時雨の朝、5時起きして、新大阪始発のぞみ208号に間にあいました。
ジョルダンの乗り換え時間には要注意!
文句が出ないように、時間を余裕を持って計算されていると期待してはダメなんです...。
トンネルが多すぎ!
車内のwifiって、ぜんぜん、きてないやん!!
論文集ダウンロード、できない...。
結局、新横浜到着までに要旨のチェックができないまま....在来線へ。
菊名って、小さい駅みたいなのに、東横線の乗り換え口なのね。
キャリーを担いで階段を降りたところで、特別急行に乗り遅れ、普通に。
みなとみらい駅から3分、ってうそや〜。
段差あり、石畳あり、やわな四輪キャスターのダメージが心配。
なんとか最初のプログラム開始の10分前にパシフィコ横浜にたどり着きました。
雨が西から追いかけてきて降ってるし、明日、もうちょっとマシな写真をとろう...
本日初日は、午前と午後2コマ、計3コマの自主シンポジウムがあります。
そのうち4題を見学しました。
午前のは、ハラスメント相談関連を途中まで聞いて、
院の同期が企画した養護施設のボランティアがテーマのセッションに移動。
最初に行った方のセッションで、企画者が、聴衆のこのテーマへの関心を知ろうと、
「あなたは大学学生相談員か、ハラスメント相談担当か、スクールカウンセラーか」って手を挙げさせた。
....なんだかなあ.....全部やってたよ....複雑な思い。
おもえば、学相11年、ハラスメント相談担当は3年、
府立三大学合併でリストラされるまでやってた。
現役なのはスクールカウンセラー、今年で多分16年目かなあ...。
こういうキャリアって、自動車整備工さんや印刷工さんの熟練とは全く別、
長くやってりゃいいってもんじゃない。
午後は、仏教と心理臨床のセッションの部屋へ。
10分前に入ると既に満杯。
まさかの、立ち見...。
椅子の補充は不可とのことで、
消防法もなんのその、
床に座る方々10数名。
「(あやしい)宗教」から除外されているのが、日本の伝統仏教、だとしても、
これほどまでに、「宗教」への関心が高いとは。
なんか、公認心理師が出来てしまって、かえって居直れるのではないかなあ...
悪い事ではなかろう、に、しても、なんか余り私とは空気が合わないかんじ...,
フタを開けりゃ、こんなに人気なのに、一番小さい会議室を充てた、ということは、
大会事務局は、ここには人が集まらないだろうと踏んだということ。
今年の主催校の東洋大学は、「仏教心理学」を提起した井上円了が創った大学。
それよりも、学会執行部の判断なのかしら。
どうも一般会員のニーズと興味に、上部執行部とは温度差があるようです。
人いきれでか、その他の要因でか、ものすごく耳鳴りが酷くなってしまった....
なんだか、すごく疲れてしまいました。
癒されていないなあ....多分にこちら側の問題でしょうが。
最後のコマは、オンラインゲームアディクションへの対応についてのセッションを選びました。
大きな会場のうちの一つ。でも満杯。立ち見、坐り見も発生。
元国立だった久里浜病院に、日本で唯一の専門科があるんだって。
アルコール嗜癖治療の実績があるところ。
登壇の3人の方々は率直で意欲的で、聞き応えがありました。
登壇者全員、趣旨と内容の大枠をしっかり共有していて、
たぶん30分のフロアとの討論の確保というのが至上課題だったでしょう。
1時間半の間の役割分担は、その場での臨機に応じている。
大枠の中で、いま、ここ、で必要なことをやれるかぎり提示する、
という「臨床的(セラピューティック)」な場だったと思います。
内容だけでなく、チームでの場の運営という点でも、
あ、こんなやり方をしてはるんや、と
そのデモンストレーション(宣伝)としても成功していたのではないかな。
学会発表が、学術交流よりもむしろ、民間(下から)の(つまりお上のお達しではない)、
社会啓発や事業宣伝に役立てられる、可能性を見たように思いました。
オンラインゲームは、これまで無かったモノですが、他のアディクションと同じく、
辛く苦しい社会や環境(家庭、学校、職場、地域)からの逃避のツールです。
登壇者に共有されているのは、
その背景と状況に働きかけることを他所に丸投げせずに、自分たち心理職の使命との考え。
そこが、この学会では浦島太郎子の私にはとても新鮮に感じられました。
セッション統括者が、このテーマについて、
「これまでこの学会ではあまり取り上げられなかった」と言われたのは、
この<社会や環境への積極的な働きかけ>のところだと思う。
この学会はへたに3万人規模であるだけでなく、それだけの人数があれば、
意識が高く傑出した人の数も多いということ。
公認心理師の利権追及だけで、本来の学術研究を疎かにしている人たちは、
表向きは勝者であっても、社会的発言も薄っぺらく、基礎がもろい虚構だから、
時と共に化けの皮ははがれていくのじゃないかしら。
印象に残ったのは、一人の青年や子どもに一人の「メンター」と呼ばれる大学生ボランティアが関わるのが、すぐれた治癒の効果をもたらしているとのこと。
そのメンター自身がどんどん変わっていくのだって。
教育学部の学生だと、最初から学校の負の部分を子どもたちの言葉から
直接学ぶことも、意義があるだろうとのこと。
災害ボランティアは、人にしてあげるなんて思ってるうちはダメ、
自分のためにやっているという意識でなくては、という旨のコメントがあった
午前の後半の部での話に、私的には、繋がりました。