見た。美香は全く目を合わせようとせず、座ったまま踵をタンタンと踏み鳴らし、明らかにイライラした態度を見せている。「ねえ、美香……」「何よ。話すことなんかないでしょ」「待ってくれよ。いきなりそんな不機嫌な態度を取られたら、こっちだって納得いかないよ」「はあ? 私じゃなくて晴樹くんがいきなり不機嫌になり出したんじゃん」「それは、龍二と君に振り回されてスケジュールがめちゃくちゃになったからだろ」「レストラン予約してたわけでもファストパス取ってたわけでもないんだから、別にいいじゃん。花火見てアトラクション乗れてショップも入って船に乗って、何が不満だっていうの?」「だから、そもそも君が龍二を誘ったからだよ!」 僕はつい大きな声を出してしまった。空気が一瞬だけピリッと痺れたのを感じた。 ――もういい。ここまで来たら墓穴を掘りまくってやらァ。このまま千人目の亡霊になって二度とシャバには帰らないぞ。「もう一度聞くけど、なんでアイツを誘ったんだ?」「同じ話を何度する気? いつも三人で遊んでるから、いつも通り誘っただけ。龍二くんもこの前彼女に振られてクリスマスは暇だって言ってたから、私たちだけで遊んでたら可哀想でしょ」 美香はピシャリとそう言って、僕は何も言い返せなくなってしまった。 彼女の言い分にも一理ある。僕たち三人は紛れもなく親友なのだ。今までずっと、どこかへ遊びに行く時は必ず、たとえ誰か二人の間で始まった話だとしても、三人目に声をかけていた。それは僕たちの暗黙のルールだった。僕自身、そうやって龍二や美香の提案に誘ってもらったことは何度もあったし、だからこそ二人を信頼しているのだ。 だとしても、今日はクリスマスイブだ。僕が悪意を持って龍二を仲間外れにするはずがない。わざわざ龍二のいない場所で彼女を誘った理由を、少しくらいは察してくれてもいいのに。龍二を誘う前に、僕に確認するくらいはしてくれても良かったのに。 ――僕は、今日こそ君に告白するつもりだったのに。 しばらく沈黙が流れた。気まずい空気だ。小さな声で話してはいたが、隣の席に座っている赤いマフラーの女性にこの会話が聞かれてないかと、不安になった。けれど彼女は僕たちのことを見ず、一人でずっと、ぼんやりスマホを眺めていた。僕が言えたことじゃないが、一人でこんな日にこんなところで何をしているのだろう、と不思議に思った。「……僕は今日、デートのつもりで誘ったんだ」 僕はようやく、その言葉を絞り出した。たったそれだけの言葉を口にしたせいで、この真冬の空気の中、体が燃えるように熱くなってしまった。けれど、美香は僕の顔色一つ変えずに僕を睨んだ。「……あの時私、『デートのつもり?』って、確認したよね。晴樹くん、デートだなんて言わなかったじゃない」 それは今朝、龍二からも聞いた話だ。デートとは言われてないから誘われたのだ、と。「……そうだね。曖昧な答え方をした僕も悪かったよ。でも、そんなの恥ずかしくて言えなかったんだよ。イブに誘っただけで、胃液が逆流しそうなくらい緊張したんだ」「恥ずかしいって何? 私とのデートが恥ずかしいの?」「そういう意味じゃないよ。ただ、言わなくても察して欲しかった。それに……」「……晴樹くん、言いたいことがあるなら、全部言ってよ」 彼女は突然、両手で僕の手を握ってきた。「え……?」「私たち、ずっと親友だったでしょ。そんなに怖がらないでよ。私は龍二くんのことも、晴樹くんのことも大切に思ってる。何を言われたって、ちゃんと聞くよ。ちょっとやそっとのことで嫌いになんかならないよ。何があっても、私にとって晴樹くんは大切な人だよ。だから思ってることがあるなら、隠さないでよ」「美香……?」「今、龍二くんはいないよ。今だけデートしてるってことにしよう。この時間が、私たちの初デートだよ。だから、喧嘩して帰る前に、ちゃんとこの場で仲直りしようよ」 彼女はわずかに潤んだ瞳で、僕をまっすぐ見つめていた。イーストゲートレセプションの光がその瞳に乱反射して、まるで砕けた星屑のように輝いている。彼女の目に、夢の王国の光がしっかりと宿っている。そしてその中心には、僕自身が映っている。 イブの夜はまだ終わってない。夢はまだ覚めていない。これが本当に、最後のチャンスだ。「……僕は、美香が好きなんだ」 自分でも辛うじて聞こえるくらいの小さい声で、僕はそう呟いた。