5月5日、1日だけの個展@学森舎お越しくださりありがとうございました。
気付けばもう一週間もたってしまったのですね。時が経つのは早い。
ひと仕事して、片付けやっと終わり、日常に戻ったなぁと、今日は感慨にふけっています。
今回の作品は映画の撮影のためにインスタレーションしたので、撮られるということを意識してつくりました。普段は作品の中に身をおくことが前提で制作していますが、今回は映像のみで体験することを考えて制作しました。
具体的には青みが強くてサイトスペシフィック、絵になるような、舞台セット。でもこの傾向は最近の作品にも当てはまることなのですが、より意識的に強くしました。作品そのものをつくるというより、舞台のような場所をつくり、その中でそれぞれの人が何かをする、それが作品なんです。
この中で静かに佇んで見るのも、ダンスをするのも、映画を撮ることも、寝そべることも、この空間で人々がとる行動そのものがパフォーマンスになり、それが作品になるんだと思います。今回その考えは、より明確になりました。他のどんな作家さんでも、見せる見るの関係の上に作品があり、そのフレームははっきりしていると思います。誰がつくり、誰が観ているのか?
自分の場合、場所をつくりその中に身をおいてもらうことで作品が成立するので、そのフレームは曖昧です。鑑賞者が発現者になりえるからです。そうなると作家、作品の定義も揺らいできます。そして私が問いかけたいのもそれなんだと思いますます。作家、作品の既成概念を打ち壊すこと。新たな鑑賞方法を模索すること。そこに新たな芸術の未来があるのかもしれません。
今回のテーマは、「大きな悲しみからの再生」です。
人生の挫折を味わったような悲しみの時、人は何故塞ぎ込むのか?外界を遮断し、心の牢獄に閉じこもり、延々と悲しいことをループ再生するのか?
円形のパネルを環状に連ねているのはその象徴です。
一旦落ち込むことで、自己防衛し、そこから現実に戻ることで、再生・生まれ変わったと錯覚させているのではないかと思いました。心理現象には詳しくはないのですが、自分の体験から考察してみました。
この場所は心の奥底で牢獄かもしれないけど、最も落ち着くゆりかごのような場所なのかもしれませんね。そこから現実に戻ることで、ひとつの再生、生まれ変わりを体験しているのだと思います。




