赦されない女のはなし・後篇
「好きなようにさせよ」
穏やかな我が君の声音を聞いて
飛び上がるような気持ちになりました
言葉を禁じられ、直視することも許されていない私の
この舞い上がるような気持ちを察することが出来た人がどれほど居るのかは、わかりません
私はこんどこそ、部屋の中央へ進み出て
我が君の足下へ伏せ、
水瓶と銀のおけ、香油のつぼを差し出すと
言葉を禁じられた私の意思を察してくださったのか、
椅子に深く腰掛けなおして、両足を私の手元へ寄せてくださいました
恐る恐る、手を触れて
戦場の血に塗れた御御足を
丁寧に洗い流し、
香油を塗ったのです
手が触れているという、それだけで
我が君とひとつになれたかのような喜びでした
部屋一杯に香油の香りが立ちこめて、
我が君と私だけが特別な世界にいるような気さえしました
取り囲む下僕たちは
身動きもせず、じっと私たちを見つめています
それまで先の戦闘の報告や叱責の言葉、悲鳴が飛び交っていたのに、
いまや、衣擦れの音すらしないほど静かです
触れていた手を離すと、
頭上から満足そうなため息が聞こえてきました
思わず顔をあげそうになりましたが、
ぐっと目をつむり、絨毯の模様をまぶたの裏に描きました
そうしなければ、胸の哀しみが溢れてきて嗚咽になってしまいそうだったからです
やがて、まわりを取り囲む下僕たちの存在感も戻ってきて
我が君と私だけの特別な世界は、もうそこにはなくなっていました
目を開けると我が君が立ち上がっておられたので、
道具をひとまとめにして
あとずさって小さく伏せ直し、
今しがたわたしの手が触れていたおみ足に
接吻しようと身動きすると
我が君はひらり、と半歩よけ、
その行為を許してはくださいませんでした
私はまた、雷に打たれたような気持ちになり
床に伏せたままさらに小さくなって、
とうとうなんの身動きもできなくなりました
「クルーシオ」
この身を襲う、激しい苦痛
身体を寸刻みにされるような
肌を引き裂き、体が散り散りに爆発してしまうような、
いいようのないとてつもない苦痛が、永遠に続くように思われました
けれども、私は悲痛な叫び声はあげませんでした
この苦痛は、先程の禁を破ったことへの報いだとわかっているからです
不意に苦痛が去りました
「申してみよ、言葉を許す」
苦痛の余韻が残るからだが、
酸素を求めて短く何度も呼吸していました
「わ……たくしを、お側においてくださり、感謝いたします……禁を破ったことをお許しください」
せっかく言葉を許していただいたのに、言葉の足らない
そして、小さな、震える声でしか
お応えできなかったことに、目の前がにじみました
「今後一切、俺様に触れることを禁ずる。下がれ」
我が君はそれだけ言うと、
また肘掛け椅子に深く腰掛けました
下がれ、というご命令に従うよう、
足や腕に動いてほしいのに
ぎくしゃくするばかりで、
自分の体だというのに
ほんの少しも思い通りには動きません
「二度は言わぬ、――――セブルス」
厳しい声音にますます
こころがちりぢりに壊れ去ってゆく音が聞こえてくるようでした
拷問呪文の余韻と精神的な動揺で
身動きできなくなったわたしを、
先ほど制止した長身の男が
まるで罪人を引っ立てるように
わたしの身体を床から引き剥がし
部屋のそとへ運び出したのです
自力ではなくとも、
我が君のご命令を守れたことに安心し
意識を手放しました
<終>
赦されない女のはなし・前篇
黒い一団が、一斉にアパレートして消えてしまいました
見つめていた背中がそこになくなって、がらんどうの冷たい空気と
たった一人、わたしだけが残されました
我が君にお会いして以来、
一度たりとも御前を離れたことはなかったのに
ほんの少し、お姿が見えないだけでも
どうにも胸が張り裂けそうに哀しみが溢れてくるのに
我が君がお戻りになられるまで、
これほどのつらい気持ちを抱え続けることは
不可能なことにさえ思えてきました
誰もいない屋敷に私一人残され
キッチンの床にうずくまって
涙が涸れるまでひとしきり泣いたあとは、
いてもたってもいられずに
香油と湯を用意して
我が君がいつ戻ってこられてもいいようにと
なんども冷めた湯をあたため直しました
どのくらい、そんなことをしていたのか
数日なのか、ほんの数時間なのかもわかりません
果てしないような時間を過ごしました
窓の外のカラスが騒ぎはじめてすぐ、
我が君がもうすぐおかえりになると知らせがはいって
屋敷の入り口のほうへかけて行くと、
我が君はもうお部屋に入られたようでした
部屋では、下僕たちが並び立っていて、
顔を上げることを許されない私には部屋の様子がよくわかりませんでした
見つかったら、我が君は私をお許しにならないと思ったのですが、
我が君のお姿をどうしても確認したくて
見つからないことを祈ってから
ほんのすこしだけ顔を上げて、並び立つ下僕の隙間から、
部屋の奥の我が君を見たのです
その身体は返り血を浴びていたけれど
ローブが血でぬれているだけで、
お体はお怪我もなくご無事なようです
お着替えもせずに部屋の奥の肘掛け椅子にこしかけて
御前に伏せた下僕から、報告を受けていたところらしく
小さな悲鳴や恐怖に息をのむ音が、小さな部屋に響いていました
