スクールカウンセラーが、文部科学省(当時は文部省)の指示で、学校に配置されてもう20年になります。スクールカウンセラーが初めて学校に派遣された頃に出会った子どもたちの中には、もうお父さんやお母さんになっている人がいることでしょう。

 

でも、スクールカウンセラーが学校でなにをしているのか、ということが、いまだにあまり知られていないようにも思います。

 

 

 

 

この制度が導入されて間もなくスクールカウンセラーを務めはじめて20年近くになりますが、その間にも、自然災害やネットの普及をはじめ、子どもたちの「こころ」をとりまく環境もおおきく変化してきました。

 

スクールカウンセラーは子どもたちだけでなく、親や教師の相談を受けます。近頃のおとなの方からの相談には、「発達障害」に関わることが圧倒的に多いです。

そのような相談の中で、「専門家」が、その「気になる子ども」を「発達障害」であると見定めて、適切な「治療」機関(つまり医療)へとつないではもらえないか、と期待されるお気持ちを感じる取ることがあります。

 

いつも私が大きなジレンマを感じるのは、この「発達障害」をめぐっての相談です。

 

 

 

 

10数年前のケースでは、器質的な問題の可能性を助言して、精密検査で微細な脳腫瘍が発見され、それが行動異常の原因と分かったことなどを私自身も経験しています。ところが現在の「医療」に期待されているのは、主に、学校での不適応行動を速やかに押さえる薬の処方なのです。

 

発達障害を診ると看板に掲げている医療機関でも、お医者さんによっては、成人の重い精神疾患用にデザインされた薬までも、医師の特権である「適用外処方」によってどんどん子どもたちに処方されているという現実があります。

 

「発達障害」は、医療の分野では、「脳の器質的障害(≒治らない)」とする仮説に基づいています。その仮説に従っての処方ですから、脳の機能に強い影響を及ぼすお薬を一生飲み続けないといけないことになります。

 

 

 

 

これは、本人の了解を得ていない人体実験です。

 

子どもたちがこれからおとなになって、その薬が身心に、どのような影響をもたらすのか、だれもいま知ることができない段階で、処方され続けることになります。とくに幼い子どもたちは、自分の意志でお薬を飲む飲まないが決められないのです。

 

そのことを、相談場面やそのほかいろいろな機会をねらっておとなたちに伝えても、「じっさいに、本人が落ち着いて学習ができるようになって、親も学校もほっとしているので、そっとしておいてほしい。」などと応じられることが多いのです。

 

ただ、このように言葉に出して返して下さるのは、まだその後もお話しが続く可能性もあるのですが、そのあと、相談や交流がさりげなく閉ざされてしまうことが、すくなくありません。

 

構造的な組織の問題を水面下で抱えている学校ほど、波風を立てそうなスクールカウンセラーは、働かせてもらえない(静かに排除されている)ようにも思われます。

 

 

 

 

いま、全国の公立学校で、スクールカウンセラーを務める人で国家資格を持っている人はほとんどいないと思います。私の住む阪神間の学校では、ほぼ全員が臨床心理士です。教育カウンセラーが、臨床心理士よりも数多く務めている地方もあります。

 

でも、これからは、「公認心理師」という国家資格ができますので、学校のカウンセラーは少しずつ公認心理師に入れ替わっていくことでしょう。

 

公認心理師は「医師の指示に従う」義務を課せられる資格なので、組織的な管理主義つまり<支援という名の支配 total institution> に基づく学校経営を行うには(私など一部の)臨床心理士とちがって、使い勝手のよいパーツになりそうです....。