2020年4月15日の読売新聞より
カンボジアは近年、外交官らの間で「中国の代理人」と呼ばれます。
国際社会で、中国に傾斜した振る舞いが目立つからです。
その背景には、多額の経済支援への見返りだけでなく、フン・セン首相と中国との、歴史に根ざした関係があります。
◆コロナ拡大の2020年2月 北京を訪問
中国への入国を控える動きが広がる中、一国の首脳が自ら足を運んだことを世界は驚きをもって受け止めました。
中国での感染拡大に歯止めがかからず、米国などが中国の初期対応への非難を強めていた時期です。
しかしフン・セン氏は、中国との人の往来を維持すると主張し、「中国人を差別してはならない」と、中国擁護の発言を繰り返していました。
北京で習近平(シージンピン)国家主席と会談したフン・セン氏は、「カンボジアは中国の真の友だ」と冗舌に語りました。
用意されたマスクは着けなかったといいます。
習氏は「困難な時こそ、本心が見える」と述べました。
3月に入り、事態収束を国内外にアピールする習政権が、カンボジアへの医療支援にいち早く動いたのは言うまでもありません。
◆一帯一路の足場
2015年以降の直接投資は中国が国別で首位を維持し、2019年は全体の約4割を占めました。
道路や空港、電力などインフラ(社会基盤)が次々と整備され、工場やビルの建設も急速に進みます。
習氏の念頭にあるのは、覇を競う米国の存在です。
巨大経済圏構想「一帯一路」に賛同しているカンボジアを、インド太平洋での中国の影響力拡大に向けた足場にしようと考えているのです。
◆クーデター後の支援「大きな借り」
カンボジアは1975~1979年のポル・ポト政権時代、強制労働や粛清などで約170万人もの犠牲者を出しました。
政権が掲げた極端な共産化の源流は毛沢東思想でした。
中国はそんな政権を支持したとされます。
ポル・ポト政権下で軍幹部だったフン・セン氏は1977年、粛清への恐れもあってベトナムに逃れ、ベトナムのカンボジア侵攻による政権崩壊後の新体制下で頭角を現しました。
それゆえポル・ポト時代には批判的です。
ですが、カンボジアの負の歴史とも言えるポル・ポト時代と無関係ではない中国に、「歴史問題」を提起することはありません。なぜでしょうか。
新体制発足後の共同首相制の連立政権で第2首相に就いたフン・セン氏は1997年、クーデターで親台湾派のラナリット第1首相を追放しました。
1998年に単独首相の座をつかみましたが、国際社会の激しい非難を浴びました。
そこで手を差しのべたのが中国でした。
中国はフン・セン政権の発足に理解を示し、軍事・経済両面で支援を続けました。
それから20年あまり。
フン・セン氏は現在も政権トップに君臨します。
「何があっても中国は友人だ」
フン・セン氏がそう公言するのは、あの時、中国が後ろ盾になっていなければ今の自分はなかった、との自覚があるからでしょう。
たとえ、カンボジアを自陣営に引き込もうという中国の打算があったにせよ、です。
フン・セン政権は近年、反政府的な言論への弾圧を強めています。
野党も排除し、2018年には与党・人民党による事実上の一党独裁となりました。
中国語の看板があふれる首都プノンペンの街角に立つと、一瞬、中国にいるかのような錯覚にとらわれます。
強権政治に、国を覆う中国の影。
中国式統治モデルの典型が、ここにあります。
<MEMO>
◆ASEANでも「代理人」
フィリピンやベトナムなどが中国と領有権を争う南シナ海の問題を巡るカンボジアの動きは、まさに「中国の代理人」そのものです。
2012年7月に開かれたASEAN外相会議は、共同声明採択を見送るという最悪の結末を迎えました。
南シナ海問題に関し、議長国カンボジアが中国の立場を尊重する姿勢を鮮明にしたためフィリピンなどと対立し、声明内容がまとまらなかったのです。
以降、中国は南シナ海の軍事拠点化を加速させます。
国際法を無視する形で独自に設定した「九段線」を基に、南シナ海のほぼ全体に主権が及ぶ、というのが中国の主張です。
ASEANは毎年、中国を安全保障上の脅威とみなし、できれば名指しで非難する声明を出そうとしますが、カンボジアの反対で骨抜きにされるということが繰り返されています。
ASEANは決議に際して、加盟10か国の全会一致を原則とするため、1か国でも反対があれば合意が成立しないのです。