自分の鼓動がやけに大きく鳴り、周囲の雑音が聞こえなくなった気がした。その代わり、ゲートの向こうから「星に願いを」のBGMが鮮明に響いてくる。「初めて見た時から気になってた。ずっと告白するチャンスを探っていて、でも出来なくて、今日のデートで告白しようと思ってた。素直になれなくてごめん。でも、本気なんだ。……もし良ければ、僕と付き合ってください」 気持ちがきちんと伝わるように、ゆっくりと言葉にしていった。彼女の手はどんどん熱くなっていくように感じられたが、僕がその言葉を言い終えた直後、目の前のトイレから龍二が現れた。クリスマス仕様の「耳」を付けて、両手に何かのプレゼントらしき箱を抱えて、満面の笑みで「おめでとー!」と言いながら僕たちの間に割り込んで座ってきた。「いやあ、待ちくたびれたぜ! よう、晴樹! 良かったじゃねえか!」 龍二はガハハと笑いながら、僕の肩をバシバシ叩いてきた。いてえよ。なんだコイツ。「……あ、あの、龍二くん?」 美香が彼の肩をチョンチョンと突いた。「ん?」「私、まだ返事してない」「え?」 彼は目をパチクリと瞬きさせながら、僕と彼女を交互に見た。「あ、悪い。ちょっと早とちりしちゃった。……じゃあ、どうぞ美香さん。俺のことは気にせずお返事してあげてくださいな」 龍二は僕たちの間に座ったまま、僕たちの手を取って、自分の体の前で繋がせた。美香は戸惑った顔を見せたが、苦笑いをしながら僕を見て、柔らかな声で答えた。「……私も晴樹くんが好きです。私で良ければ、お願いします」 その答えを聞いた瞬間、僕よりも先に龍二が「よっしゃ!」と声を出して喜び始めた。「じゃあ改めて、おめでとう! 俺も嬉しいぜ! ほら、これ、お祝いのクリスマスプレゼント! 受け取ってくれ!」 ボンと渡されたその箱は、なんだかやけに重みを感じた。何が入っているのか想像もつかないし、そもそもコイツからクリスマスプレゼントを貰うなんて気持ち悪い。「……なあ、龍二」「ん?」「僕、状況が掴めてないんだけれど、なんでお前がいきなり登場したの?」「だって、ずっとそこのトイレで待ってたから」 答えになってない答えに、僕は首を傾げた。「……ていうかお前、迷子になってたんじゃないの?」「え、お前、俺が本気で迷子になってると思ってたの?」「え?」「え?」 そんな僕たちの会話を見て、美香はクスクスと笑っていた。彼女は僕にスマホを見せてきた。十分くらい前から龍二と通話状態になっている。つまり、僕の告白は全て聞かれていたらしい。 初めから全部計画だったようだ。計画名は「ホホホー大作戦 ~早く告白しろ晴樹くん~」だとか。「お前が美香のこと好きって、俺はもちろん、美香本人だって気付いてたんだよ」 龍二は笑いながら言った。「美香だってお前に告白してもらうのをずっと待ってたんだ。でも、『たまに良い雰囲気になっても全然してくれない』って、ずっと悩んでて、そんな相談を何度も受ける俺のやるせない気持ちになんか全然気付いてなかっただろ。この鈍感」 少なくともお前の気持ちなんか知ったことか、と思ったが、美香もそれに合わせて「この鈍感」と言った。「……私も、最初からデートのつもりで誘ってるのなんて分かってたよ。でも、確認しても頑なにデートって言ってくれないし、せっかくディズニー行くのにレストランの予約とかもしてくれないし、そのくせ分単位でスケジュール立てて『主要アトラクションに全部乗ろう!』とか言い出して、変な方向に張り切っちゃってるし、こんなんじゃまた告白してもらえないんじゃないかって不安だったの。ていうか、晴樹くんの気持ちが全然分からなくて」「……告白するつもりだったよ」 僕は蚊の鳴くような声で言った。彼女に怒られてやっと告白出来たような男に、偉そうなことを言う資格などないかもしれないけれど。「そんなの私は分からないよ」美香は頬を膨らませた。「晴樹くん、今までずっと何のサインも出してくれなかったし。期待して行って、普通に遊んでおしまいだったら凄く悲しいじゃない。だったら私も最初から『デートじゃないんだよね』ってスタンスでいたくなるよ」「……じゃあ、龍二を誘ったのは当て付け?」「当て付けも半分だけど、龍二くんも結構ノリノリで『俺も行く!』って言い出したの」 龍二は僕に向かってピースして見せた。「お前が組んだスケジュールを美香に教えてもらって、愕然としたよ。