SLAPPでにゃんを訴えた某学会なのですが、医療心理師法案をそのまま公認心理師法制化へと尽力した剛腕の政治的運動体という根幹の活動の他に、学会らしい活動は、していなかったのでしょうか?

 

日本学術会議がどのような団体であるかさえも、執行部の人々は興味関心を持っていなかったこの学会ですが、他の心理学系団体をはじめ日本の学術界が全く取り上げていなかった独自の実践研究課題をただ一つ、「独占」的に持ち続けていました。

 

それが、ヒアリング・ヴォイシズの実践です。

 

近頃、「オープン・ダイアローグ」という、統合失調症の急性期の患者さんへの有効なアプローチとして日本で注目されてきた手法があります。

先月のRinShin in Kyotoの公開シンポジウムで基調講演を務めて頂いた、高木俊介さんは、去年に同名の訳書を出されていますし、齊藤環さんが書かれた紹介本も、既に数年前に出ています。

この手法の紹介をすると長くなりますので、「ヒアリング・ヴォイシズ」がこの手法と根本的理念が共通している、ということだけ、お知らせしておきたいと思います。

 

これら2つに共通しているのは、その<癒しと治りの場>に関わる医療を含む多種の「専門職」の人々が、支援を受ける患者さんとその家族、友人など「素人」の人たちと、対等の語り合いの場を共にするという、<場>のすがたかたちなのです。

 

オープン・ダイアローグが、広く注目されはじめたのは、2013年に同じ題名のドキュメンタリー映画が公開されてからですので、まだ日は浅いのですが、ヒアリング・ヴォイシズを、この学会が導入したのは、学会機関誌に最初に紹介された刊行年で言うならば、1993年。つまり、いまから24年前のことです。

 

オープン・ダイアローグの取り組みが、フィンランドの西ラップランド地方(世界=地球規模で言うならば辺境の地)で静かに醸成されていったのが1980年代だといわれていますが、ヒアリング・ヴォイシズも同じく1980年代後半に、オランダのマーストリヒトで誕生しました。

 

ですので、本稿をお読みくださっている心理臨床専門家の中には、「マーストリヒト面接法」の名称を耳にされたことがお有りの方もいらっしゃるかと思います。

 

オープン・ダイアローグが、辺境(田舎)での発祥であるのにくらべ、マーストリヒトは西ヨーロッパの歴史に残る要衝で、政治・経済・文化的に「都会」であったこともあって、ヒアリング・ヴォイシズ運動は、すぐにヨーロッパをはじめ世界各国に広がりました。

 

この運動の趣旨は、統合失調症(当時の名称は精神分裂病)診断の指標にもなる症状の一つとされてきた「幻聴」を、「声」を聴くリアルな体験として尊重し、それを消し去るのではなく、その声に耳を傾け、また声を聴くという体験を、語り合いを通して共有していく中で、声と共に生きやすくなっていこうという取り組みです。(これは後に、「声」だけでなく、その他の精神疾患に伴う様々な体験への取り組みへと広げていこうという動きに繋がっていきます。が、日本ではどうなのかは、報告が無く不明です。)

 

この学会の第二次解体/分裂後に中心的に関わっていた中堅幹部のお一人が、ちょうどイギリスに留学中、ヒアリング・ヴォイシズのイギリス初紹介の催しに参加し、この運動理念が、この学会の「共生」の理念にとてもよく馴染むものだと直観されて、学会機関誌への寄稿報告で、日本に初めて紹介しました。

 

その後、この方は、日本での実践の中心的指導者となり、この学会が、ヒアリング・ヴォイシズの創始者とその協力者を日本に招聘して講演会を開催したりもしました。日本での活動の中心地は、この学会の幹部の活動拠点である岡山、北大阪、東京都西部でした。

(ただ、類似の実践をしているとして、浦河べてるの家(北海道)とのほんのかたちばかりの研究交流がなされたことはありました。)

 

(つづく)