日々、過ごしている中で、“負の連鎖”が多く見受けられます。
無意識的に、私達は、この連鎖に加担している事が多く、これが私達人間の“本質”=“光”を曇らせてきた要因の大きな一つだと感じます。
誰かを、裁き、責めるという行為は、日常的に行われていると言っても過言では無いように感じます。それは、実際、自分に関わる人や事柄のみならず、見ず知らずの人や事柄に対しても、してしまっている事が、只あるのではないでしょうか?
例えば、報道で、“テロ”や、“虐待”、“詐欺”、“不倫”などが、取り上げられると、大抵の人が、『〇〇は悪い事だ!』と、自分の正義や、価値観、一般常識で判断し、“被害者” “加害者”を創りだしてしまいがちですね。
もちろん、誰かを意図的に騙したり、苦しめたり、傷付ける行為は、それに伴う償いが必要なのは、大前提ですが。
しかしながら、誰かを傷付けてしまう人が、その言動に至るまでの過程は計り知れないものと感じます。
心身共に、健やかな環境で育まれてきても、その行為に至るでしょうか?
もしかしたら、“加害者”とされる人達も、誰かに傷付けられ、尊重されず、愛されず、心に傷を抱える“被害者”かもしれません。
Photo by Healing Light
“私達が、互いの心を覗く事が出来て
それぞれが立ち向かう特有の課題を理解出来たら
我々は、より穏やかに、愛と、忍耐と、寛大さと、思い遣りを持って、互いを扱う事が出来るでしょう”
私達は、この世に産まれてくる時に、少なからず、より良い人生を歩もうと、希望と光を宿して、降りてきます。
純粋なキラキラした魂は、過去世でのカルマを解消するため、内に宿る個性を発揮するために、内在する光を磨くために、自らが選んで、この地球を体験の場としています。
この“ご神聖”が、様々な環境や体験により、曇る事は、きっと誰にでもあるでしょう。
もし、私達が、批判の対象となる人物に対して、その行為に至るまでの道のりや、葛藤に対し、慈悲の心を持つ事が、どれだけ、その方を癒し、省みる機会や、改善に向けての想いを後押しする事になるでしょう。
ただ、責める事は幾らでも出来ます。しかしながら、それはマイナスな波動であり、私達がある事柄に対してマイナスな意識を向けるほどに、集結されたエネルギー(負)は、同じ様な事柄を、再び創造(連鎖)してしまいます。
そう考えると、いかに私達が、責める心から、慈悲の心へ、切り替える事が大切かを識れたらと思います。
そして、ふと、後藤健二さん(日本のフリーランスジャーナリスト。主に中東を中心に紛争地域の取材を続ける中、イスラム国に拘束され、2015年に殺害されたてしまった方です。)が2010年に自身のツイッターで、発信した言葉が浮かびます。
『目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。
それは祈りに近い。
憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。
そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。』
短い言葉ですが、紛争地域の残酷さを、取材を通して目の当たりにしたであろう彼の言葉は、今の世の中が必要としているものでは、ないでしょうか?
この世を、より良いものにするために、私達一人一人が、日々、見聞きする事柄を、表面的に判断せず、洞察力と慈悲の心を持って、プラスの想いを馳せ、負の連鎖を断ち切り、正の連鎖を創造する光を、放っていける事を、心から祈って🙏🌏✨

