「心理カウンセラー」に相談をしていて、こころのどこかに違和感をおぼえることがありませんか?

それはあなたが、カウンセラーが話す内容と振る舞いの間の微妙な食い違いに、気づいておられる時かもしれません。

 

カウンセリングの創始者のカール・ロジャースは、カウンセラーに求められる3つの重要な要素をあげています。

 

(1)来談者に向き合う自分が、純粋であること・真実であること(自己一致)

(2)来談者への、無条件の肯定的関心

(3)来談者への、共感(同情ではない「感情移入」的)理解

 

これらが成り立つ基盤は、相手(来談者)と自分、つまり人と人とが対等であることではないでしょうか。

 

 

 

 

でも実際の「カウンセリング」場面では、この根本的で最も大切な対等性が成り立つのは、きわめて困難です。

 

....と言いますのは....

来談者は、カウンセラーの「受容」のテクニックに誘導されて、自分のことを洗いざらい話しますが、カウンセラー側は同じく自分のことを話さないのが通常です。ときおり、相手からの情報を引き出す呼び水として、カウンセラー自身が類似の体験を語るかのような場面があったとしても、それが果たして客観的な事実かどうかの保証はありません。

 

 

 

 

カウンセリング場面では、来談者が「前のカウンセラー」のことを批判的に語られることがけっこうあります。

でも、こちらから、前のカウンセラーの名前を尋ねると、判を押したように返ってくるのが、「忘れました」という答え。

もちろん、相手が同業者なので、警戒なさっているとも思われますが、かなり多くの回数会ってこられている場合も例外なくそうなので、もしかしたら、名前を覚えさせないというテクニックがあるのでしょうか...。

 

つまり、こちらが名前さえ覚えていない相手に、最もプライベートな情報を知られてしまうのが、カウンセリングを受ける最大のリスクなのです。言うまでも無く、弁護士をはじめ相談業務全般に共通する守秘義務をカウンセラーは護らねばなりませんし、個人情報保護はいまや相談業務倫理の常識です。でも、そのような外面的な法律上の保証と、「こころの秘密」を誰かに握られてしまうという現実の思い(リアリティ)は、別次元のこと。

 

 

 

 

......これは、私自身の苦い体験です。

日本臨床心理学会の組織名称を用いた、私を含む5名の会員へのSLAPP※提訴を陰で動かしていた人物に、私は自分の家族の情報を握られてしまっています。

SLAPP裁判(恫喝訴訟)について↓

https://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12276863346.html

https://ameblo.jp/slapp-nyan/entry-12313513540.html

 

 

 

それは、2012年の1月、日本臨床心理学会の19期から20期への引継ぎ役員会で、固辞したにも関わらず私が事務局長を引き受けざるを得なくなった議事の後、前運営委員長であった全心協幹部の方が私のそばに寄ってこられて、両親の要介護等級と管轄自治体などをお尋ねになりました。「共感」の表象でもある特徴ある表情を呈され、懇切な言葉づかいをなさっておられました。違和感を抱いたものの、当時の私は、隠すことでもないと思って事実をお話ししました。

 

その後、時間的に余裕無く切迫した私の状況を熟知された上でと思わざるを得ない行程で、永久除名、操作的心理戦略(無視黙殺・威圧)が遂行されました。そして私は、最終的にはこのSLAPP提訴に依って、生きていくための糧と術を奪われるおびやかしを我が身に受ける状況へと追い込まれたのです。

 

 

 

 

昨日、日本精神科病院協会の公認心理師現任者講習の追加募集がありましたが、3時間ほどで満員になったらしいです。

 

全心協幹部の方々は、この満員御礼大盛況の公認心理師現任者講習で、講師として引っ張りだこではないかと思います。

講師の任用条件(大学の教員経験または同等の能力)にも、合致しておられますし、なによりも日本精神科病院協会の実働部局として、公認心理師国家資格化に多大な貢献をされてきた功労者でもいらっしゃいますから。その方々の講義では、精神医療保健現場で医師の指示に従うべく義務づけられた公認心理師の根本的心得となる、卓越した事情聴取・尋問テクニックの神髄の伝授が頂けることでしょう。