今月(6月)のはじめに、兵庫県臨床心理士会のニュースレターが届きました。

巻頭言はいつものように、会長の羽下先生。今期も会長を続投されるとのことです。

 

題目は、「再び、公認心理師のこと、そして臨床心理士の今後のこと」。読み進むにつれ、なんだかにゃんはドキドキしてきました。

 

臨床心理士と国家資格(公認心理師)を比べての、臨床心理士資格の「価値」は、「民間の自主的な団体による資格」だと言い切ってられるのです。

 

つまり、「個人の心の自由を確保する」「心理臨床の仕事」を「十全に行うためには、...誰か他者からの管理を受けない、完全にフリーな立場に身を置くことが重要な条件になる」と主張しておられるのです。

 

羽下先生は、この例を「宗教者/団体」にとって、「宗教者の養成は、各宗教団体が独自にカリキュラムを創り実施、認定し、維持している」と説明されています。

 

臨床心理士養成メソッドも認証もその質の維持もこれと同じと考えよう、とのこと。

 

もう20年ほど前になりますが、にゃんは日本宗教学会の年次大会で、日本仏教某宗派のプリースト(修行型のシャーマン)錬成修行と、臨床心理士養成メソッドを対比して、後者に欠けているのは、<守護(神)>なんじゃないか、って言ってみたことがあります。

 

それとちょうど同じぐらいに参加した某心理臨床系学会の、たしかカルト関連の事例研究発表で、座長を務められていた羽下先生が心理臨床の党派性をカルトにたとえてられたことを、この御文を読みながら、はたと思い出した次第です。

 

おいおい......、ついに居直って、言葉にせざるをえないところまで来たのか....とじわじわと感慨がにゃんにわきたってきました。

 

さらに、羽下先生は、歴史学者網野善彦の「無縁」概念(「支配されない民衆同士」、「『心の自由』の確保」等)を引いて、臨床心理士の独自の臨床の在り方を提案されています。

 

続けて、医療モデル(羽下先生の言では、「病気=治療モデルを軸とする医療のパラダイム」)に立脚する公認心理師と、心理・社会モデル(羽下先生の言では、「発達=刺激モデルを軸とする心理学のパラダイム」)とは、棲み分けが出来るし、医療保健領域で仕事を持つ臨床心理士は全体の4割も無い現状が、今後どのように影響するのかは未知数との旨を仰りながらも、つぎのように文を締め括っておられます。

 

心理学は医療•保健領域に貢献はできるが、医療•保健領域のために存在するのではない。それは確かです。[後略]

 

.........たいへんに卓越した、素晴らしいご見解だ、とにゃんは心底感動しました。

 

でもね、ここには、いろいろな大事な問題が抜け落ちている、というか......敢えて語っておられないような気がします。

 

そもそも、公認心理師は、この国で唯一つの「心理」の国の資格(お免状)です。

 

そして、これは、「医行為」の補助、つまり「医師の指示を受ける」資格です。

 

「医療」とりわけ、「精神科医療」はいまの日本にとって重要な国策の一つです。

 

さらに言えば、その国策を動かすのは、日本の政治家や官僚でもなく、その背後の医療保健福祉領域の利権団体であり、また世界製薬資本です。

 

その強大な力に、「無縁」の民衆の力はどこまで太刀打ちできるのでしょうか.....。

 

国家資格は、国のお墨付きにより、国に守られます。

 

国家が(精神)医療を通して、国民の心(思想・信条を含め)全般に網をかけようとする時、もっとも有効利用されるのは、医行為に依って保険点数を付けることが可能となる公認心理師に他なりません。ご存知の通り、臨床心理士資格者がいくら良質な仕事をしたとしても、医療機関内では、保険点数を付けることは出来ないのです。

 

また、別の面から以下の指摘もできるでしょう。

 

医行為は、身体への「侵襲性が高い」行いです。

 

つまり、医療の資格を持つ人がすることであるからこそ、その資格を持たない人がやれば傷害と見なされたり命を危険にさらすと非難されるであろう行い(「侵襲性が高い行為」)が、許されるのです。

 

これが、国家資格による一律の統制された教育•訓練と国試を経た認証が必須であることの、主な理由です。

 

そして、心理臨床実践....カウンセリングや(それよりももう少し心の深いところまでを探っていく)心理療法という行いもまた「心への侵襲性が高いもの」であるから、国家により認証・統制される必要がある、ということがずっと言われてきています。

 

民間資格である以上「心への侵襲性」を誰がどのように安全保障していくのか、この議論にまで未だ至らないまま、臨床心理士の資格は今年で創設29年目を迎えます。

 

その30周年の年つまり平成30年に、第一回の公認心理師試験が行われる見込みだとすれば、この生誕30年という区切りの年が、臨床心理士にとっての大きな曲がり角になることは間違いないでしょう......。