大学には仲のいい友人が二人いる。
就職氷河期といわれ、苦しんで苦しんで、それでも頑張って、内定を勝ち取った二人の友人を、最近すごく、誇らしく思う。
一人の友人はもう働き始めていて、夢だった仕事につくことができた。
一度は全滅しても、他の職種を受けても、チャンスがあるなら受けようと思う、その気持ちは自分には無いものだ。
もう一人は誰よりもいち早く内定を決め、今年の4月から働き出す。
どんなに優れた学生でも何個もお祈りをもらう中、苦しんでも、つらくても、歩みを止めず勝ち取った内定は、私には決して手にしえないものだ。
私は、来て欲しいといってくれた会社もいくつかあったけれど、断ってしまった。
急に、息が続かないような感覚になって、ふつりと力が抜けてしまった。
親にも、親戚にも、就職カウンセラーにももったいないと叱責されたけれど、
どうしても、そこには行けないと思った。
たとえ、路頭に迷うことになっても、
どんな好条件でも、
短い人生でほんの少しの時間でも。私にとって意味の無い時間に忙殺されるのは、堪えられないと思った。
自分に、そんなかっこいいことを言う価値はないと思うし、今のご時勢、何甘ったれているんだと叱られても仕方の無いことをしているんだと分かっている。
でも、それでも、出来なかった。
やりたいことがあった。
ずっと、小説かなるものになってみたかった。
といっても、一作品書き終えるような継続力も才能も無く、子供の夢のようなものだった。
それから、日本語教師を目指した。
その夢は今でも変わっていないし、叶えたい。
でも現実というものはそれなりに厳しいものである。
家の事情で、東京にいられるのは、最長で5年。26歳くらいまでだと思う。
東京の大学に来る交換条件は、必ず家をついで両親の面倒を見ること。
10代のころは、それが嫌で嫌で、苦しくて、辛かった。
友達が、家や家族に縛られていないのを見ると、うらやましくて仕方が無かった。
一生の仕事、やりたい仕事をずっと続ける最初の資格を持ってるだけで、うらやましくて、悔しかった。
夢があるだけいいじゃない、といわれれば、余計惨めな気持ちになった。
そんな中、もう一度、就職に前向きになれたのは、二人の友人がいたからだと思う。
二人が悩みながら、苦しみながら、それでも仕事する道を選んだのは、本当に尊敬した。
楽になろうと思えばいくらでも道はあるのだと思う。
それでも、例えば、希望していない仕事だったり、みんながまだ遊んでる中、もう働かなくてはならなかったり、
それでも、前に進もうとしている姿を見て、自分が恥ずかしくなった。
5年しかないという焦りを、
5年を大切にしたいという気持ちを、
現実から目を背ける言い訳にしていたように思う。
だから、もう一度、踏ん張ってみようと思う。
来てもいいよといってくれた会社。
雰囲気はほんわかしてて、事務職で、土日祝日完全休暇で、5時上がりで、ほぼ残業無し。
お給金は総合職に比べたら安かったけど、ちょっと贅沢しながら生きていくには十分。
本当に自分にはもったいない条件だった。
その会社よりいい会社なんてこの時期もう望めないだろうと思う。
でも、それでも、最後の最後まで踏ん張って、
働いてみようと思う。
こんな私に来てもいいよといってくれる会社がいたら、誠心誠意、働かせてもらおうと思う。
ずっと働き続けます、と嘘を吐くことにはなるけれど、少しでも会社に貢献してから辞表をだせるような、
辞めると言って引き止めてもらえるような人材になろう。
そう思えたのは、二人がいたから。
二人におめでとうといってもらえるよう、まっくろいスーツ着て、ニコニコ笑って、
お願いします。と頭を下げてみよう。
辛くてもあきらめないで努力できて、
辛くても人にやさしく出来て、
泣いたら慰めてくれて、
困ったらかけよってくれて、
楽しかったら一緒に笑いあえて、
病気になったら心配してくれて、
誰かに何かされたら一緒に怒ってくれる、
そんな友人がいることが、とても誇らしく思う。
そういうことをしてくれるから、友達になったんじゃなくて、
友達になって、同じ時間を過ごしたからそんな関係になれたのだと、
自信を持って言える。
そんな友人たちが、
働き出して、苦しんで、泣きたいときは、
直ぐそばにいて助けることは出来ないけれど、
支えになれたらいいと思う。
今受けているところがだめでも、
笑って他の会社にチャレンジしよう。
頑張ると決めたら、自分は強い。
そう言い聞かせて、もう一度、真っ黒いヒールを履いて、
都会のコンクリート、こつこつ鳴らして、
頑張ろう。
