こんにちわ。確実に休肝日を増やして、来る人間ドックに備えていい感じ。いや、そんな付け焼き刃な対応はダメなのはわかってるが、これはこれで期間限定でなんだか楽しい。試合前のボクサーが身体を絞っていくのと同じだ。いや、違うか笑。
さて、本日は、こちら。
悪口、陰口の良さ。
もちろん、悪口や陰口は良くない。特に陰口は本人がいないところで本人の悪口を言うというなんとも卑怯な言動だし、聞いてる周りの人間も不快になる人がいる。しかし、ここがポイント。不快になる人間も、いる、なのだ。
そう、悪口、陰口はそれを聞いてる相手がいる。想像して欲しい。たいてい悪口や陰口を1人で言ってる人は少ない。大抵が2人、もしくは数人でワイワイとやる。そう、言ってる本人の周りに聞いてる相手がいるのだ。先ほど言ったようにこの中には不快に思いつつ聞いてる人もいるのだが、少なからず絶対に1人はこれを共感して聞いてる人間がいるのだ。
この「共感」こそ、人が悪口や陰口を言いたくなる本質の欲求だ。
人は安全性を求める生き物だ。だから自分の安全を保つために仲間が欲しい。仲間となる人間との間で重要なのは「共感」だ。
この共感を何か共通の趣味や仕事の話で得る人もたくさんいるし、悪口や陰口で得る人も多いのではないだろうか。
学生においてもこういう共感を得たい欲求というのはある。新学年、新しいクラスで友達と欲して語りかけるのは「共感」のためだ。
この共感が上手く得られれば信頼関係に発展する。良き仲間となり、共に生きていける。しかしこれが時に行きすぎる場合がある。「イジメ」だ。共感は依存性がある。1人だけターゲットを絞りその人間を悪くいい、排除する。その行動はエスカレートし、共感が多くの人間で共有されればされるほど満足度が上がる。そしてほのターゲットをイジメてしまう。
悪口や陰口が良くないとされるのはこの行き過ぎた共感欲求によるものだ。
しかし信頼関係のとっかかりとして共感を得る程度ならそれほど悪影響はない。ただ、だからと言って悪口や陰口を良しとは思わない。大切なのは共感を得ることであるから、その悪口や陰口を言う場合は一定のルールを設ければ良い。
そのルールは何か。
それは
・本人に目の前でも言える内容にすること
・ユーモアを交えて言うこと
である。
本人に言える内容って?と思うかもしれないがこれは人による。また本人と自分の関係性にもよる。だから自分が本人を目の前にしても言って責任を取れる内容にすべきだと思う。責任の取り方は人それぞれ。目の前で直接言っても信頼関係が崩れない自信があればそれはそれでいいし、本人との関係性を壊してもいいという覚悟も人によっては責任の取り方であろう。
そしてユーモア。これがかなり難しいが、あまり本人が聞いて良い思いがされないようでも聞いてる相手が少なからずユーモアを感じられるものが最低条件だ。単に「あいつ〜だからよ」「ふざけんなよと思うよな」みたいな毒を吐くだけの悪口や陰口は質の低いものだ。あくまでも共感を得るのが目的だとしたら、話しているその場が少なくとも明るく朗らかなものにならなければ、それは質の低い悪口陰口と言わざるを得ない。
悪いや陰口を須く「良くないこと」と評してしまうのはあまりに単純だし学びがない。なぜ人間はそれを欲してしまうのか、欲求の根源は何かを考えればそれほど悪いばかりのことでもない、と思える場合がある。
だから悪口や陰口を言いたい人はせめて悪口陰口のルールはこれからも守っていただきたい。
では、また。