あんなスケジュールでいつ告白する気だよ。分刻みでどこにも余裕がないし、乗り物乗るだけで終わりじゃん。これだから童貞はダメなんだ。俺が全部ぶち壊してやるって心に決めたよ」 その後、龍二が色々計画を立て、結果として「ホホホー大作戦」が生み出されたらしい。 作戦概要は、夜になったら彼がわざと迷子になって、僕たちを二人きりにして、あえて告白に適した場所を彷徨いながら僕たちを追いかけさせるというものだ。そして実は僕たちのそばに隠れていて、僕が告白した瞬間に現れて「おめでとう」と祝う作戦だったそうだ。 つまり僕たちが二人でトゥーンタウンから花火を見たのも、二人でホーンテッドマンションに乗り、二人でクリスタルアーツへ行き、二人でマークトウェイン号に乗り、そして今この場、イーストゲートレセプションのベンチにいるのも、僕に告白させるために、全て彼が計算して作ったシチュエーションということらしい。途中で「まるっきりデートコースだな」と思ったが、その通り、まるっきりデートコースだったようだ。「俺を追いかけるって名目があれば、雰囲気良い場所にも二人で行きやすいだろ? まあ、万が一お前が今日告白できなくても、『今日はいつものように三人で遊んだだけ』『龍二がいたから出来なかった』ってことにすれば、お互い嫌な思い出にはならないだろうし。でも、わざわざ二人でイブにディズニー行って、何も出来ずに帰ったら、それこそ変な空気になるじゃん」「龍二、まさかそこまで計算して……?」「いや、まあ、ぶっちゃけ普通に暇だったから」彼はヘヘっと笑って、「そんなことよりプレゼント開けろよ」と急かしてきた。 包み紙を丁寧に開き、中を確認すると、ペアマグカップが入っていた。ミッキーとミニーのカップ。明らかにカップル仕様だ。お湯を入れると模様が変わるらしい。龍二からこんなものを受け取るのは気持ち悪いが、見た瞬間に結構気に入った。「……これ、いつの間に買ってたんだ?」「今朝早めに舞浜来て、ボン・ヴォヤージュで買って、そこのロッカーに隠してたんだよ。あの店なら七時半から開いてるから」「じゃあ、僕たちが今日付き合うって、最初から見込んでたってこと?」「そうだよ」龍二は当たり前のように言った。「俺から見れば明らかに相思相愛なんだもん。結果ありきの出来レースだよ。遅かれ早かれ付き合うだろうし、面倒くさいから今日渡しておけばいいやって思った。どうせそのうち使うことになるだろ」 龍二は楽しそうにケラケラと笑いながら、良く見ると小刻みに震えていた。良く考えれば、僕が告白するまでずっとトイレの中で隠れていたのだ。きっと体が冷えてしまったのだろう。 それだけじゃない。こんな夜に、わざわざ僕たちを気遣って、一人で迷子の振りしてディズニーランドを彷徨うなんて寂しい真似をしてくれたのだ。 なんて良い友達だろう。なんて幸せな夜だろう。生まれて初めて彼女が出来たということより、こんなにも僕たちを想ってくれる親友がいてくれるということを、何よりもありがたく感じた。「……龍二くん、ありがと。寒かったでしょ」 美香は龍二の方を向いて、両手で彼の頬を包み込んだ。龍二はキョトンとした顔で美香と僕を見つめていた。「……彼氏の前でこんなことしていいの?」「いいの。彼氏がいなきゃキスしてやりたいくらいだよ」「マジで? ……おい晴樹、ちょっと一瞬だけ別れてくんね? チューするから」 調子乗らないで、と美香はそのまま彼の頬を抓った。涙目になっていた。でも、キスはさすがに嫌だけど、ハグくらいなら見逃してやりたい気分だった。「……でも、ディズニーなんて興味なかったお前が、良くこんな計画考えられたな」「もちろん俺は何も知らないよ。ネットで色々調べたんだ」 そう言って彼は、自分のスマホの画面を見せてきた。「『あきチャンネル ~夢の国の歩き方~』っていうんだけど、これがめっちゃ面白いし便利なんだよ」「あきチャンネル?」 見せてもらうと、シンデレラ城の写真をバックに、赤を基調としたシンプルで見やすいページが表示されている。一般のディズニーファンが作ったサイトらしいが、季節やシチュエーション別に、おすすめのコースが提案されている。「一日どっぷりコース」「多人数わいわいコース」「放課後さっくりコース」「カップルしっとりコース」など、確かに面白そうなページが、ランド版とシー版でそれぞれずらりと並んでいる。