毎朝仕事に向かう時、「今日こそは何があっても早く寝るぞ」と決心しているのだが、実現した試しがない。平熱での頭痛と吐き気が自律神経が狂っている事を教えてくれる。地下鉄で席に座れた時はわずか十五分だけでも、飢えた乞食のように眠りを貪ろうとするも、目をつぶっているだけで意識の外には出られない。それなのに、デスクに座ると眠気に襲われる。グレープフルーツは眠気を覚ますという迷信を信じ、毎朝グレープフルーツジュースを飲むが酸っぱいだけで効果があるのか分からない。仕事を終えると、よくあの睡眠時間で乗り切れたなと自分を労う。その頃には何故か眠気が覚め、気がつけば日付はとっくに変わり、今すぐ寝ても四時間しか寝られない事に絶望する。
 早寝早起き、規則正しい生活、小学生の夏休みの目標になるような事が、経済的に自立した今になってもなかなか出来ない。「自律」とは口で言うより難しいな。
「今日は早く寝よう」という簡単な目標すら達成できないのだから、大抵の夢が未達に終わるのも無理はない。子どもの頃から、夢と現実との距離を弁え、目標を下げて折り合いをつけるという事を繰り返してきた。宇宙飛行士やオリンピック選手のような大それた夢が叶わない事は、小学生高学年になる頃には気づいていた。せめて毎日スーツを着て満員電車で会社へ通うサラリーマンにはなりたくない、とまで目標を下げた。十年後にはせめて土日休みの会社の正社員になれるようにと必死で就職活動をしていた。自分のやりたい事とかけ離れていても、生きていくための手段だと割り切るより他はない。営業で小学校を訪問した時、小学生が「普通のサラリーマンなんかになりたくない」と私に向かって言ったことがあるのを覚えているか。先生に叱られる子どもに、じゃあ何になりたいの、と尋ねた。
「サッカー選手もいいしお笑い芸人にもなりたい。決まってないけど、サラリーマンは嫌」
 先生はまた、こら、と咎める。私は目を細めた。その気持ち、すごく分かる。お前も分かるだろう。
「じゃあ、先生の言うことを聞いて勉強して、努力するしかない。十年後、君にもわかる。サラリーマンになるのすら、これで案外難しい。そして、君が思ってるほど悪くもない。」
 多分、お前もそう諭すだろう。

 帰宅して食事をしながらYouTubeをだらだらと観てしまう。スマホは利便性や娯楽と引き替えに、私の視力と時間を要求した。お前はまだ失明していないか。別に観たい物もない、何度も観たことがある動画を再生して時間を浪費してしまう、あの現象に誰か名前をつけてほしい。
 深夜一時を回った。私は大きく息を吸って、吐く。ワープロを開いた。小学生の頃から夢を格下げする作業を覚えているが、捨てるに捨てられずにいる、夢らしき物が私にもまだ残っている。それにすがるために私は文字を書くのだ。
 職業作家でやっていける人なんてほんの一握りだし、人生一発逆転できるような職業でもない。一攫千金を狙うなら、宝くじを買う方がまだ可能性があだろう。そんな事は分かっているのだが、この木片を手放してしまったら、現実に飲み込まれて、子どもの頃の私がなりたくなかった、普通の人間になってしまう。
 人は誰しも道半ばだ。道半ばのはずだ。夢を語らない人はそのことを忘れてしまっているだけだろう。死という全ての生物共通の終着点に至る途中に、夢にたどり着けるかという博打をしているのが人間だ。
 かくいう私も居心地の良い、生ぬるい現実に流されかけているけれど。でもまだ完全に飲見込まれてはいない。夢を忘れてしまった時、私は現実に沈み、二度と浮かび上がる事はないだろう。
 安定した生活は魅惑的で手放せない。手放してはまともに社会生活は営めない。生きるための労働からは逃れられない。昼間は現実世界に生きるしかないのだ。だから私は、夜に夢の世界に生きることにしている。眠ってしまっては、私の夢は見られない。
 自分が生きた事を誰かの心に残すことが出来るのは人間の特権だ。平日九時五時の生活からの解放を望んではいるが、宝くじの一攫千金でその生活を手に入れても、多分私は満たされない。博打で目が眩むような大金を得ても、私の博打に勝ったことにはならないし、私の理想の人生は買えない。
 都会の夜はさほど暗くないからわからないが、空には満点の星たちが一面を覆っているはずだ。この時間が、私の夢へと繋がる時間だ。
 義務感から名作を読んでいるからか、読書速度はなかなか上がらない。目より先に手が肥える事はない、というから読むことに専念しようと思った事もあるが、いつもスマホに阻まれる。読んでいないことを書けない言い訳にしたら、永遠に書かない。読書と執筆の両輪でどちらも肥やすより他はない。ガタガタの車輪でぬかるみを無理矢理出発することにした。
 下手でも良いから、とにかく書くより他はない。野心を語る相手もいない。今はこうして、ただ、未来の私に、どこにいるかも分からぬお前にこんな戯れ言を喚くことしかできない。夜が明けたら恥ずかしくて読めないかも知れない。お前に届くこともないかも知れない。
 私自身が生み出す世界はどんな物か、この目で見てみたい。お前も夜型だから、どうせ起きているだろう。場所は違っても、私とお前は同じ絵空事を描いているに違いない。野心がない人生などつまらないもんな。
 世界は日の出と共に明るくなると思っていたが、勘違いだった。日の出の三十分前には灯火なしで生活できる、市民薄明という時間が訪れるらしい。野心に突き動かされて、革命を起こすために私は今、夢の時間を生きている。明日の朝「絶対今日こそ早く寝る」と息巻くのが目に見える。
 睡眠不足なのは明白だ。お前に届く事を願いながら。一旦目を閉じて夢から醒める事にする。
 現実に沈んでいるのなら、浮かび上がってこい。
 私だ。応答せよ。