ヒアリング・ヴォイシズが日本に紹介された当時から現在に至る迄、玉石混淆のスピリチュアル系サブカルチャーがひしめいている情況は、そうかわっていないとにゃんには、思えます。

 

だからこそ、ヒアリング・ヴォイシズの学術的な実践研究から様々な報告を世に問うていく、という在り方があってもよかったのにと、とても残念に思われるのです。

 

また、ヒアリング・ヴォイシズ実践から、それまで精神科医療<文化>で「患者」の立場に置かれていた人たちの中から、霊的治療者として羽化を遂げていく人たちが、いくらでも出ても良かったはずです。

 

2010年に、この学会の指導者たちが編集して出版した 『幻聴』という本には、「声」を聞くリアルな体験と霊的事象やシャマニズムとの緊密な関係性に触れたところが、各所に記述されています。

しかし、それを、どのようにヒアリング・ヴォイシズに関係づけるのか、あるいは取り入れていくことができるのか、と踏み込む視点や積極的な問いかけは、どこにも見られません。

 

古今東西の歴史上、この現代社会、市井の片隅にも、じっさいに、クライアントの霊的な素質や語りの要素を尊重するカウンセラーとの面接を重ねるうちに、そのクライアント自身が霊的治療者として育っていくという事象が、いくらでもあるのです。

 

しかし、ヒアリング・ヴォイシズ実践に限れば、そのような報告は、公式非公式を問わず、いまだ一つも、にゃんは耳にしたことがありません。

 

金光教の信仰的環境に生い育ち、社会的弱者の救済を自らの一途な生き方として選んだ佐藤さんが、ヒアリング・ヴォイシズに出会ったのが必然であったとすれば、元々、ヒアリング・ヴォイシズの創始者ロウムさんたちの著作の訳者であったと同時に「取次」者としての「役者」は、揃っていたはずなのです。

 

そしてまた、年次毎の大会で必ず催される分科会や活動報告やロールプレイのデモンストレーションの場を通して、「医療」を超えた展開の可能性は、一度ならずつぶやきのようなかたちで、指摘されてきたのです。

 

でも、これまでにただ一度だけ、その停滞を超えかけたことがありました。

 

それは、にゃんたちが一時的にこの学会の主導権の一部を任されていた、2012年1月7日から2013年8月10日までの約1年半の間に取り組んだ2度の大会にて、でした。

 

1つは、場所も金光教大阪センターでの大会プレイベントでの霊的事象をテーマとしたシンポジウム、そしてもう1つは、その翌年の応用心理学系で初の国外(中華人民共和国大連市)年次大会にての、佐藤さんご自身による、ヒアリング・ヴォイシズの講演でした。

 

この大連大会にご協力を頂いた比較民俗学会会長の小島瓔礼先生は、ヒアリング・ヴォイシズに非常に興味を持たれ、これが、臨床心理学が本格的に学問の垣根を超えた交流の第一歩となった可能性がありました。(しかし、それは、にゃんたちが排斥された後に、続く事はありませんでした…。)

 

また、当時は外交関係が日中間では最悪な情況になっていた時でした、そのような時機であったからこそ、民間での学術交流を果たすことが、それも、海外での年次大会というのは、日本の応用心理学会史上、戦中を除いてほぼ最初の快挙でした。というこの学会の歴史上画期的な事業を、当時の大連大学の客員教授を務めてられた、實川さんの友人の酒木保会長[「訴外」のため実名]の尽力で果たすことができたわけです。

これらは、にゃんたちが一時運営に関わった20期において、(元19期会長α(私立精神科病院連合の御用組合幹部)さんらの表に裏にの横やりに苦しみながら、)なんとかやりとげたことでした。(小島先生は、にゃんが修士論文のための調査研究の過程でお出会いしていろいろとご教示を受けた著名な研究者でしたし…。)

實川さんとにゃんらの20期では、もう一つ、精神医療の問題、とくに向精神薬の薬害問題を大きく取り上げようと頑張ったことがありました。(が、ことごとく邪魔をされましたが…、何故邪魔をされたか、その理由は、裁判の根幹に関わることですので後ほど、書きたいです。)

 

……しかしその大連国際大会の後、この学会は、ヤヌスのもう一つの暴虐な本性(自らの生活利権獲得の欲望の追求)をむき出しにして、その目的の方便としてきた、精神医療ユーザー(「当事者」)と「共に歩む」支援者を自認する穏健なセラピストのペルソナは萎縮したまま、現在のSLAPP訴訟原告の姿へと至っています。

 

α淵下さんが役員を務める支援BにSLAPP原告会長さんらが委託している「公式サイト」に、数ヶ月毎に同文で掲載される、ヒアリング・ヴォイシズの開催案内に、その命脈が漫然と続く様子を窺い知ることができるのですが....。

 

(つづく)