「ほら、見てみろよ。『告白』ってページがあるだろ? ディズニーで告白を狙ってる人向けのコースらしいんだけれど、俺はとりあえずこのコースに従って迷子になっただけ」「こんなサイトがあるのか。結構面白そうだな……」「ちなみにこの管理人も、かつて同じコース辿ってイーストゲートレセプションのベンチで告白したらしいぜ。思い出のコースだとか何とか」 僕は思わず周りを見回した。なんだかその管理人がどこかで見ているんじゃないかという気分になったが、隣のベンチに赤いマフラーの女性が座っているだけだった。まさかあの人が管理人じゃあるまいかと思ったが、彼女は僕たちの話なんてまるで聞いていないかのように、自分のスマホを見ていた。「ちょっと見せて……」 僕は龍二からスマホを借りて、「告白」とやらを見せてもらった。トゥーンタウンで花火を見るところから、マークトウェイン号まで、確かに同じだ。そして最後は、イーストゲートレセプション。 ――その場所が、園内で告白出来なかったチキンな私に残された最後のチャンスだった。イーストゲートレセプションのベンチ。 ――ゲートを一歩出れば現実の世界だが、ここはまだかろうじて「夢」の余韻が残る場所。夢と現実、光と影の狭間。このベンチに座れば誰しもが思うはず。「このまま帰ってしまうのは寂しい」と。その寂しさを利用して思い切って告白すれば、成功率アップに違いない、と確信した。 ――告白は成功したが、あとで相手に怒られた。「本当はパークの中でさっさと告って欲しかった」と。「……この気持ち、めっちゃ分かる」 隣で見ている美香がクスクス笑った。「本当はマークトウェイン号で告白して欲しかったから」「……ごめん。何も気付かなくて、あんな態度取って」「また来ようよ。来年のクリスマスに、恋人同士として」「うん。約束する」 龍二は「俺も俺も!」と言っていた。「また一人で迷子になってくれるなら」と僕は答えた。「ところで、一つ聞いても良い?」「何?」「ずっと言ってた『SSKM』ってどういう意味?」「ああ」龍二は苦笑いした。「俺が考えた暗号だよ」「暗号? なんで暗号なんて使うんだよ」「だって、『まだ告白されてない』なんて正直に電話させてたら、晴樹にホホホー大作戦がバレちゃうだろ」「……じゃあ、特に意味のある言葉じゃないってこと?」「まあなんでも良かったんだけど、一応意味ならあるぜ。『さっさと』『告れ』『マヌケ』」 美香は僕を見て「あっかんべ」と舌を出した。 寒空の下をずっと歩き回っていたせいか、お腹が痛くなった。美香も同じらしく、僕たちは龍二を置いて目の前のトイレに入った。 五分くらい経って外へ出ると、龍二はどこかへ消えていた。アイツ、またトイレに行ったのかと思ったが、スマホをチェックするとラインが一件来ていた。 ――熱っぽいから先に帰る。寒過ぎて風邪引いたかも。は、は、は、ハックション。うぇーい。ダメだこりゃ。お前らは二人で仲良くゆっくり帰ってくれ。 僕はそのラインを読んで唖然とした。もう告白は成功したのに、まだ何かさせるつもりだろうか。しかし、これじゃどこへ行ったのかも分からない。 いや、これはもうホホホー大作戦じゃない。おそらく、ただ僕と美香を気遣って一人で帰ることにしただけだろう。 僕は慌ててラインを返信した。 ――空気読み過ぎだ。そういうのいいから一緒に帰ろう。今どこにいるんだ。 返事はすぐに来た。 ――お前こそ空気読め。風邪だって言ってるだろ。ハクション。一刻も早く帰らせて欲しいんだ。 ――ラインで「ハクション」なんてバカなこと送ってくる奴を信用出来るか。 返事は来なくなった。ふと後ろを見ると、美香がキョトンとした顔でこちらを見ていた。「どうかしたの? ていうか龍二くんは?」「なんか、先に帰っちゃったって。熱っぽいから」「は?」 美香も僕と同じ反応をした。「多分まだ舞浜駅あたりにいるとは思うけれど……、どうする? 追いかける?」 僕の質問に、美香はすぐ答えなかった。戸惑うような、嬉しそうな、今まで見たことがない不思議な表情をしており、けれど僕にはそれがたまらなく可愛く見えた。 夜空には美しい星が無数に輝いていた。その中で一番強く輝いている星に、僕は心の中でそっと祈った。 どうか美香が、「うん」と答えませんように。 ②に続きます。