1945年(昭和20年)戦後以降、日本では「家紋」に関する法律はありません。 従って、慣例として「菊」の紋章以外、だれでも、自由に家紋を選ぶことができます。但し、「菊」の紋章を使っているのは、旧皇族の家、戦前に天皇から菊花紋の使用を許された家に限られています。しかしながら少数とは言え、戦後、自分で勝手に菊花紋を使っている不届き千万ファミリーもいるそうですが・・・・
十六菊と16菊を背景にした皇族紋はすでに「意匠登録」されているので、勝手に使い「デザイン的に気に入った。他には意図はありません」という言い訳をしても通用しません。 菊の紋章を使うということは、皇族を詐称するということを意味します。日本の家紋は、戸籍に載せるものでもありませんから、誰かが「菊の紋付」を作ったとしても、別に区役所に受け付けてもらえないわけでもありませんし、裁判所からヤメロと言われる訳でもありません。
しかし、日本人として「常識のない人間」と認識され、誰にもまともに相手にされなくなることは確実です。
ともあれ、今の日本は核家族、少子高齢化の時代となりました。
それゆえ、一般家庭では「家紋」などにまったく関心もなく、家紋などない家、または忘れて去っている家などが大半でしょう。
そんな訳にて、現在一般家庭では、菊の紋章以外、どの家紋も自由につけられ、誰にも咎められません。どうしても、自分の家の象徴として継承したい場合は、みずからのお子さんに “これが先祖代々の家紋である!” と口頭で伝承すれば、次の世代から “わが愛すべき家紋” となります。
反対に “家紋など古い” と一蹴することもできますし、うるさい人がいる所では、周りをご覧になって臨機応変、ご自分のお気に入りの紋章をその場で自由に選択する方法もあります。
ヨーロッパでは、イギリスのリチャード3世が 紋章院(College of Arms)を1484年に創設、それが全ヨーロッパに普及して殆どの国で役所が紋章を管理する制度が確立されているので、現在欧州では資格もないのに勝手に紋章を作ると罰せられます。 日本流は通用しません。
両方を比較すると・・・・ヨーロッパ系の家紋は目立つ、ハデ、カラフル・・・・対して日本の家紋はやはりシンプルで落ち着きがありますネ・・・・
ご存知の通り、菊の紋章を旗印として戦った第二次世界大戦(太平洋戦争)では、310万人を超える尊い犠牲者を出してしまいました・・・・
今年、2015年、終戦から70年に当たる年。この期間、幸いにも日本は戦争・戦闘などで実弾一発も発射せず、1人の戦死者も出していません。
アメリカの傘の下、海外に対する軍事的野心を持たず、平和主義的な対外政策を保った結果、なんとか世界第3位の経済成長を維持しています。
(占領軍が作成した、新憲法という非難が多々あるものの「戦争を一切放棄する」という文言(憲法第9条)のおかげで戦闘に巻き込まれずに済みました・・・・)1945年終戦・・・・焼け跡闇市からの復興、高度成長、バブル経済、そして崩壊、長く続くゼロ金利政策、この70年間、時代はめまぐるしく動いています。戦争体験者も高齢化、戦争を全く知らない日本人が大多数を占める新時代となりましたが、いまいましい戦争の記憶をいかに後世に伝えるかが課題となっています。
安倍首相を正面から批判するつもりはありませんが「憲法改正」「集団的自衛権」「特定秘密保護法」など、など、過半数を獲得した勢いで、“暴走おじさん” にならないように、また、アジア諸国に向かって戦争をけしかけるような失態はしないようにお願いしたいものです。
戦争をして、儲かるのは軍事産業予備軍の三菱グループ、住友グループなど旧財閥系だけです。 一般市民は菊の紋章を背負って戦地に駆り出されるのは必定。(まことに想定外ですが、将来を期待されている若者が、拒否する権利もなく、アメリカ軍と一緒に戦場に向かってゆかなくてはなりません・・・)
時が時なら・・・・・このように、不穏な反体制的な発言をすると「治安維持法」に抵触、牢獄にぶち込まれるのでしょうが・・・・・
(私など、もう何度も牢獄にぶち込まれて、“鞭打ち100回の刑” をうけて血まみれになっていることでしょう・・・・・)
日本人がとなりの漢民族より優れているという思想は捨てるのはどうすれば良いのでしょうか?“アジア人は皆平等” という思想を日本国家が啓蒙したとしても、日本国民の大半が洗脳されるのに・・・な~んと、子々孫々受継いでも200年以上かかるのです。“00人より、勝る、劣る” という「人種差別思想」は誠に気が遠くなる話なのです。
日本では、戦前よりの「隣国差別教育」が、各家庭にて、親から子供へと自然と受け継がれているので “隣国とは平等だ” とは口で云っても本心では嘘に染まります。
その一方では、中国・韓国とも “嫌日思想” を排除しない限り、日本人との摩擦は続き23世紀以降も永遠の思想合戦となります。
日本人がアメリカ人、ヨーロッパ人よりも優れた民族だと思い込むのもこれまた、危険な思想でしょう。 とは言え、“すべての人類は平等” などと国連憲章のような発言をしても、とても空々しく、むなしく聞こえます。