ご無事な姿を確認できたことで気が緩んでいたのかもしれません
我が君の顔がこちらを向き、その双眸が私の目を捉えたような気がしました
すぐに顔を伏せましたが、
足下から恐怖が駆け上ってきて体が震えます
やっぱり呼ばれもしないのに
この部屋へ来てはいけなかったのです
我が君には、私よりも優先しなくてはならないことがたくさんあるのだから……
部屋の空気がぐっと冷たく冷えきって、
額の当たりに重苦しい突き刺さるような視線を感じました
我が君の表情がかわったからか、下僕たちが一斉にしずまって、
私を振り返り、注目しているようです
顔を伏せたまま、何人かの下僕のそばをぬけて中央へ進み出ようとすると
一番前に居た長身の男に遮られてしまいました
横目でチラリと男の顔をみましたが
仮面で表情はわかりませんでした
言葉を禁じられ顔をあげることを禁じられた私に訴えるすべはなく、
ただ無抵抗でうなだれるしかありません
きっと、大切なはなしをしていたのでしょう
私がお邪魔をして、この場を台無しにしてしまった
禁じられているのに顔を上げてしまったこと、
きっとそれもすべてお見通しなのです
制止した男に促されるまま、部屋の外へ出ようと
踵を返しました
呼ばれもせずここへ来たことは許してもらえるのでしょうか
そして、大切なことがなにもかも終わっても、私を呼びつけて下さらないかもしれない、と思案しました
そのとき、うしろから声が聞こえたのです
「好きなようにさせよ」
穏やかな我が君の声音を聞いて
飛び上がるような気持ちになりました
言葉を禁じられ、直視することも許されていない私の
この舞い上がるような気持ちを察することが出来た人がどれほど居るのかは、わかりません
<後編へ>
黒い一団が、一斉にアパレートして消えてしまいました
見つめていた背中がそこになくなって、がらんどうの冷たい空気と
たった一人、わたしだけが残されました
我が君にお会いして以来、
一度たりとも御前を離れたことはなかったのに
ほんの少し、お姿が見えないだけでも
どうにも胸が張り裂けそうに哀しみが溢れてくるのに
我が君がお戻りになられるまで、
これほどのつらい気持ちを抱え続けることは
不可能なことにさえ思えてきました
誰もいない屋敷に私一人残され
キッチンの床にうずくまって
涙が涸れるまでひとしきり泣いたあとは、
いてもたってもいられずに
香油と湯を用意して
我が君がいつ戻ってこられてもいいようにと
なんども冷めた湯をあたため直しました
どのくらい、そんなことをしていたのか
数日なのか、ほんの数時間なのかもわかりません
果てしないような時間を過ごしました
窓の外のカラスが騒ぎはじめてすぐ、
我が君がもうすぐおかえりになると知らせがはいって
屋敷の入り口のほうへかけて行くと、
我が君はもうお部屋に入られたようでした
部屋では、下僕たちが並び立っていて、
顔を上げることを許されない私には部屋の様子がよくわかりませんでした
見つかったら、我が君は私をお許しにならないと思ったのですが、
我が君のお姿をどうしても確認したくて
見つからないことを祈ってから
ほんのすこしだけ顔を上げて、並び立つ下僕の隙間から、
部屋の奥の我が君を見たのです
その身体は返り血を浴びていたけれど
ローブが血でぬれているだけで、
お体はお怪我もなくご無事なようです
お着替えもせずに部屋の奥の肘掛け椅子にこしかけて
御前に伏せた下僕から、報告を受けていたところらしく
小さな悲鳴や恐怖に息をのむ音が、小さな部屋に響いていました
ご無事な姿を確認できたことで気が緩んでいたのかもしれません
我が君の顔がこちらを向き、その双眸が私の目を捉えたような気がしました
すぐに顔を伏せましたが、
足下から恐怖が駆け上ってきて体が震えます
やっぱり呼ばれもしないのに
この部屋へ来てはいけなかったのです
我が君には、私よりも優先しなくてはならないことがたくさんあるのだから……
部屋の空気がぐっと冷たく冷えきって、
額の当たりに重苦しい突き刺さるような視線を感じました
我が君の表情がかわったからか、下僕たちが一斉にしずまって、
私を振り返り、注目しているようです
顔を伏せたまま、何人かの下僕のそばをぬけて中央へ進み出ようとすると
一番前に居た長身の男に遮られてしまいました
横目でチラリと男の顔をみましたが
仮面で表情はわかりませんでした
言葉を禁じられ顔をあげることを禁じられた私に訴えるすべはなく、
ただ無抵抗でうなだれるしかありません
きっと、大切なはなしをしていたのでしょう
私がお邪魔をして、この場を台無しにしてしまった
禁じられているのに顔を上げてしまったこと、
きっとそれもすべてお見通しなのです
制止した男に促されるまま、部屋の外へ出ようと
踵を返しました
呼ばれもせずここへ来たことは許してもらえるのでしょうか
そして、大切なことがなにもかも終わっても、私を呼びつけて下さらないかもしれない、と思案しました
そのとき、うしろから声が聞こえたのです
「好きなようにさせよ」
穏やかな我が君の声音を聞いて
飛び上がるような気持ちになりました
言葉を禁じられ、直視することも許されていない私の
この舞い上がるような気持ちを察することが出来た人がどれほど居るのかは、わかりません
<後編へ>
